大相撲

幕内横綱・大関対戦圏外の好成績者 6場所制系統別2

2019年5月7日

大鵬は第一人者の道を歩まんとしていた。
時代は新しい英雄を誕生させようとしていた。
年6場所2A
昭和36年五月場所、上位は総崩れであった。
横綱若乃花・柏戸10勝5敗、横綱大鵬11勝
4敗であった。そんななか浮上してきたのは、
入幕3場所目前頭13枚目の佐田の山であった。
佐田の山の対戦相手は小結1番、平幕13番、
十両1番であった。その十両力士清ノ森に
4日目、負けているのである。幕内優勝力士
は十両力士より弱い、といわれた。

佐田の山の千秋楽の対戦相手は小結冨士錦で
あった。兄弟子から「突っ張ってはたけ」と
いうアドバイス通りの相撲を取って優勝を
決めた。ところが、翌場所の冨士錦戦では
「負けてやれ」と言われた。自分の知らない
ところでなにかが動いたことを悟り、青年
佐田の山は相当ショックを受けたというエピ
ソードが、本に記されて伝わっている。

佐田  の山
<佐田の山>

昭和36年九月場所、大関大鵬・柏戸、平幕の
明武谷が12勝3敗となり、優勝決定巴戦と
なった。明武谷に横綱・大関戦はない。終盤
小結冨士錦、関脇栃ノ海戦が組まれたが、
勝ち抜いている。最終的に大鵬が優勝して
横綱昇進を決めた。柏戸の大関時代の勝率
(0.771)が大鵬(0.773)とそれほど変わら
ないという理由で、柏戸の横綱昇進も決まっ
た。

明武谷
<明武谷>

よく同時昇進という言葉を使うが、□時○分
△秒まで一致する同時昇進は物理的にあり
得ない。連続優勝の大鵬が最初に決まった
と見るのが常識で、正確には「同日昇進」で
ある。

戦後の系統別では立浪部屋と分家の時津風
部屋の対戦はなかった。高砂の分家である
井筒部屋であるが、本家分家の意識は明治末
ごろ芽生えたという。したがって高砂と井筒
に本家、分家意識はない。東西制でも対戦が
あるし、朝汐(高砂)と鶴ヶ嶺(井筒)は
対戦している。ところが井筒部屋は一時時津
風部屋に併合された関係で、時津風と井筒の
対戦はなかった。ただし、立浪と井筒は対戦
した。

昭和38年十一月場所、出羽錦が途中休場(途
中から再出場)、時津風系が上位に5人、
立浪が3人となった。その結果前頭6枚目の
海乃山と大関豊山・北葉山(ともに時津風
部屋)が組まれることになった。

昭和39年、横綱大鵬と前頭13枚目の清國は
初日から14連勝。史上初の15戦全勝同士の
優勝決定戦か。と騒然となった。清國は平幕
13番、小結海乃山を経て、千秋楽は関脇大豪
(前名若三杉)と対戦したが、ここで敗退
した。大鵬が全勝で12回目の優勝を決めた。
富士錦
<富士錦のブロマイド>

昭和39年七月場所、千秋楽をむかえ、優勝は
1敗の前頭9枚目の富士錦と2敗の大関豊山
の争いになった。富士錦は平幕が13番、関脇
羽黒川(前名羽黒花)と対戦していた。千秋
楽は関脇北の富士戦だったが、勝って優勝を
決めた。豊山は横綱1番、大関2番、関脇1
番と対戦して13勝をあげながら、理不尽な
取組編成に泣いた。

10連休の夢の跡。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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