豊昇龍は3場所33勝で横綱に昇進した。これには先人がいた。柏戸
である。10勝-11勝-12勝で横綱に昇進した。ただし直前4場所45
勝、5場所58勝だった。豊昇龍の直前4場所42勝、5場所52勝より
は上であった。5場所前は13勝で初優勝した。
柏戸は直前3場所33勝でなぜ横綱に昇進できたのか。それは連続優
勝で横綱昇進を決めていた大鵬と抱き合わせだったからだ。そのと
きの昇進理由が大関時代の勝率が大鵬と遜色ないだった。横綱昇進
の基準にないことを持ち出してきている。これをみても大鵬が柏戸
より先に横綱に決まったことがわかる。

よく同時横綱昇進という言葉がつかわれる。だが同時とは年月日だ
けでなく、時刻分秒に至るまで一致していることである。だから同
時横綱は物理的にありえないのだ。正確には同日昇進である。
横綱に昇進した柏戸はどうなったか。12勝-10勝-11勝-11勝-11
勝-11勝-12勝-4場所連続休場。なんと11場所連続横綱優勝がな
かった。この間ライバル大鵬は横綱優勝8回、通算11回の優勝を達
成していた。この差はいかんともしがたかった。柏鵬時代の到来と
言われたが、実質は大鵬時代であった。柏戸苦悩の時期であった。

昭和38年九月場所、4場所連続休場明けの柏戸は5大関を破った。
5大関とは豊山、佐田の山、栃ノ海、栃光、北葉山である。そして
大鵬と千秋楽全勝決戦へとコマを進めた。柏戸は大鵬のもろざしを
ものともせずに圧倒して寄り切った。横綱初優勝、通算2回目の優
勝を全勝で飾った。柏戸は泣いた。涙の全勝優勝であった。
さて豊昇龍はどういう横綱の道を歩むのか。豊昇龍には大鵬のよう
な存在はいない。それとも大の里が立ちふさがることになるのか。
五月場所の視点になる。