今年は放送100年にあたるという。大正14年3月22日にラジオ放送
が東京放送局によって始まった。といっても放送が聞けた方はわず
か3500人くらいであったという。まだラジオがどういうものか認識
がなかった。同時に高価であった。
大相撲の本場所がラジオ中継されたのは昭和3年春場所からである。
大相撲は冬の時代で、ただでさえお客が来ないのにラジ放送された
らますます来ないと危惧された。だが元両國(前名国岩)の出羽海
は言った。「いや、ラジオ放送を聞けば相撲の面白さが伝わり、見
に来たくなる」出羽海の見立てはあたって相撲人気につながった。

ラジオ放送とともにできたのが仕切り制限時間と仕切り線である。
幕内は10分であった。時間いっぱいで立てなかったらみっともない
と、10分以内で立つことが多かった。そのため打ち出しはけっこう
ばらつきがあった。現在は4分である。
仕切り線は60センチの間隔だった。それ以前はなかったから頭と頭
をつけての仕切りがあった。もっともこれでは立ちにくい。昭和45
年五月場所から現在の70センチ間隔になった。大鵬が変更に説明を
求めていた。

なお、テレビ中継は昭和27年目の実験放送から始まった。当時大卒
の月給が1万円未満の時代にテレビは20万円もした。当然モノクロ
であった。まわすチャンネルで番組を選定していた。テレビは立体
的で4本足の台にのせてあった。なぜか布をかぶせてあった。我が
家にテレビがきたとき、大鵬が新入幕で大活躍した。テレビは現在
薄型になり、リモコンで操作するものに変化していった。