98年目に突入した大相撲放送

» 大相撲 » 98年目に突入した大相撲放送

今年は放送100年にあたるという。大正14年3月22日にラジオ放送
が東京放送局によって始まった。といっても放送が聞けた方はわず
か3500人くらいであったという。まだラジオがどういうものか認識
がなかった。同時に高価であった。

大相撲の本場所がラジオ中継されたのは昭和3年春場所からである。
大相撲は冬の時代で、ただでさえお客が来ないのにラジ放送された
らますます来ないと危惧された。だが元両國(前名国岩)の出羽海
は言った。「いや、ラジオ放送を聞けば相撲の面白さが伝わり、見
に来たくなる」出羽海の見立てはあたって相撲人気につながった。

<両國>

ラジオ放送とともにできたのが仕切り制限時間と仕切り線である。
幕内は10分であった。時間いっぱいで立てなかったらみっともない
と、10分以内で立つことが多かった。そのため打ち出しはけっこう
ばらつきがあった。現在は4分である。

仕切り線は60センチの間隔だった。それ以前はなかったから頭と頭
をつけての仕切りがあった。もっともこれでは立ちにくい。昭和45
年五月場所から現在の70センチ間隔になった。大鵬が変更に説明を
求めていた。

<土俵>

なお、テレビ中継は昭和27年目の実験放送から始まった。当時大卒
の月給が1万円未満の時代にテレビは20万円もした。当然モノクロ
であった。まわすチャンネルで番組を選定していた。テレビは立体
的で4本足の台にのせてあった。なぜか布をかぶせてあった。我が
家にテレビがきたとき、大鵬が新入幕で大活躍した。テレビは現在
薄型になり、リモコンで操作するものに変化していった。

ブログランキング

当サイトはブログランキングに参加しております。記事をよんでいただいたら、以下バナーをクリックいただくと、ランキングに反映されます、1日1クリックよろしくおねがいします
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

目次