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現代相撲部屋継承事情13

元常ノ花出羽海の急死で出羽海の後継者を
決めなければならなくなった。以前元常ノ花
出羽海が自殺をはかったとき、遺書があって
1通は千代の山にあてたものだった。それ
には出羽海の後継者を千代の山とすると書い
てあったというが、今となっては確認のしよ
うがなかった。後継候補は協会の運営、経営
に手腕を発揮してきた元出羽ノ花の武蔵川と
部屋では唯一の横綱経験者元千代の山の九重
と2人いた。

<出羽海(元出羽ノ花)>

部屋の年寄、関取の総意で51歳武蔵川が出羽
海に決定した。34歳九重では先輩年寄が多い
ためまとめ切れないという見方であった。
新聞も武蔵川有利の予想を立てていた。次の
出羽海は自分という思いが九重にはあった。
だが、それは大関佐田の山が出羽海の市川家
に婿入りしたことによって打ち砕かれた。

<千代の山のブロマイド>

九重は独立の腹を固めた。独立に際し、同郷
の北の富士、禊鳳、松前山の気持ちを確認
する必要があった。九重は、秀の山(元笠置
山)を通じて独立を申し入れた。出羽海は
低頭する九重を前にして「君の申し入れた
部屋の分離を承認する。ただし、要求した
力士のなかに親が反対している者が3人いる
から残すように。あとはよろしい」英断だっ
た。九重の申し入れがほぼ受けいれられた
カタチになった。だが、出羽海はこう続けた。
「分離によって君と所属力士は出羽海、春日
野といった一門からはずす。いいな」名門
からの破門であった。

出羽海の英断は次の理由が考えられる。
1.お家騒動になっては相撲人気に大変な
マイナスであること
2、認められなければ九重は力士を連れて
脱退覚悟であったこと
3.そうなれば協会裁定で出羽海・九重の
両者に謹慎の可能性がでて醜態を世間に
さらしてしまう結果になること
4.北の富士らの決意は固く、最悪髷を
切る覚悟であったこと
5.新聞に九重とともに行動する力士の名前
が出てしまい、出羽海にいづらい流れになっ
たこと
6.将来佐田の山が出羽海を継ぐにあたり、
不満分子を一掃できること

<佐田の山>

出羽海は佐田の山の代になって三重ノ海が
独立、鷲羽山の代で両国(前名小林山)、
久島海が独立した。もはや分家独立を許さず
という不文律はなくなっていた。その反面
本家出羽海は一時関取がいなくなるという
状態が続いた。もっとも出羽海の斜陽は出羽
ノ花出羽海の代から兆候は出ていた。出羽海
は鷲羽山のあと小城ノ花が継いで現在にいた
っている。

<元小城ノ花の出羽海>

(この項目終わり)

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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