白鵬と鶴竜の両横綱はそろって35歳である。
年6場所で消耗が激しい中では大変珍しい。
年6場所後に誕生した横綱で35歳まで相撲を
取ったのは千代の富士だけである。35歳以上
の横綱が複数いたことは昭和にはない。大正
7年春場所まで遡らなければならない。太刀
山と2代目西ノ海以来である。35歳をこえて
相撲を取った横綱はどれくらいいるのだろう
か。横綱が実質地位化した常陸山以降の東京
横綱を調べてみた。
常陸山から稀勢の里まで54人の横綱がいる。
そのうち東京横綱は東西合併後の宮城山を
含め、51人である。そのうち35歳以上の横綱
は12人に過ぎない少数派である。最高齢は
常陸山と太刀山の40歳である。年2場所、
10日制、東西制の取組という条件ならでは
かもしれない。もっとも太刀山は40歳の時は
全休で、土俵には上がっていない。
2代目西ノ海は横綱になったとき既に36歳で
あった。現代では考えられない。12勝5敗
33休は横綱としての全成績でもある。太刀山
に次ぐのが38歳の2代目西ノ海、男女ノ川、
羽黒山である。2代目西ノ海は全休で相撲は
取っていない。男女ノ川は1場所で9勝6敗
に終わっている。羽黒山は4場所中2場所が
全休、1場所が序盤からの休場であった。
残り1場所は9勝6敗であった。皆、晩年で
あった。
35歳以上の横綱勝率は引き分け、預かりを
0・5勝0.5敗として計算してある。12引き分け
は6勝6敗になる。太刀山は9割台という
驚異の数字を残している。最高成績も4回
達成している。これに次ぐのが栃錦の8割
4分8厘である。栃錦の場合、好成績でまだ
まだ十分やれるなかでの引退だった。白鵬も
現時点では8割台をキープしている。負け
越しているのが宮城山と前田山である。もと
もと横綱としては弱かった。
休場率は不戦敗を含めている。明治、大正、
大正から昭和にかけての35歳以上の横綱休場
率は軒並み数字が大きい。2代目梅ヶ谷80%、
3代目西ノ海71.8%、2代目西ノ海66%で
ある。千代の富士も55%と半分を超えている。
白鵬は40%、鶴竜はまだ1場所で全休のため
100%である。休場率が少ないのは栃錦で、
3%である。次点が男女ノ川の9.7%である。
35歳以上の横綱は一部の例外を除いて、けし
て強者の道のりではない。白鵬、鶴竜の行く
末が気になる。
しばらくぶりに連絡をとった相撲仲間が家庭人に
なっていました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。