大相撲

現代相撲部屋継承事情7

2020年10月2日

九月場所があり、いくぶん間が空いたが、
引き続き4代続いた相撲部屋をみていこう。

陸奥(元霧島)部屋のルーツは井筒部屋で
ある。井筒部屋といっても高砂部屋から分家
独立した初代西ノ海がおこした井筒部屋まで
は遡らない。この部屋は先代星甲實義の代に
途切れることになった。先代星甲實義が昭和
19年に亡くなられたことによるものである。
先代鶴ヶ嶺道芳が二枚鑑札を申し出たが、
認められず、部屋の力士は双葉山相撲道場に
身を寄せることになった。

<星甲昌男のブロマイド>

先代鶴ヶ嶺道芳が引退後、井筒部屋を復興
した。これが陸奥部屋の始まりである。先代
鶴ヶ嶺道芳がな亡くなると、部屋の後継をめぐ
って弟子の元鶴ヶ嶺昭夫と元星甲昌男が争っ
た。その結果部屋は 元星甲昌男が継ぐことに
なった。これで一件落着といかなかった。
遺族との話し合いがうまくいかず、井筒の
名跡が使用できず、陸奥部屋として再スター
トすることになった。井筒部屋は2年間で
終わりをとげた。井筒の株は北の富士に渡っ
た。

元星甲昌男の陸奥の定年にともない、部屋は
弟子の星岩涛に引き継がれた。星岩涛はスロ
ー出世で話題になり、幕内は1場所務めた
だけの力士である。先代の弟子であるアゼン
チン力士星誕期、星安出寿が十両になった。
しかし、親方としての熱意が乏しく、陸奥
部屋は弟子が少なくなり、衰退する一方に
なった。

<陸奥(元霧島)>

そこで井筒(元鶴ヶ嶺昭夫=元北の富士と株
を交換 )部屋出身の元霧島が引き継ぐこと
になった。数少ない弟子は喜んだという。
弟子では霧の若を育てるも八百長嫌疑で土俵
を去っている。ようやく霧馬山が関取になり、
土俵で活躍している。また元青ノ里の立田川
の定年にともない弟子を受け入れている。
さらに元逆鉾の井筒が亡くなると、鶴竜と
数人の弟子を引き受けて今日にいたっている。

秋晴れが続いています。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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