九月場所関脇優勝した正代は場所後大関に
昇進した。大正15年優勝制度が始まって以来
関脇の優勝は以下の29例目である。なお、
大正15年以降場所は464場所となった。中止
になった2場所は含んでいない。
玉錦
清水川
男女ノ川
双葉山
安藝ノ海
増位山
栃錦
朝汐
朝汐
大鵬
佐田の山
栃ノ海
長谷川
輪島
北の湖
三重ノ海
千代の富士
琴風
北天佑
保志
曙
千代大海
出島
武双山
照ノ富士
御嶽海
玉鷲
御嶽海
正代
関脇で最初に優勝したのは玉錦である。昭和
4年春場所のことである。当時年4場所で
番付は東京場所と地方場所の成績をあわせて
編成された。玉錦は10勝1敗優勝・9勝2敗、
9勝2敗・7勝4敗、9勝2敗・8勝3敗で
ようやく大関に昇進した。清水川は春秋園
事件で大量の力士が脱退した昭和7年の春場
所(2月)に8勝の成績で関脇優勝した。
地方場所で8勝2敗の成績をあげ大関に昇進 。
清水川は当時の番付事情によるものだから
例外とするが、関脇優勝直後に優勝できなか
った例は玉錦をはじめ9例ある。昭和31年
春場所の関脇朝汐である。9勝-9勝-12勝
優勝-8勝-8勝で大関に昇進できなかった。
昭和47年は誰が優勝するかわからない乱戦
場所だった。その中で長谷川と輪島が優勝
した。成績は12勝3敗だった。成績と翌場所
の成績がともなわず、大関昇進はなかった。
長谷川は最高位関脇で終わっている。
ほかに関脇優勝で大関になれなかった関脇は
保志(のちの北勝海)、武双山、御嶽海、
玉鷲である。御嶽海は2度とも大関になれ
なかった。玉鷲は単発となった。最高位関脇
である。保志は関脇優勝したあと11勝-12勝
をあげ、大関に昇進している。武双山は関脇
優勝した翌場所12勝の成績で大関に上がって
いる。
優勝決定戦は8回ある。
関脇増位山-大関東富士 10勝1敗
関脇朝汐-大関若乃花・前15若羽黒12勝3敗
関脇佐田の山-横綱大鵬 13勝2敗
関脇長谷川-前7魁傑 12勝3敗
関脇千代の富士-横綱北の湖 14勝1敗
関脇千代大海-横綱若乃花 13勝2敗
関脇出島-横綱曙 13勝2敗
関脇御嶽海-関脇貴景勝 12勝3敗
下克上は6回ある。4回は横綱相手である。
昭和56年一月場所の千代の富士対北の湖は
最高の盛り上がりをみせた。千代の富士は
初優勝だったが、時代は北の湖から千代の
富士へと移らんとしていた。
そもそも関脇で優勝した20例(2場所で番付
の編成していた清水川を含める)力士は大関
に昇進しているから、関脇で優勝できなく
なるのが通例である。にもかかわらず、関脇
で2回優勝した力士が2人いる。前述した
御嶽海と朝汐である。朝汐は2回目の関脇
優勝で、8勝-8勝-13勝優勝で大関に昇進
した。御嶽海が昭和32年当時の力士だったら
良し悪しは別として大関に昇進していたかも
しれない。
関脇で優勝した27人のうち15人が横綱に昇進
している。15人目は曙である。さて正代は
どうなるか。
衣替えをしました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。