大相撲

現代相撲部屋継承事情12

元両国(前名国岩)出羽海は時系列ではなく、
項目別に触れていくことにしよう。先代の
元常陸山の認可がおり、元両国(前名国岩)
出羽海の下で元栃木山の春日野部屋、元大門
岩の山分部屋がスタートした。分家独立は
ここまでで、これ以上は認められなかった。
ところがのちに元両国(前名松ヶ崎)の武隈
が独立。武隈を破門にしている。

<両国(前名松ヶ崎)の
ブロマイド>

出羽海部屋の興隆は続いた。昭和6年には
番付の方屋を出羽海部屋の力士で独占する
ほど勢力を拡大した。
大関大ノ里・常陸岩、関脇天竜、小結武蔵山、
前頭山錦・信夫山・新海・和歌嶋・綾桜・
玉碇・藤ノ里・常陸嶋・肥州山・出羽ヶ嶽・
伊勢ノ濱・外ヶ濱・駒錦・銚子灘・大崎・
常盤野

元両国(前名国岩)出羽海は大きな事件に
出くわすことになった。力士が要求を掲げて
たてこもる三河島事件である。力士会に加わ
らず、調停役となった大錦は死を賭した役目
がはたせず、深刻にとらえ髷を切ってしまっ
た。もう1つが、天竜が中心となって西方
全力士と十両の出羽海の力士らが協会に11ヶ
条の要求をつきつける春秋園事件である。
交渉は決裂して袂を分かつことになった。
元両国(前名国岩)出羽海は責任をとって
取締を辞任し、相談役となった。

<両国(前名国岩)の
ブロマイド>

戦後元両国(前名国岩)出羽海が74歳で亡く
なると、後を継いだのが元常ノ花である。
戦後の苦難のなか、千代の山を横綱に育てた。
協会の役職では理事長を務めていた。だが、
この後最大の苦悩に陥ることになった。相撲
協会は財団法人にもかかわらず、営利団体化
しているのはおかしいと国会の予算委員会で
質問が出たのである。問題はそれだけでは
すまなかった。
1.力士の生活が保障されていない
2.特定の幹部が経営している茶屋は搾取を
むさぼり、大衆を締め出している
協会は文部省と協議し、8つの改革案をまと
めた。武蔵川理事(元出羽ノ花)が改革案を
説明。参考人協会代表として衆院文教委員会
で堂々たる答弁をした。

<常ノ花のブロマイド>

だが、元常ノ花の出羽海は動揺し、深刻に
受け止めていた。国技館取締応接室にガスを
充満させ、鎧通しで腹・胸・首を切って自殺
をはかったのだ。なんとか一命を取り留めた
ものの、理事長を退き、相談役となった。
3年後二日市温泉の旅館で胃潰瘍のため急死
した。64歳であった。

(出羽海部屋続く)

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興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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