大相撲

北玉時代8

昭和46年五月場所が5月9日から始まった。
初日大鵬は積極的に栃富士を攻めていったが、
尻からくずれるもろさを露呈した。早くも
1敗。その栃富士は2日目から11連敗という
さんざんな成績だった。NHK解説者の玉の
海梅吉氏は「食いなれないものを食ったから
でしょうなあ」と評した。大鵬は魔の5日目
小結貴ノ花と対戦した。この一番はYouTube
でご覧いただける。

そしてこれが大鵬最後の一番となった。大鵬
は引退を表明した。大鵬は数々の記録をうち
たてた。大鵬の功績のなかで最も評価する
記録は何か。NHKの神風氏は2度にわたる
6連覇をあげた。大卒の初任給が4万6千
4百円の時代、大鵬の功労金は2千5百万円
だった。

<大鵬>

このところ11勝4敗で優勝争いから遠ざかっ
ていた北の富士が快調に突っ走って初日から
14連勝。玉の海は清國に負けただけの1敗。
千秋楽を迎えて1差の決戦となった。北の
富士があたって、左四つ。玉の海に上手を
与えない絶好の体勢となった。最後、北の
富士が上手投げ気味の吊りで勝った。北の
富士は6回目の優勝を全勝で飾った。大鵬が
引退したことで北の富士、玉の海に今後が
託された。

<北の富士>

昭和46年6月は様々な改革が行われた。
1.これからは幕内下位でも好成績の者は
横綱大関と対戦する
2.幕内34人以内を36人以内とする。十両は
26人以内のまま
3、十両昇進力士は番付編成会議直後に発表
する

七月場所は7月4日からスタートした。この
場所北の富士は乱調。前半だけで3敗して
いた。玉の海は連戦連勝、安定感は抜群で
あった。大関大麒麟が初日黒星のあと白星を
積み重ねて、玉の海を追走していた。事件は
11日目におきた。1敗大麒麟が5勝5敗の
カド番琴櫻と対戦した。立ち上がると、琴櫻
は右ざし、左上手を取って寄ると、大麒麟は
抵抗なく土俵を割った。

あまりの無気力ぶりに「八百長ではないのか」
という抗議の電話が鳴りっぱなしだった。
大麒麟は「ついていくのがせいいっぱいだ」
というコメントを残していた。協会幹部は
何もしないわけにいかなかった。春日野(元
栃錦)・宮城野(元吉葉山)両審判部長が
記者会見し、ファンの誤解を招くことがない
ように遺憾の意を示すとともに、両力士を
呼びつけ、厳重注意することになった。

千秋楽を迎え、優勝は全勝の玉の海に決定
していた。北の富士は8勝6敗だった。この
一番は白熱した。再びYouTubeでご覧いた
だこう。

最後は両横綱が見詰め合って頷いたシーンは
忘れられない。玉の海は6回目の優勝を全勝
で飾った。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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