昭和46年五月場所が5月9日から始まった。
初日大鵬は積極的に栃富士を攻めていったが、
尻からくずれるもろさを露呈した。早くも
1敗。その栃富士は2日目から11連敗という
さんざんな成績だった。NHK解説者の玉の
海梅吉氏は「食いなれないものを食ったから
でしょうなあ」と評した。大鵬は魔の5日目
小結貴ノ花と対戦した。この一番はYouTube
でご覧いただける。
そしてこれが大鵬最後の一番となった。大鵬
は引退を表明した。大鵬は数々の記録をうち
たてた。大鵬の功績のなかで最も評価する
記録は何か。NHKの神風氏は2度にわたる
6連覇をあげた。大卒の初任給が4万6千
4百円の時代、大鵬の功労金は2千5百万円
だった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/06/大鵬-e1591232360100.jpg)
このところ11勝4敗で優勝争いから遠ざかっ
ていた北の富士が快調に突っ走って初日から
14連勝。玉の海は清國に負けただけの1敗。
千秋楽を迎えて1差の決戦となった。北の
富士があたって、左四つ。玉の海に上手を
与えない絶好の体勢となった。最後、北の
富士が上手投げ気味の吊りで勝った。北の
富士は6回目の優勝を全勝で飾った。大鵬が
引退したことで北の富士、玉の海に今後が
託された。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/06/kitanofuziA-e1591232395603.jpg)
昭和46年6月は様々な改革が行われた。
1.これからは幕内下位でも好成績の者は
横綱大関と対戦する
2.幕内34人以内を36人以内とする。十両は
26人以内のまま
3、十両昇進力士は番付編成会議直後に発表
する
七月場所は7月4日からスタートした。この
場所北の富士は乱調。前半だけで3敗して
いた。玉の海は連戦連勝、安定感は抜群で
あった。大関大麒麟が初日黒星のあと白星を
積み重ねて、玉の海を追走していた。事件は
11日目におきた。1敗大麒麟が5勝5敗の
カド番琴櫻と対戦した。立ち上がると、琴櫻
は右ざし、左上手を取って寄ると、大麒麟は
抵抗なく土俵を割った。
あまりの無気力ぶりに「八百長ではないのか」
という抗議の電話が鳴りっぱなしだった。
大麒麟は「ついていくのがせいいっぱいだ」
というコメントを残していた。協会幹部は
何もしないわけにいかなかった。春日野(元
栃錦)・宮城野(元吉葉山)両審判部長が
記者会見し、ファンの誤解を招くことがない
ように遺憾の意を示すとともに、両力士を
呼びつけ、厳重注意することになった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/06/玉のうみB.jpg)
千秋楽を迎え、優勝は全勝の玉の海に決定
していた。北の富士は8勝6敗だった。この
一番は白熱した。再びYouTubeでご覧いた
だこう。
最後は両横綱が見詰め合って頷いたシーンは
忘れられない。玉の海は6回目の優勝を全勝
で飾った。
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