大相撲

20歳以下の新入幕力士7

2020年6月3日

■錦洋
黒姫山と同様昭和44年七月場所新入幕。19歳
であった。大受、吉王山と同期で期待のホー
プであった。入幕5場所目に技能賞を受賞。
翌場所大鵬から金星を獲得している。昭和
47年4月、井筒部屋の後継者争いで、後継者
になれなかった君ヶ浜(元鶴ヶ嶺昭夫)の
独立にともない同行。糖尿病の影響で、十両
に落ち、本名の川崎で取った。のちに大峩と
改名した。関取生活は幕内27場所、十両23
場所であり、大成しなかった。最高位は前頭
筆頭。最後は幕下で引退(廃業)した。27歳
だった。

■吉王山
昭和44年十一月場所、20歳で入幕した。185
センチ、131キロと恵まれた体格で将来を
期待された。右四つからの寄り、上手投げを
得意とした。三保ヶ関(元増位山父)部屋
所属。吉王山は序ノ口から使用した四股名で
あり、改名歴はなかった。しかし、糖尿病で
期待には応えられなかった。最高位は前頭
2枚目、関取生活は幕内16場所、十両27場所
と十両生活がはるかに長かった。最後は十両
で引退した。まだ26歳であった。

<吉王山のブロマイド>

■大受
昭和45年五月場所、20歳で入幕した。入幕
したときは、前場所十両筆頭で14勝1敗の
優勝をしたせいで、いきなり前頭6枚目に
位置した。そこで9勝6敗と見事に勝ち越し、
技能賞を受賞している。押しの技能が認め
られたのである。将来は貴ノ花と時代を築く
のでは、と貴受時代の言葉まで聞かれた。

<大受>

大受の押しが冴えまくり、手がつけられなか
ったのが、昭和48年七月場所である。13勝
2敗で大関昇進を決めた。史上初の三賞独占
となった。23歳のときである。師匠の高島
(元三根山)はつい「大受にはやましいとこ
ろがない」と言ってしまった。これまでの
大関昇進は胡散臭い相撲があったのだろうか。
しかし、大関になると成績はふるわず、5場
所で関脇に陥落した。十両で1場所途中まで
取って引退した。27歳であった。

■北の湖
入門は13歳。三保ヶ関(元増位山父)部屋
から中学に通っていた(現在は卒業してから
でないと入門できない)。四股名はなんとか
洞爺湖をイメージしたいと師匠は考えていた。
そんな時水上勉の小説が映画化され、その
宣伝ポスターに「湖(うみ)の琴」という
タイトルを目にした。こうして北の湖の四股
名は誕生した。入幕は昭和47年一月場所で、
まだ18歳であった。怪童と呼ばれ、前途洋々
であった。

<北の湖>

北の湖が開眼したのは、昭和49年の一月場所
であった。関脇北の湖が当時最強の横綱輪島
に初日勝つと、そのあとも勝ち続け、14勝
1敗で堂々の初優勝を達成してしまった。
場所後大関に昇進した。20歳であった。勢い
は止まらず、大関3場所で横綱昇進を決めた。
21歳であった。北の湖は最初休場の少ない
横綱であった。43場所連続横綱皆勤の記録を
もつ。この間に5連覇、20回優勝している。
攻撃型の相撲は憎らしいほど強いと言われた。
晩年は休場続きで、新国技館にあがるために
無理をしていた。結局新国技館は2日あがり
2連敗して、引退した。一代年寄りを贈られ
て北の湖部屋をおこした。

■大錦
大正の名横綱の名前が復活した。昭和48年
九月場所、20歳で入幕した。入幕した場所が
すごかった。終盤大関貴ノ花、横綱琴櫻に
勝ち、史上2人目の三賞独占となった。気の
早い向きは北の湖・大錦時代が来るとまで
いわしめた。翌場所、小結に昇進した。これ
が唯一の三役で最高位となった。ただし、
本来小結は西前頭4枚目、9勝6敗で3横綱
2大関と対戦した高見山がふさわしかった、
という見方が大勢であった。大錦は西前頭
11枚目、11勝4敗で1横綱2大関の対戦だっ
た。かなり無理があっての小結であった。
その後十両落ちが12回もあって目立つ活躍は
なかった。最後は十両で引退した。34歳で
あった。

<大錦のブロマイド>

(この項目続く)

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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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