大相撲

北玉時代7

明けて昭和46年一月場所が1月10日から始ま
った。蔵前国技館はこの場所から暖房設備が
完備となった。入場料は 一月場所から値上げ
となった。一人分の料金は以下である。

特別席2千円→3千円
特い 千6百円→2千3百円
特ろ 千3百円→千7百円
特は 千円のまま
イスA 8百円→千百円
イスB 7百円→9百円
一般席指定スタンド3百円のまま
一般席大人百円のまま
一般席子供・学生50円のまま

大卒の初任給が4万6千4百円の時代であった。

5日目、大鵬対小結貴ノ花戦は大熱戦となっ
た。両者十分な四つ身をねらって激しい攻防。
左四つ、大鵬上手を引いて寄るも、貴ノ花左
からすくって残す。大鵬それでも寄り立てる
が、貴ノ花こらえて右上手をねらう。大鵬
上手投げでゆさぶる。右上手を取った貴ノ花
が吊り寄り。さらに上手出し投げで、大鵬は
泳ぎ、土俵際に詰まる。上体ののびた大鵬を
攻める貴ノ花、必死で耐える大鵬。次の一瞬、
大鵬の体重ごとのすくい投げに、貴ノ花は、
左足が曲がった状態で大鵬の体重をまともに
受けてしまった。

<大鵬対貴ノ花戦の記事>

貴ノ花は翌日から休場した。この一番は、
牙城に挑む若武者とかつての王者が負けられ
ない意地から、お互いに全力以上の力を発揮
した死闘であった。

優勝はまたも玉の海と大鵬の 争いとなった。
千秋楽を迎えて玉の海全勝、大鵬1敗であっ
た。結びの一番は両横綱の直接の対戦だった。
大鵬もろざしで一気に玉の海を攻めてまたも
優勝決定戦になった。決定戦は右四つになっ
たが、大鵬は玉の海に上手を与えない。大鵬
攻め切れず、水入りとなった。再開後大鵬は
玉の海をゆさぶりつつ寄り立て、最後は右
から押したて寄り切った。大鵬が逆転で32回
の優勝となった。

<大鵬>

この勝負はのちにいくつかの裏話が出て、
仕掛けがあったのでは、と囁かれた。北の
富士はまたも11勝4敗に終わった。また、
1月20日に貴ノ花夫妻に長男が誕生した。

三月場所、大鵬は魔の5日目で若手の大受に
敗れた。また、14日目に北の富士のもろざし
からのすくい投げで寄り切られて2敗となっ
た。玉の海は10日目大関前の山の突っ張り
からの速攻に敗れて1敗。千秋楽は玉の海対
大鵬の1差決戦となった。玉の海が右四つ、
上手を与えない体勢になり、大鵬を寄り切っ
た。玉の海は14勝1敗で5回目の優勝を達成
した。

<玉の海>

北の富士はこの場所も11勝4敗で終わった。
4場所連続11勝でイレブン横綱と呼ばれた。
といっても、北の富士の横綱時代の11勝4敗
の成績は、実はこのときだけであった。この
あとは1度も11勝4敗の成績をあげていない。
それに対し、柏戸も4場所連続11勝4敗を
経験している。さらに、柏戸は横綱時代に
通算8度11勝4敗がある。これは15日制が
定着した千代の山以降の横綱で2代目若乃花
と並んで2位タイの記録である。1位は日馬
富士の9度である。たった4度のことで北の
富士はイレブン横綱と呼ばれてしまった。

<北の富士>

(この項目続く)

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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