大相撲

横綱10大史9 双羽黒横綱途上で相撲界を去る

2017年10月15日

双羽黒は優勝なく、横綱に昇進した。横綱
審議委員会の稲葉修氏は「優勝のない力士が
横綱になるのはおかしい」と発言したが、
協会は押し切ってしまった。

双羽黒はなぜ横綱に押し上げられたのか。
昭和61年七月場所は、北尾(双羽黒)、大乃
国、朝潮、北天佑、若嶋津と5大関がそろっ
ていた。そこへ関脇保志(北勝海)が大関に
昇進するのは確実だった。このままでは史上
初の6大関になる。加えて横綱は千代の富士
一人であった。つまり北尾(双羽黒)はそう
した状況による思惑の下で、横綱に昇進させ
られたのである。
双羽黒
<新人類双羽黒>

双羽黒はそれほど普及していないときに、
パソコンを扱うことから「新人類」と呼ばれ
た。そんな新人類横綱双羽黒の仰天ニュース
が突如飛び込んできた。横綱7場所後の昭和
62年10月、付け人などが集団脱走したので
ある。双羽黒の扱いがよほど悪かったのか、
弱い立場の若い衆が飛び出すのは尋常なこと
ではなかった。

事件はこれだけでは済まなかった。立浪師匠
(元2代目羽黒山=安念山)との確執が報道
された。若い衆が料理をきちんとつくれない
ほどたるんでいるので、親方にきちんと指導
するように求めたら、若い衆に詫びるように
いわれた。そのため、部屋を出ていこうと
したとき止めるおかみさんを突き飛ばした。
(師匠発言)いやそんなことはしていない。
振り切ろうとしただけである。(双羽黒発言)
と言い分は食い違う。そして双羽黒はマンシ
ョンに留まってしまった。
安念山
<安念山のブロマイド>

師匠と横綱はある時期、行事などの金銭を
めぐってどうしても対立する。しかし、お互
い決定的に損をする結果になるほど亀裂を
深めない。そこそこで妥協するのである。
それなのに、立浪(元2代目羽黒山=安念山)
と双羽黒は修復できない領域までいってしま
ったのである。

マンションに居座る双羽黒に業を煮やした
立浪(元2代目羽黒山=安念山)親方は、
協会に廃業届けを出してしまった。当時理事
長で双羽黒の名づけ親でもある春日野(元
栃錦)はことの重大性から双羽黒と話をして
いる。「あんな親方についていけない」また
「自分を貫きたい」ということで、12月31日
緊急理事会で、双羽黒の前代未聞の横綱途上
で相撲界を去ることが決定した。
双羽黒001
<相撲界を去った双羽黒>

双羽黒は優勝のない横綱だったことの反動
から、この時期以降、旭富士から日馬富士
まで2場所連続優勝が横綱昇進の絶対条件に
なった。

札幌は好天気でした。
興味深いテーマをこれからもお届けます。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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