大相撲

横綱の土俵入りにまつわる歴史的過ち

2021年7月30日

新横綱照ノ富士の土俵入りの型が決まった。
師匠(元旭富士)譲りでせりあがるとき両手
を広げる型である。通常ならば場所後の木曜
に綱打ち、金曜に明治神宮で披露となる運び
である。だが、今は新型コロナウイルスの
ため巡業はなく、人が集まる行事を控えて
いる。照ノ富士の初土俵入りはどういう形で
披露されるのだろうか。

<稀勢の里>

ところで横綱の土俵入りの型において右手を
のばし、左手を曲げてせりあがる型を雲竜型、
両手を広げてせりあがる型を不知火型と一般
的にいっている。稀勢の里は雲竜型で白鵬は
不知火型である。だが、これは誰がいつどう
いう理由で言い出したものかご存知だろうか。

<白鵬>

歴史的にはそれほど古くない。昭和16年、
相撲評論家の彦山光三氏が羽黒山の土俵入り
を不知火型と決め付けてしまった。その根拠
は不知火諾右衛門に両手を広げている錦絵が
あることであった。そしてほかの型を雲竜型
としてしまった。しかし、不知火諾右衛門は
せりあがったまま両手を開いているとは言い
切れない。大砲は左手を曲げてせりあがって
から両手を広げている。常陸山は2度拍手を
打って両手を広げている。

雲竜と不知火が実はどんな土俵入りをしたか
は、そもそもわかっていないのである。それ
を彦山氏が決め付け、一人歩きしてしまった
ことが大きな誤りの始まりとなった。なお、
伸ばした手は攻めを曲げた手は守りを表して
いる、と言ったのは元笠置山の秀の山である。
とっさにでた創作であった。

<朝日新聞の記事 写真の左不知火
光右衛門 右鬼面山>

雲竜型・不知火型の呼称は根本的に誤りで
あることがわかる。今の土俵入りの型右手を
のばし左手を曲げてせりあがる型は2代目
梅ヶ谷からである。また両手をのばしてせり
あがる型は太刀山からである。したがって
梅ヶ谷型・太刀山型と呼ぶほうが筋は通って
いるし、土俵の目撃者はこの見解を取って
いる。雲竜型・不知火型は歴史的過ちのなか
ででたモノである。

九月場所へ始動。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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