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横綱10大史6 根拠のない土俵入り名と意味2

昭和16年相撲評論家の彦山光三氏が、羽黒山
の土俵入りを不知火型と決めつけてしまった。
その根拠は、不知火(諾)が両手を広げて
立っている錦絵があることであった。そして
そのほかの土俵入りを雲竜型としてしまった。
羽黒山_ 
<羽黒山のブロマイド>

しかし、不知火(諾)の錦絵がせり上がって
から両手を広げたとは言い切れない。現に
大砲は左手を曲げてせり上がってから両手を
広げた。また、常陸山は土俵の中央で2度
拍手を打ってから両手を広げている。なお、
大砲、常陸山の型はその後引き継がれていな
い。
今の雲竜型、不知火型は、彦山氏によって
昭和16年に根拠ともいえない根拠によって
決まったものに過ぎない。これが一人歩き
してしまったところに根本的誤りがある。
横綱 梅ヶ谷藤太郎
<梅ヶ谷のブロマイド>

明確にわかっているのは梅ヶ谷(2代目)と
太刀山の型であり、この2つが脈々と引き
継がれて現代に至っている。したがって、
横綱の土俵入りを梅ヶ谷型、太刀山型と呼ぶ
のが適切との指摘がある。土俵の目撃者も
この見解を取っている。
横綱の土俵入りには、せり上がるとき伸ば
した腕は攻撃を表し、曲げている手は守りを
表す。したがって両腕を伸ばす太刀山型は
攻撃だけで邪道である。ということがまこと
しやかに言われている。しかし、この話は
いつ、誰によって言われたものか。
横綱太刀山
<太刀山のブロマイド>

実は戦時中、中国の皇軍慰問巡業中で、ある
将軍から双葉山と羽黒山の土俵入りの違いに
ついて笠置山に聞かれた。そのとき笠置山が
とっさに答えたものが、伸ばした腕は攻撃を
表し、曲げている手は守りを表す、である。
つまりまったく根拠のないつくり話である。
これはいいと、流布する者がいて、誤った
まま浸透するようになってしまったのである。
どうも、横綱に関しては間違いだらけである。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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