大相撲

横綱10大史6 根拠のない土俵入り名と意味2

2017年9月3日

昭和16年相撲評論家の彦山光三氏が、羽黒山
の土俵入りを不知火型と決めつけてしまった。
その根拠は、不知火(諾)が両手を広げて
立っている錦絵があることであった。そして
そのほかの土俵入りを雲竜型としてしまった。
羽黒山_ 
<羽黒山のブロマイド>

しかし、不知火(諾)の錦絵がせり上がって
から両手を広げたとは言い切れない。現に
大砲は左手を曲げてせり上がってから両手を
広げた。また、常陸山は土俵の中央で2度
拍手を打ってから両手を広げている。なお、
大砲、常陸山の型はその後引き継がれていな
い。

今の雲竜型、不知火型は、彦山氏によって
昭和16年に根拠ともいえない根拠によって
決まったものに過ぎない。これが一人歩き
してしまったところに根本的誤りがある。
横綱 梅ヶ谷藤太郎
<梅ヶ谷のブロマイド>

明確にわかっているのは梅ヶ谷(2代目)と
太刀山の型であり、この2つが脈々と引き
継がれて現代に至っている。したがって、
横綱の土俵入りを梅ヶ谷型、太刀山型と呼ぶ
のが適切との指摘がある。土俵の目撃者も
この見解を取っている。

横綱の土俵入りには、せり上がるとき伸ば
した腕は攻撃を表し、曲げている手は守りを
表す。したがって両腕を伸ばす太刀山型は
攻撃だけで邪道である。ということがまこと
しやかに言われている。しかし、この話は
いつ、誰によって言われたものか。
横綱太刀山
<太刀山のブロマイド>

実は戦時中、中国の皇軍慰問巡業中で、ある
将軍から双葉山と羽黒山の土俵入りの違いに
ついて笠置山に聞かれた。そのとき笠置山が
とっさに答えたものが、伸ばした腕は攻撃を
表し、曲げている手は守りを表す、である。
つまりまったく根拠のないつくり話である。
これはいいと、流布する者がいて、誤った
まま浸透するようになってしまったのである。

どうも、横綱に関しては間違いだらけである。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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