大相撲

新版二所ノ関の系統

二所ノ関の系統に変化があった。定年が迫っ
ている元若嶋津の二所ノ関が弟子の松鳳山、
一山本らを部屋付きの親方である元玉乃島に
託したのである。ただし、部屋名は元玉乃島
の年寄株である放駒部屋となる。

<元若嶋津の二所ノ関>

元三重ノ海の武蔵川が元武双山の藤島に部屋
を継がせた際、部屋名は武蔵川部屋ではなく、
藤島部屋だったケースと似ている。ただ、
武双山は元三重ノ海の武蔵川の弟子だったが、
玉乃島はその四股名からわかる通り、片男波
(元玉ノ富士)部屋の所属力士であった。

<元玉乃島の放駒>

二所ノ関は元稀勢の里の荒磯が名のることに
なった。いわば名義変更である。その結果
二所ノ関の系統は以下のようになった。ただ
し、元豪風の押尾川部屋はここには加えなか
った。

元玉ノ海の二所ノ関のとき弟子に分家独立を
奨励した。部屋持ちの親方に対し、おべっか
をつかう親方をみたことがきっかけだったと
いう。自分の弟子をもち育てれば、それは
自分への評価となる。元玉ノ海の二所ノ関の
先見性はあたった。二所一門は23の部屋が
でき、横綱を玉錦から稀勢の里まで12人誕生
させている。

<玉ノ海のブロマイド>

元初代横綱若乃花の二子山からは6つの部屋
が独立している。二所ノ関の系統は11部屋が
消滅、閉鎖、併合、合併などで消えている。
現在は12の部屋からなる。二所ノ関本家、
一代年寄貴乃花部屋の消滅は大きな出来事
だった。片男波、押尾川など分家独立をめぐ
る騒動もあった。

注意すべきは、佐渡ヶ嶽(元琴櫻)部屋の
元2代目琴錦の朝日山は伊勢ヶ濱一門となっ
ている。また元安芸乃島の高田川部屋のルー
ツは高砂、元隆三杉の常盤山部屋のルーツは
春日野である。常盤山部屋には元貴乃花部屋
の力士がおり、彼らは二所の系統力士といっ
ていい。

<元稀勢の里の荒磯>

現在幕内力士は42人である。きたる一月場所
の想定番付では貴景勝を含め、6人である。
横綱はいないし、かつてほどの勢いは薄れて
いる。

池袋による予定です。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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