大相撲

北玉時代2

昭和44年九月場所、横綱は大鵬一人、大関は
先場所優勝した清國が東正大関で、琴櫻、
北の富士、玉乃島と続いた。大関ではこれ
まで琴櫻が2回、あとは1回優勝があるだけ
であった。九月場所は7日目までに大鵬が
7連勝、琴櫻・玉乃島が1敗、清國・北の
富士が2敗であった。8日目は天覧相撲で
あった。好取組が組まれるのが慣例であるが、
ここで大鵬対玉乃島戦が実現することになっ
た。

<玉の海>

対戦成績はここまで玉乃島の4勝17敗であっ
た。1不戦勝があり、それを除けば16連敗中
であった。圧倒的に大鵬有利のなかで勝負は
こう展開した。立ち上がると、突っ張り合い
になり、玉乃島が得意の右四つに組みとめた。
大鵬上手投げからまきかえをはかるが、玉乃
島許さず。逆に玉乃島は上手からゆさぶり、
大鵬の上手を切った。玉乃島、機をみて左
から引き落とすと、大鵬は両ひざをついて
しまった。力のはいった熱戦を玉乃島が制
した意味は大きかった。

<大鵬>

この一番を境に大鵬と玉乃島が明暗を分けた。
10日目を終え、1敗は玉乃島、2敗が大鵬・
琴櫻・北の富士であった。11日目、玉乃島対
北の富士の直接対戦となった。突っ張り合い
から左四つがっぷりになった。北の富士得意
の組み手である。北の富士寄り立てるも、
玉の島腰にのせ気味に吊り出した。

<北の富士>

九月場所、玉乃島が13勝2敗で久々に優勝
した。昭和42年五月場所以来2回目の優勝で
あった。北の富士は12勝3敗で次点であった
が、気をはいた。北の富士の大関での12勝は
初めてであった。大鵬は結局11勝4敗に終わ
り、衰えは否めなかった。先場所優勝の清國
は準優勝でもあるいは横綱に、の声はあった。
だが、場所中に頚椎を痛めたことから、9勝
6敗に終わった。

一人横綱で新しい英雄が求められるなか、
横綱先陣争いは玉乃島が1歩先んじたカタチ
になった。

池袋に行ってきます。
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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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