系統別総当たり制は昭和7年から昭和14年
及び昭和22年夏場所から昭和39年十一月場所
に施行された取組編成方法である。それでは
系統別総当たり制とはいったいどういうもの
か。本家、分家を中心として大阪相撲の流れ
の部屋を組み込んだものが系統である。具体
的にみていこう。
以下系統と相撲部屋、所属幕内力士を示した
ものである。幕内力士は部屋別総当たりが
始まった昭和40年一月場所の番付による。
相撲部屋は昭和39年十一月場所時点における
ものである。
◆本家出羽海(元出羽ノ花)【佐田の山、
北の富士、小城ノ花、義ノ花、金乃花】
・分家春日野(元栃錦)【栃ノ海、栃光】
・組み込まれた大阪相撲 小野川(元錦華
山)【海乃山】三保ヶ関(元増位山父)
出羽海部屋は、元常陸山亡き後を継いだ元両
国(前名国岩)が師匠のときに分家を許さ
ない不文律ができた。従ってこの時点では
分家は春日野部屋しかなかった。
昭和2年、東西合併がおこなわれた。大阪
相撲の流れを組んできたのが、三保ヶ関部屋
である。だが、元滝ノ海の師匠急死という
事情で増位山(父)は昭和22年夏場所から
出羽海部屋に身をおいた。引退後三保ヶ関
部屋を復興した。
同じく大阪相撲からきた小野川部屋は閉鎖、
復興、閉鎖を繰り返した。昭和32年元錦華山
の高崎親方が閉鎖する陣幕(元青葉山)部屋
の力士を引き取るカタチで小野川に名称を
変更した。このとき正式に出羽海の系統に
組み入れられた。しかし、部屋別総当たりと
ともに小野川部屋は閉鎖し、海乃山と部屋の
力士は出羽海部屋所属となった。
◆本家二所ノ関(元佐賀ノ花)【大鵬】
・分家片男波(元玉乃海)【玉乃島】佐渡ヶ
嶽(元琴錦)【琴櫻、長谷川】花籠(元大ノ
海)【大豪、若秩父、若天龍】二子山(元若
乃花)湊川(元十勝岩)
本家と分家だけの系統である。元玉ノ海の
二所ノ関が分家独立を奨励したことが一大
勢力をつくりあげる結果になった。しかし、
部屋別総当たりが決まると湊川部屋は二所ノ
関部屋に戻った。
◆本家立浪(元羽黒山)【若見山、若浪、
羽黒山、羽黒川、若羽黒、君錦、北ノ國】
・分家時津風(元双葉山)【豊山、北葉山、
青ノ里、豊國、荒波、若杉山】春日山(元名
寄岩) 中川(元清恵波)
・双葉山相撲道場に1度吸収された部屋井筒
(元先代鶴ヶ嶺)【鶴ヶ嶺】※ルーツは高砂。
系統別では時津風とのみ対戦なし
井筒部屋以外は本家分家の関係である。元双
葉山の時津風は本家立浪とは一線を画して
いたが、系統別総当たり制では対戦はなかっ
た。従って、鏡里・大内山(時津風)と安念山・
北ノ洋(立浪)の対戦はなかった。
北ノ洋(立浪)の対戦はなかった。
井筒部屋のルーツは初代西ノ海である。その
初代西ノ海は高砂部屋所属である。ただし、
このころは本家、分家の意識はなかった。
一時期双葉山相撲道場に併合されたことが
あって時津風の系統となった。ただし、立浪
との対戦はあった。
◆本家高砂(元前田山)【富士錦、前田川】
・分家若松(元鯱ノ里)【房錦、岩風】
大山(松登)
◆本家友綱(元巴潟)
・分家宮城野(元吉葉山)【明武谷、廣川】
高島(元三根山)
◆本家伊勢ヶ濱(元照國)【浅瀬川、清國、
開隆山】
・分家木瀬(元桂川)、谷川(元八幡野)
・組み込まれた大阪相撲 朝日山(元二瀬山)
この伊勢ヶ濱は今の伊勢ヶ濱(元旭富士)
とはまったくつながりがない。元照國のあと
伊勢ヶ濱を継いだのは清國であるが、ここで
部屋は消滅している。元旭富士は立浪の分家
の分家で元陸奥嵐の安治川部屋を引き継いだ
部屋である。
◆伊勢ノ海(元先代柏戸)【柏戸】
伊勢ノ海部屋と時津風部屋、井筒部屋は一門
でありながら、系統的つながりがなく、柏戸
は豊山(時津風)とも鶴ヶ嶺(井筒)とも
対戦している。柏戸は系統別総当たり制では
孤軍奮闘していた。
対戦している。柏戸は系統別総当たり制では
孤軍奮闘していた。
◆追手風(元清水川)【追手山】※ルーツは
高砂。
高砂。
・分家間垣(元2代目清水川)
元清水川の師匠は小結小錦であり、その師匠
は横綱小錦である。したがって追手風部屋の
ルーツは高砂である。しかし、系統別では
孤立していた。元清水川は昭和40年1月に
定年を迎えるため、前年の十一月場所後に
部屋を閉鎖し、立浪に合流した。
長く続いた系統別総当たり制だが、昭和39年
十一月場所を最後に幕を閉じることになった。
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