大相撲

今は昔 系統別総当たり制

2018年4月23日

系統別総当たり制は昭和7年から昭和14年
及び昭和22年夏場所から昭和39年十一月場所
に施行された取組編成方法である。それでは
系統別総当たり制とはいったいどういうもの
か。本家、分家を中心として大阪相撲の流れ
の部屋を組み込んだものが系統である。具体
的にみていこう。

以下系統と相撲部屋、所属幕内力士を示した
ものである。幕内力士は部屋別総当たりが
始まった昭和40年一月場所の番付による。
相撲部屋は昭和39年十一月場所時点における
ものである。

◆本家出羽海(元出羽ノ花)【佐田の山、
北の富士、小城ノ花、義ノ花、金乃花】
・分家春日野(元栃錦)【栃ノ海、栃光】
・組み込まれた大阪相撲 小野川(元錦華
山)【海乃山】三保ヶ関(元増位山父)

出羽海部屋は、元常陸山亡き後を継いだ元両
国(前名国岩)が師匠のときに分家を許さ
ない不文律ができた。従ってこの時点では
分家は春日野部屋しかなかった。
武蔵
<出羽海(元出羽ノ花)>

昭和2年、東西合併がおこなわれた。大阪
相撲の流れを組んできたのが、三保ヶ関部屋
である。だが、元滝ノ海の師匠急死という
事情で増位山(父)は昭和22年夏場所から
出羽海部屋に身をおいた。引退後三保ヶ関
部屋を復興した。

同じく大阪相撲からきた小野川部屋は閉鎖、
復興、閉鎖を繰り返した。昭和32年元錦華山
の高崎親方が閉鎖する陣幕(元青葉山)部屋
の力士を引き取るカタチで小野川に名称を
変更した。このとき正式に出羽海の系統に
組み入れられた。しかし、部屋別総当たりと
ともに小野川部屋は閉鎖し、海乃山と部屋の
力士は出羽海部屋所属となった。

◆本家二所ノ関(元佐賀ノ花)【大鵬】
・分家片男波(元玉乃海)【玉乃島】佐渡ヶ
嶽(元琴錦)【琴櫻、長谷川】花籠(元大ノ
海)【大豪、若秩父、若天龍】二子山(元若
乃花)湊川(元十勝岩)
玉ノ海
<玉ノ海のブロマイド>

本家と分家だけの系統である。元玉ノ海の
二所ノ関が分家独立を奨励したことが一大
勢力をつくりあげる結果になった。しかし、
部屋別総当たりが決まると湊川部屋は二所ノ
関部屋に戻った。

◆本家立浪(元羽黒山)【若見山、若浪、
羽黒山、羽黒川、若羽黒、君錦、北ノ國】
・分家時津風(元双葉山)【豊山、北葉山、
青ノ里、豊國、荒波、若杉山】春日山(元名
寄岩) 中川(元清恵波)
・双葉山相撲道場に1度吸収された部屋井筒
(元先代鶴ヶ嶺)【鶴ヶ嶺】※ルーツは高砂。
系統別では時津風とのみ対戦なし
時
<時津風(元双葉山)>

井筒部屋以外は本家分家の関係である。元双
葉山の時津風は本家立浪とは一線を画して
いたが、系統別総当たり制では対戦はなかっ
た。従って、鏡里・大内山(時津風)と安念山・
北ノ洋(立浪)の対戦はなかった。

井筒部屋のルーツは初代西ノ海である。その
初代西ノ海は高砂部屋所属である。ただし、
このころは本家、分家の意識はなかった。
一時期双葉山相撲道場に併合されたことが
あって時津風の系統となった。ただし、立浪
との対戦はあった。

◆本家高砂(元前田山)【富士錦、前田川】
・分家若松(元鯱ノ里)【房錦、岩風】
大山(松登)

◆本家友綱(元巴潟)
・分家宮城野(元吉葉山)【明武谷、廣川】
高島(元三根山)

◆本家伊勢ヶ濱(元照國)【浅瀬川、清國、
開隆山】
・分家木瀬(元桂川)、谷川(元八幡野)
・組み込まれた大阪相撲 朝日山(元二瀬山)

この伊勢ヶ濱は今の伊勢ヶ濱(元旭富士)
とはまったくつながりがない。元照國のあと
伊勢ヶ濱を継いだのは清國であるが、ここで
部屋は消滅している。元旭富士は立浪の分家
の分家で元陸奥嵐の安治川部屋を引き継いだ
部屋である。
柏
<柏戸>

◆伊勢ノ海(元先代柏戸)【柏戸】
伊勢ノ海部屋と時津風部屋、井筒部屋は一門
でありながら、系統的つながりがなく、柏戸
は豊山(時津風)とも鶴ヶ嶺(井筒)とも
対戦している。柏戸は系統別総当たり制では
孤軍奮闘していた。

◆追手風(元清水川)【追手山】※ルーツは
高砂。
・分家間垣(元2代目清水川)
元清水川の師匠は小結小錦であり、その師匠
は横綱小錦である。したがって追手風部屋の
ルーツは高砂である。しかし、系統別では
孤立していた。元清水川は昭和40年1月に
定年を迎えるため、前年の十一月場所後に
部屋を閉鎖し、立浪に合流した。

長く続いた系統別総当たり制だが、昭和39年
十一月場所を最後に幕を閉じることになった。

おちつける日がなかなかありません。
興味深いテーマをこれからもお届けます。

マーク2カ所をクリックして支援して
ください。

よしなに
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
にほんブログ村 

相撲 ブログランキングへ 

↑↑↑↑↑↑↑↑ 

 

当サイトはブログランキングに参加しています、どうか応援をお願いいたします!

【ブログランキング】で、土俵の目撃者を応援して頂けるかたは↓をクリック


【日本ブログ村】で、土俵の目撃者を応援して頂けるかたは↓をクリック
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
にほんブログ村
  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

-大相撲

Copyright© 土俵の目撃者(毎日更新) , 2024 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.