大相撲

大相撲優勝・次点力士4 昭和30年代

2018年4月22日

昭和33年名古屋が本場所に昇格し、年6場所
制がスタートした。あまりの間隔の短さに
「優勝候補は先場所の優勝者になるのでは」
という見方がされたほどであった。また、
大日本相撲協会が日本相撲協会に改称した年
でもある。
栃錦
<栃錦のブロマイド>

次点は当然優勝者に次ぐ成績の力士だが、
横綱・大関と対戦のない力士及び部分対戦
力士ははずした。複数いるときは上位力士と
した。
S33-1A
栃錦、若乃花が激しく優勝を争った時期で
ある。栃錦が引退する昭和35年五月場所まで、
栃錦、若乃花が優勝か次点に名前がないのは、
昭和33年三月場所1場所だけである。千代の
山の優勝はこの時期なかったが、次点は通算
7回を記録した。栃錦は優勝が10回あるが、
次点も10回になった。栃若時代の相撲を見た
方は、最高に面白かったと語る。
初代若乃花
<若乃花のブロマイド>

昭和35年から大鵬、柏戸が台頭してきていた。
将来の横綱を期待される逸材であった。そし
てまさにそうなった。今こうした逸材に出会
えることはない。
S33-2A
昭和36年から時代は大鵬へと移っていった。
若乃花は現役だったが、優勝はなかった。
次点は7回になった。大鵬が優勝を独占する
なか、次点はライバル柏戸と闘志の佐田の山
が数を重ねていった。大鵬の牙城に挑んだ
技能派栃ノ海と学生横綱出身の豊山は力及ばず
であった。大鵬をとりまく強敵は、白鵬より
難しい相手だったといえる。
大鵬
<大鵬>

昭和40年から新たな制度として部屋別総当た
り制がスタートした。

(この項目続く)

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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