引き続き2代に渡って引き継がれた部屋を
みていこう。
・高田川(元安芸乃島)部屋
元前の山が高砂(元横綱朝潮) 部屋から独立
した部屋。元前の山が一門の意向に反して
理事に立候補したため、高砂一門を破門と
なった。 一方、元安芸乃島は貴乃花親方との
確執から元前の山が部屋付き親方として引き
受けた。 元前の山の高田川の定年が迫るなか、
元安芸乃島が部屋を引き継いだ。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/09/06夏稽古-095-e1599097686765.jpg)
・田子ノ浦(元隆の鶴)部屋
元隆の里が二子山(元初代若乃花)より独立
しておこした部屋が鳴戸部屋であった。元
隆の里の急死を受けて部屋を継いだのが元
隆の鶴であり、建物もそのまま使用していた。
ところが未亡人と話し合いがつかなかった
ため、挨拶なしに部屋を出て、一時期閉鎖
された元増位山(子)の旧三保ヶ関部屋を
田子ノ浦部屋として使用していた。そして
あらたにかまえたのが今の江戸川区の田子ノ
浦部屋である。鳴戸の名跡は元琴欧洲へ譲ら
れた。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/09/190112初日前日-168-e1599097728875.jpg)
・玉ノ井(元栃東 子)部屋
元栃東父が春日野(元栃ノ海) 部屋から独立
しておこした部屋。定年にともない息子の
栃東に譲った。
・千賀ノ浦(元隆三杉)部屋
元舛田山が春日野(元栃乃和歌)部屋から
独立した部屋。定年にともない部屋を継ぐ
出羽一門の親方がいなかった。隆三杉は二子
山(元初代若乃花)出身。引退後は二子山
(元大関貴ノ花)部屋付きの親方として、
その後貴乃花部屋付きの親方として後進の
指導にあたっていた。その元隆三杉が、系統
が異なる千賀ノ浦部屋を引き継ぐことになっ
た。その後貴乃花親方の離職にともない、
貴乃花部屋の力士を引き受けている。貴景勝
はその一人である。また、元貴乃花部屋の
力士が暴行沙汰で2人相撲界を去っている。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/09/170514初日幕内-045-e1599097665966.jpg)
・藤島(元武双山)部屋
出羽海部屋は元常陸山亡き後を継いだ6代
出羽海(元両国=前名国岩)の代から分家
独立を許さずという不文律ができた。これが
長い間支配してきたが、9代出羽海(元佐田
の山)から事実上解除された。その第1号が
元佐田の山の出羽海から円満独立した元三重
ノ海の武蔵川部屋だった。この部屋を引き
継いだのが元武双山の藤島である。年寄名跡
は藤島のままで部屋を継いだ。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/09/140111初日前日-055-e1599097706568.jpg)
・湊(元湊富士)部屋
元豊山=前名長浜の湊が時津風(元豊山前名
内田)部屋から独立しておこした部屋。60歳
近くになったとき、部屋を弟子の元湊富士に
譲っている。錣山(寺尾)とともに時津風
一門を出て、現在は二所ノ関一門に属して
いる。
・山響(元巌雄)部屋
一代年寄を贈られた北の湖が三保ヶ関(元
増位山 子)部屋から独立した部屋。北の湖
の急死を受けて弟子の元巌雄が部屋を継いで
今日に至っている。
2代に渡って引き継がれた部屋 は12になった。
(この項目続く)
本屋が減ってきています。
興味深いテーマをこれからもお届けします。