大相撲

現代相撲部屋継承事情9

2020年10月8日

引き続き5代続いた部屋をみていこう。宮城
野部屋の5代は同じ師匠が2度になっている。
それはまったく無関係の師匠が突然部屋を
組み入れたことに起因していた。

高島(元巴潟)部屋の横綱吉葉山は現役の
ときから年寄吉葉山として総檜造りの吉葉山
相撲道場を設立。引退後宮城野襲名とともに
宮城野部屋に改称してスタートした。関脇
明武谷・陸奥嵐、小結廣川などを育てた。
創設者元吉葉山が57歳で亡くなると弟子の
元廣川が後を継いだ。

<吉葉山>

元廣川の宮城野は先代からの弟子港龍、竹葉
山を育てるも、舌がんに倒れ、52歳で亡く
なられた。部屋は弟子の元竹葉山が継ぐこと
になった。光法を育て、さらに白鵬を横綱に
まで育てたことで宮城野部屋は大きく花開い
た。

ところが、宮城野部屋が不可思議な形になっ
た時期がある。ことのいきさつはこうだ。
北の湖部屋出身の元十両金親が廣川未亡人と
養子縁組をし、次女と結婚し、宮城野を襲名
したのだ。宮城野の株は完全に元竹葉山の
ものになっていなかったということになる。
といって借株では部屋はもてないので、部屋
維持のための暫定的処置であったということ
になる。

<元竹葉山の宮城野>

しかし、元金親が宮城野を継いでも弟子は
自ら集め、部屋をゼロからスタートさせる
のが筋であった。熊ヶ谷となった元竹葉山は
一門の部屋に弟子ともども所属するのが慣例
であった。元金親と元竹葉山は一門が違うし、
何のつながりもなかった。ところが、元金親
の宮城野部屋は元竹葉山の熊ヶ谷と彼の弟子
をそのまま所属させているのだ。

白鵬はじめ弟子は形式上の師匠は元金親、
育ての師匠は元竹葉山といういびつな形と
なった。昇進の使者を迎えるのは元金親の
宮城野、プライベートの席は元竹葉山の熊ヶ
谷が同行した。この事態に当時横綱審議委員
であった内館牧子は「白鵬の師匠は誰なの
か」と北の湖理事長に迫った。「それは熊ヶ
谷(元竹葉山)です。今まで熊ヶ谷がやって
きたし、これからもやるべき」と北の湖理事
長は明言した。

<元金親の宮城野>

このようないびつな事態が6年以上続いた。
この形に終止符を打ったのは週刊誌に掲載
された記事だった。その内容は2006年七月
場所で元金親の宮城野が白鵬に勝たせるよう
金銭で工作したと知人の女性に語ったという
内容である。

この件は裁判ざたになり、協会は勝訴した
ものの金親宮城野は協会の品位を傷つけた
として師匠の資格を失って部屋付きの親方に
なるか、拒否して廃業するかの選択を迫られ
た。金親宮城野は部屋付きの金親熊ヶ谷の
道を選択した。こうして元竹葉山が宮城野に
師匠として返り咲いて現在に至っている。
元金親の熊ヶ谷はのちにマネージャーに
暴行して逮捕され、協会を解雇処分になっ
ている。

(この項目続く)

急に気温が下がりました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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