MENU

現代相撲部屋継承事情9

引き続き5代続いた部屋をみていこう。宮城
野部屋の5代は同じ師匠が2度になっている。
それはまったく無関係の師匠が突然部屋を
組み入れたことに起因していた。

高島(元巴潟)部屋の横綱吉葉山は現役の
ときから年寄吉葉山として総檜造りの吉葉山
相撲道場を設立。引退後宮城野襲名とともに
宮城野部屋に改称してスタートした。関脇
明武谷・陸奥嵐、小結廣川などを育てた。
創設者元吉葉山が57歳で亡くなると弟子の
元廣川が後を継いだ。

<吉葉山>

元廣川の宮城野は先代からの弟子港龍、竹葉
山を育てるも、舌がんに倒れ、52歳で亡く
なられた。部屋は弟子の元竹葉山が継ぐこと
になった。光法を育て、さらに白鵬を横綱に
まで育てたことで宮城野部屋は大きく花開い
た。

ところが、宮城野部屋が不可思議な形になっ
た時期がある。ことのいきさつはこうだ。
北の湖部屋出身の元十両金親が廣川未亡人と
養子縁組をし、次女と結婚し、宮城野を襲名
したのだ。宮城野の株は完全に元竹葉山の
ものになっていなかったということになる。
といって借株では部屋はもてないので、部屋
維持のための暫定的処置であったということ
になる。

<元竹葉山の宮城野>

しかし、元金親が宮城野を継いでも弟子は
自ら集め、部屋をゼロからスタートさせる
のが筋であった。熊ヶ谷となった元竹葉山は
一門の部屋に弟子ともども所属するのが慣例
であった。元金親と元竹葉山は一門が違うし、
何のつながりもなかった。ところが、元金親
の宮城野部屋は元竹葉山の熊ヶ谷と彼の弟子
をそのまま所属させているのだ。

白鵬はじめ弟子は形式上の師匠は元金親、
育ての師匠は元竹葉山といういびつな形と
なった。昇進の使者を迎えるのは元金親の
宮城野、プライベートの席は元竹葉山の熊ヶ
谷が同行した。この事態に当時横綱審議委員
であった内館牧子は「白鵬の師匠は誰なの
か」と北の湖理事長に迫った。「それは熊ヶ
谷(元竹葉山)です。今まで熊ヶ谷がやって
きたし、これからもやるべき」と北の湖理事
長は明言した。

<元金親の宮城野>

このようないびつな事態が6年以上続いた。
この形に終止符を打ったのは週刊誌に掲載
された記事だった。その内容は2006年七月
場所で元金親の宮城野が白鵬に勝たせるよう
金銭で工作したと知人の女性に語ったという
内容である。

この件は裁判ざたになり、協会は勝訴した
ものの金親宮城野は協会の品位を傷つけた
として師匠の資格を失って部屋付きの親方に
なるか、拒否して廃業するかの選択を迫られ
た。金親宮城野は部屋付きの金親熊ヶ谷の
道を選択した。こうして元竹葉山が宮城野に
師匠として返り咲いて現在に至っている。
元金親の熊ヶ谷はのちにマネージャーに
暴行して逮捕され、協会を解雇処分になっ
ている。

(この項目続く)

急に気温が下がりました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

ブログランキング

当サイトはブログランキングに参加しております。記事をよんでいただいたら、以下バナーをクリックいただくと、ランキングに反映されます、1日1クリックよろしくおねがいします
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

目次