大相撲

高砂の系統12

現役時代、二子山(元大関貴ノ花)部屋に
所属していた元安芸乃島がなにゆえ高田川
(元前の山)の部屋を引き継ぐことになった
のか。それは元安芸乃島の千田川と貴乃花
親方との確執にあった。現役時代、貴乃花が
貴花田として入門したとき、安芸乃島はすで
に幕内であった。安芸乃島は貴花田にとって
兄弟子にあたっていた。引退は貴乃花が先
だった。2場所後の平成15年五月場所、安芸
乃島が引退して藤島を襲名した。ともに部屋
付きの親方として後進の指導にあたっていた。

<元安芸乃島>

ところが、安芸乃島の引退相撲に貴乃花が
出ないなど雲行きがあやしくなってきた。
そんなとき二子山(元大関貴ノ花)が入退院
を繰り返すようになっていた。平成16年2月、
貴乃花が二子山部屋継承し、貴乃花部屋に
改称した。5月、藤島は千田川に年寄名跡を
変更した。このころから指導方針・考え方の
違いが顕著になり、貴乃花と元安芸乃島の
不仲は決定的になってきた。入退院を繰り
返していた二子山が夏から入院した。

<貴乃花>

元安芸乃島の千田川はついに部屋の移籍を
申し出るが、貴乃花はなぜか移籍許可書類に
承認の判を押さない。元安芸乃島の千田川は
破門を申し出るが、貴乃花は部屋への出勤
停止、出入り禁止を通知して、いき場のない
泥沼抗争に陥った。平成16年9月、千田川は
結局病床の二子山に保証人として判をもらっ
た。このとき、手をさしのべてくれたのが
高田川(元前の山)部屋であった。千田川は
高田川部屋に移籍した。高田川は高砂一門
から破門されて無所属であった。

平成21年8月、高田川の定年間近に年寄名跡
を交換して、元安芸乃島は高田川部屋を引き
継ぐことになった。建物は新築した。平成22
年、貴乃花が一門の意向を無視して理事選に
出馬して当選。今後貴乃花グループとして
まとまっていくことになった。その約1年後、
高田川部屋は二所ノ関一門に加わることに
なった。

<7代高砂>

高砂の本家は平成14年2月5日、定年が近い
元富士錦の高砂と元5代朝潮の若松の年寄
名跡を交換した。こうして高砂部屋と若松
部屋が併合する形で5代朝潮が7代高砂と
なった。7代高砂は横綱朝青龍、大関朝乃山、
関脇朝赤龍らを育てた。同年12月、元水戸泉
の錦戸が分家独立して錦戸部屋を創設した。
7代高砂は今年(令和2年)の12月9日に
65歳の定年を迎える。また新たな高砂の歴史
が続くことになる。

(この項目終わり)

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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