大相撲

現代相撲部屋継承事情5

2020年9月7日

・佐渡ヶ嶽(元琴ノ若)部屋
初代琴錦が引退後に二所ノ関(元佐賀ノ花)
部屋から独立した部屋。創設したものの本家
二所ノ関が琴ヶ濱を手放さない。ほかに二所
ノ関の幕内力士は玉ノ海(後の玉乃海)と
大天竜しかいなく、看板力士の琴ヶ濱を失い
たくなかった。琴ヶ濱が移籍できたのはなん
と3年以上たってからだった。琴ヶ濱はすで
に大関になっていた。

全休していた横綱琴櫻が引退を声明した。
しかし、師匠佐渡ヶ嶽(元初代琴錦)との
話し合いが十分行われていなかった。引退を
引っ込める、引っ込めないでもめ、感情的に
なってしまった。琴櫻は白玉部屋をおこす
予定であった。ところが病気中であった佐渡
ヶ嶽が突然亡くなってしまった。結局琴櫻は
佐渡ヶ嶽を引き継ぐことになった。

<元琴櫻>

元琴櫻が定年を迎えたとき、琴ノ若は引退
して部屋を継いだ。琴ノ若は琴櫻の娘婿で
鎌谷家に婿入りしていた。常に大勢の弟子を
抱える部屋として繁栄している。

3代続いた部屋は5部屋であった。4代続い
た部屋に目をむけよう。

・春日野(元栃乃和歌)部屋
栃木山は春日野(行司木村宗四郎)の養子に
入っていたこともあり、元常陸山の出羽ノ海
(常陸山の代までノの字がある)存命中すで
に独立の認可を取り付けていた。春日野部屋
独立は元両国=前名国岩の出羽海のときおこ
なわれた。栃木山は人徳のある方で、生活
すべてを相撲につなげていた方だった。

<栃木山のブロマイド>

彼の亡き後は弟子の栃錦が二枚鑑札で部屋を
引き継いだ。春日野部屋の力士に栃の字が
多くつくようになったのは、栃錦の春日野の
代からである。栃錦亡き後は元栃ノ海が継い
だ。彼の定年が迫ったとき、元栃乃和歌が
引き継いだ。元久島海の田子ノ浦が急死した
とき、弟子は春日野(元栃乃和歌)部屋と
出羽海(元鷲羽山)部屋にわかれて引き取ら
れた。碧山はそのときの弟子である。また、
三保ヶ関(元増位山子)部屋閉鎖のときにも
弟子を引き受けている。

・九重(元千代大海)部屋
九重部屋のルーツは出羽海部屋である。九重
部屋をおこした元千代の山は出羽海(元常ノ
花)部屋出身の力士である。元常ノ花の出羽
海亡き後、後継を争ったのが元出羽ノ花と
元千代の山であった。このときは元千代の山
がまだ若いということもあり、元出羽ノ花に
落ちついた。元千代の山の九重は次の出羽海
は自分という思いがあった。

ところが、大関佐田の山が出羽海の市川家に
婿入りしたのだ。部屋の名義は横綱佐田の山
のものになっていた。これで九重の出羽海
継承の可能性は完全になくなった。九重は
独立の腹を固めた。出羽海部屋には6代出羽
海(元両国=前名国岩)の代から分家独立を
許さずという不文律があった。九重が独立
した場合、同郷の北の富士、禊鳳、松前山の
気持ちを確認する必要があった。特に上京
したとき九重がわざわざ駅まで出迎えた北の
富士が重要ポイントであった。九重は、秀の
山(元笠置山)を通じて独立を申し入れた。

<九重破門独立を報じる「大相撲」 読売新聞社刊より>

親方衆がすわるなか、大広間で出羽海はこう
いった「君の申し入れた部屋の分離を承認
する。ただし、要求した力士のなかに親が
反対している者が3人いるから残すように。
あとはよろしい」英断だった。九重の申し
入れがほぼ受けいられたカタチになった。
だが、出羽海はこう続けた。「分離によって
君と所属力士は出羽海、春日野といった一門
からはずす。いいな」名門からの破門であっ
た。

九重部屋は元前田山によって高砂一門に加わ
ることになった。この九重部屋から元北の富
士の井筒部屋が独立している。だが元千代の
山が51歳で亡くなったため、九重部屋と井筒
部屋を併合して新生九重部屋をスタートさせ
た。弟子の千代の富士が引退するとしばらく
して部屋を譲った。元千代の富士ががんで
急死すると、弟子の千代大海が部屋を継いだ。
九重部屋は千代の山-北の富士-千代の富士
-千代大海と続いている。

天気が不安定です。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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