大相撲– category –
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大相撲
横綱の対大関戦の成績11
26歳で横綱に昇進した千代の富士の力士生命 は予想以上に長かった。36歳直前まで相撲を 取った。横綱在位59場所、皆勤46場所はとも に大鵬をわずかながら超えた。横綱千代の 富士の対大関戦は158番に及び、大鵬の142番 を超えて、この時点でトップに立った... -
大相撲
減少した横綱・大関リーグ戦
今年に入って2場所経過した。一月場所0、 三月場所2といったら何の数字かおわかり だろうか。実はこれ、横綱・大関リーグ戦の 数字なのである。 一月場所、白鵬・鶴竜の両横綱が、序盤戦 から途中休場した。出場したのは大関貴景勝 と豪栄道の2人であ... -
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高砂の系統7
引き続き3代高砂(元2代朝潮)の下で分家 独立した部屋をみていこう。 昭和4年3月場所で引退した阿久津川(最高 位前頭筆頭)が引退し、佐渡ヶ嶽部屋をおこ した。現役のときから内弟子として育てた 力士に男女ノ川がいたが、なかなか移籍でき なかっ... -
大相撲
現代大相撲事情
大相撲が学生と外国人が占めるようになっ て久しい。豊山(前名内田)が登場したとき は、学生出身は豊國くらいだった。ハワイ 出身の高見山が入幕したのは、昭和43年一月 場所だった。次に入幕した外国出身力士は、 小錦で約6年半後だった。いまや大相撲... -
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横綱の対大関戦の成績10
32歳、遅咲きの横綱琴櫻は短命であった。 横綱在位8場所、皆勤は6場所であった。 横綱優勝は1回であった。それだけに対大関 戦は少なく、8勝10敗(1不戦敗含む)の 成績であった。最多対戦は大関大麒麟で3勝 3敗(1不戦敗含む)であった。次が大関... -
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高砂の系統6
3代高砂の後継をめぐり、綾川(前名響矢) を支持した元浪ノ音の振分は出羽海一門へ 移籍した、と前回記述した。振分は昭和に 入って振分部屋をおこした。昭和15年1月 から、養子の玉ノ井(元陸奥錦)に弟子を 譲り、玉ノ井部屋としてスタートすることに... -
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高砂の系統5
高砂の後継争いは2代朝潮と綾川(前名響矢) の争いとなった。大正3年夏場所の番付では 2代朝潮は関脇で翌場所大関に昇進している。 綾川(前名響矢)は入幕2場所目であった。 なお、綾川は複数いて、江戸時代の綾川は 陣幕によって横綱免許を受けた力... -
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横綱の対大関戦の成績9
佐田の山は大関時代が長かった。17場所かか って横綱に昇進した。昇進したときは部屋別 総当たり制になっていた。佐田の山で特筆 すべきことは弟弟子であった北の富士が、 元千代の山の九重が出羽海部屋から独立する にあたり、行動をともにしたことで対戦... -
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20歳以下の新入幕力士13
■若ノ鵬 入門したら、土俵入りから始まると思って いたロシア連邦出身の力士。露鵬の口利きで 元2代目若乃花の間垣部屋に入門。序ノ口 から2年半で入幕した。2007年十一月場所、 19歳のときであった。しかし、力士生命は 短かった。2008年8月、大麻所持... -
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横綱の対大関戦の成績8
大鵬は21歳で横綱になり、9年4場所横綱を 務めた。そのうち皆勤は44場所であった。 これまでの横綱で対大関戦の最高対戦回数は、 栃錦の45番であった。大鵬は、50番はおろか 100番を超えて142番という途方もない記録を 達成した。成績がまた、すごかった... -
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高砂の系統4
2代高砂(元高見山宗五郎)の下では多くの 分家が創設されていった。前回に引き続き みていこう。幕内格行司木村一学は明治34年 6代若松を襲名し、部屋を開いた。昔は行司 も年寄になれた。栃木山の前の春日野は木村 宗四郎だし、横綱柏戸の前の鏡山は5... -
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横綱の対大関戦の成績7
栃錦は少年時代、兄弟子のいいつけで質屋に 行かされた。これを知った師匠の春日野(元 栃木山)は「あんな少年を質屋にいかせる なんてかわいそうに」と思い、親方の付け人 とした。栃木山は生活すべてを相撲に直結 させた方である。「寝るときは海老のよ... -
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横綱の対大関戦の成績6
鏡里は初優勝後に横綱に昇進した。横綱は チャンピオンではないチャンピオン同様の 成績を何度もあげて初めてなれるものだ。 という横綱格下げ論が起きたときの世論で ある。鏡里の横綱について横綱審議委員は 時期尚早だったが、協会は決定してしまった。... -
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高砂の系統3
風雲児高砂浦五郎は、明治16年5月ついに 取締の座についた。明治24年永久取締を 宣言すると雷(元初代梅ヶ谷)らの猛反発を 招き、取り消さざるを得なくなった。高砂の 専横はついに力士のクーデターを招き、つい に退任せざるを得なくなった。明治29年1... -
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20歳以下の新入幕力士12
■朝青龍 平成13年一月場所20歳で新入幕を果した。 明徳義塾高校に留学し、相撲部で活躍した。 高校を中退して若松(元朝潮=前名長岡) 部屋に入門した。序ノ口から9場所で十両 入り。十両2場所で入幕というスピード出世 だった。大関の初陣は22歳直前で... -
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横綱の対大関戦の成績5
前田山は横綱としては弱いイメージが強い。 横綱時代の大関戦は3勝5敗と負け越して いる。佐賀ノ花に1勝3敗である。昭和22年 秋場所、大関名寄岩戦がなかった。名寄岩が 全敗だったため、組むのをためらったのかも しれない。なお、横綱照國、大関佐賀... -
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高砂の系統2
巡業はともかく、東京で興行をおこなう組織 が相撲会所と高砂改正組が存在することに なった。今と違い相撲会所に国技館はないし、 放送のバックアップもない時代である。この あたりが昭和の春秋園事件と異なる点である。 東京に2つの相撲組織はまかりな... -
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高砂の系統1
高砂の系統は正確性から難しいテーマとなる だけにこれまで発表を控えてきた。だが、 いつまでもそれではいけない、と明らかに していくときがきたようである。高砂部屋 から何をイメージするだろうか。突き押しの パワー相撲力士=前田山、朝潮(前名米川... -
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横綱の対大関戦の成績4
双葉山が横綱として登場した昭和13年春場所 は、系統別総あたりであった。ところが昭和 15年から東西制に逆戻りした。その結果大関 照國戦は一番失われ、1番になった。また、 昭和18年から19年まで対戦側の方屋に大関が いない時期があった。 <双葉山の... -
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20歳以下の新入幕力士11
■武蔵丸 小錦、曙に続く第3のハワイ勢として、平成 3年十一月場所20歳で入幕した。このとき 小錦は大関、曙は筆頭だった。新入幕、11勝 4敗で敢闘賞を受賞して、上位に進んだ。 ところが、上位で勝ち越していくのだ。上位 の壁などないが如く、小結にな... -
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横綱の対大関戦の成績3
常ノ花は大関8場所勤めた後横綱に昇進した。 大正13年夏場所が横綱初陣である。昭和2年 の東西合併にともなって昭和2年から昭和 7年まで年4場所となった。それだけに、 大関との対戦数は増加した。それでも対戦 した大関は3人しかいない。大関太刀光... -
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20歳以下の新入幕力士10
■小錦 昭和59年七月場所、20歳で入幕。黒船来航と 戦風を起こしたのは翌場所であった。圧倒的 パワーで2横綱、1大関から勝利。最後に 大関琴風が止めた。12勝3敗の好成績を残 した。一方13勝2敗で優勝した多賀竜は2大 関と対戦しただけという不公平さ... -
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横綱の対大関戦の成績2
太刀山は、大関4場所を経て横綱になった。 明治44年夏場所横綱として登場。大関と対戦 したのは3人しかいない。同じ方屋同士は 対戦しないため、どうしても大関との対戦は 限定される傾向がある。1人目は駒ヶ嶽で ある。大関駒ヶ嶽には4勝と圧勝してい... -
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北玉時代10
昭和46年九月場所が終了して、今度こそ手術 のはずが、そうはいかなかった。一門の大先 輩大鵬の引退相撲が10月2日に控えていた。 大鵬最後の土俵入りの太刀持ちを務めなけれ ばならなかった。結局玉の海が入院したのは 10月4日であり、手術は6日になっ... -
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20歳以下の新入幕力士9
■北天佑 足腰、均整の取れた体、持っている素材は 素晴らしく、新弟子のころから将来の大関・ 横綱候補であった。昭和55年十一月場所に 20歳で新入幕を果した。16場所関脇以下に いながら、優勝1回、殊勲賞2回、敢闘賞 4回、技能賞1回受賞した。小結4... -
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横綱の対大関戦の成績1
横綱は大関の次の地位ではない。特別な地位 であり、大関とは差がある、という見方が ある。それでは実際横綱の対大関戦の成績は どうなのか。横綱といってもピンからきり までいるし、横綱を目指す勢いのある大関は 強豪かもしれない。対象は横綱が実質地... -
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北玉時代9
昭和46年七月場所、玉の海は全勝優勝、北の 富士は8勝7敗に終わった。玉の海の相撲は 安定して来た。右四つの型と腰で取る相撲は 取りこぼすことは、ほとんどなかった。同時 期のライバル北の富士は不安定さをともなっ ていた。NHKの解説者神風氏は「... -
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20歳以下の新入幕力士8
■若三杉 のちの2代目若乃花。甘いマスク、柔らかい 足腰、颯爽たる取口で素材は抜群だった。 人気も急上昇。どこまで実績を築くか、期待 は大きかった。昭和48年十一月、20歳で入幕。 元安芸ノ海は北の富士クラスに成れるとみて いた。23歳で大関に、25歳... -
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北玉時代8
昭和46年五月場所が5月9日から始まった。 初日大鵬は積極的に栃富士を攻めていったが、 尻からくずれるもろさを露呈した。早くも 1敗。その栃富士は2日目から11連敗という さんざんな成績だった。NHK解説者の玉の 海梅吉氏は「食いなれないものを食... -
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20歳以下の新入幕力士7
■錦洋 黒姫山と同様昭和44年七月場所新入幕。19歳 であった。大受、吉王山と同期で期待のホー プであった。入幕5場所目に技能賞を受賞。 翌場所大鵬から金星を獲得している。昭和 47年4月、井筒部屋の後継者争いで、後継者 になれなかった君ヶ浜(元鶴ヶ... -
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北玉時代7
明けて昭和46年一月場所が1月10日から始ま った。蔵前国技館はこの場所から暖房設備が 完備となった。入場料は 一月場所から値上げ となった。一人分の料金は以下である。 特別席2千円→3千円 特い 千6百円→2千3百円 特ろ 千3百円→千7百円 特は ... -
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20歳以下の新入幕力士6
■長谷川 長谷川が入幕したのは、部屋別総あたり制が 始まった昭和40年一月場所であった。20歳の ときである。長谷川は本名である。「琴」の 字はつかないが、佐渡ヶ嶽(元初代琴錦) 部屋の力士である。大関候補であっただけに 実績はすごかった。小結9場... -
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北玉時代6
長い夏巡業を終えて昭和45年九月場所が始ま った。北の富士、玉の海、大鵬の3横綱は そろって出場。先場所7枚目で11勝4敗の 貴ノ花が初めて小結に上がってきた。20歳の 若武者は初代若乃花の実弟という七光りを 離れ、逞しさを身につけてきていた。私生... -
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20歳以下の新入幕力士5
■信夫竜(海乃山) 信夫竜は入幕時の名前で海乃山のほうがよく 知られている。その海乃山にしても海力山 (かいりきざん)で届けたら番付が海乃山に なっていたという。それなら海乃山でいいや ということで、これで通した。昭和36年一月 場所、20歳で入幕... -
大相撲
北玉時代5
昭和45年五月場所、横綱2場所目の北の富士 は好調だった。12日目まで全勝。玉の海は 1敗。大鵬はすでに3敗で優勝戦線から1歩 後退していた。13日目から横綱リーグ戦に 突入していった。13日目北の富士対玉の海戦 が組まれた。北の富士あたって突っ張り... -
大相撲
20歳以下の新入幕力士4
■富樫 のちの横綱柏戸である。若秩父と同じ昭和 33年9月場所19歳で入幕した。新入幕大鵬の 連勝止め役に抜擢されるが、8場所入幕が 早かった。大関になったのが21歳、横綱に なったのが、23歳であった。前褌を取って 走る柏戸は速攻で取るタイプであった... -
大相撲
北玉時代4
玉乃島は横綱になるにあたり、玉の海の四股 名を希望した。玉ノ海は玉錦の弟子であり、 NHK相撲界説者の四股名であった。また、 師匠である片男波が現役時代玉乃海を名のっ ていた四股名でもある。当時の相撲ファンは 何でいまさら改名しなければならな... -
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20歳以下の新入幕力士3
昭和戦後をみていこう。 ■千代ノ山 戦後の大相撲の復興は千代ノ山にかかって いた。その期待にそうように昭和20年秋場所、 19歳で新入幕を果した。新入幕の場所いき なり10戦全勝した。強烈な存在感を示した。 突っ張りを得意としたが、特に右が強烈だっ ... -
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北玉時代 番外
昭和45年一月場所後北の富士と玉乃島は同日 横綱に昇進した。よく同時昇進という表現を 使用するが、1つの組織が2つの件を物理的 に◆時□分■秒まで狂いなく決定できるだろ うか。大関で連続優勝した北の富士が先に 決まったとみるのが自然である。また、... -
大相撲
20歳以下の新入幕力士2
引き続き昭和戦前をみていこう。 ■双葉山 双葉山の場合、春秋園事件による力士大量 離脱が影響している。本来なら十両6枚目で あるはずが、幕内40人中29人が脱退したの だから、番付を編成し直してもいかにも人が 少なかった。そのため、双葉山は急遽繰り... -
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北玉時代3
昭和44年十一月場所は1横綱、4大関でスタ ートした。横綱大鵬は6勝3敗から休場。 8日目関脇前の山戦で左ひざを痛めてしまっ た。この場所は大関北の富士の独走となった。 「清國一人に甘い蜜を吸わしてなるものか」 燃える要素があるときの北の富士は... -
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小兵列伝4 栃ノ海
大鵬・柏戸の大型力士に割ってはいったのが 春日野(元栃錦)部屋の小兵栃ノ海である。 前名は本名の花田で取っており、青森出身で ある。それだけに初代若乃花との親戚関係は、 と思われたが、それはなかった。両親がりん ご園を経営していたことも共通し... -
大相撲
20歳以下の新入幕力士1
ホープ中のホープ琴勝峰が三月場所十両優勝 を決めて入幕を果した。20歳という若さで ある。前途洋洋、どこまでのぼりつめるか、 期待は大きい。20歳以下で入幕した力士は 琴勝峰だけではない。どんな力士がいるか 調べてみた。対象は明治42年夏場所、国技... -
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北玉時代2
昭和44年九月場所、横綱は大鵬一人、大関は 先場所優勝した清國が東正大関で、琴櫻、 北の富士、玉乃島と続いた。大関ではこれ まで琴櫻が2回、あとは1回優勝があるだけ であった。九月場所は7日目までに大鵬が 7連勝、琴櫻・玉乃島が1敗、清國・北の... -
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新大関3場所の通信簿6
<新入幕朝乃山> 琴欧洲が大関になったとき2つの思いがあっ た。時代を築くか、朝青龍の引き立て役で 終わるか。新大関3場所の成績で答は出て しまった。逸材はすばらしかった。それだけ に優勝回数、横綱になれなかったことはもっ たいなかった。 <琴... -
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北玉時代1
北玉時代、北はNHK解説者の北の富士さん である。玉は悲劇の横綱玉の海である。同日 に横綱になった2人は、ともに中型の横綱。 北の富士は左四つ速攻で取るタイプ、玉の海 は右四つの型、腰で取る相撲。大型で大味な 相撲の大鵬、柏戸とはタイプが違っ... -
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2020年5月相撲部屋事情
五月場所の番付が発表されて久しい。三月 場所は就職場所といわれ、多くの新弟子が 入ってきた。五月場所の番付に掲載された 力士数は幕内42人、十両28人幕下以下が625 人である。この中には引退した豊ノ島、亡く なられた勝武士が含まれている。ほかに番... -
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新大関3場所の通信簿5
<新十両の朝乃山> 千代大海は関脇のとき13勝2敗で優勝して 大関に昇進した。それも横綱3代目若乃花 相手に千秋楽、本割、優勝決定戦を制しての 逆転優勝だった。それが大関になったとたん 勢いが失われた。大関2場所目で早くも公傷 である。大関の公... -
大相撲
横綱の現役死亡
力士の現役死亡は勝武士だけではない。特に 横綱は興行上影響が大きい。横綱現役死亡は 3例ある。ただし、丸山は解釈による横綱で あって、確実性が乏しいため、ここでは取り あげない。なお、丸山は疫病にかかって36歳 で死亡している。 ■谷風 事実上の... -
大相撲
悲劇に包まれた相撲界
衝撃のニュースが飛び込んできた。新型コロ ナウイルスで入院していた現役力士が13日 午前0時半に亡くなられたのである。死因は 新型コロナウイルス性肺炎による多臓器不全 であった。その力士は勝武士で、28歳という 若さであった。勝武士は高田川(元安... -
大相撲
新大関3場所の通信簿4
<2017年1月 幕下優勝した石橋(朝乃山)> 時代は昭和から平成へ移ろうとしていた。 大関の代では霧島が平成誕生の大関であり、 横綱では旭富士が平成誕生の横綱である。 琴風のモットーは「与えられた立場で最大限 の努力をする」である。地位に対する責... -
大相撲
横綱の連続優勝なし場所数7
朝青龍が横綱に昇進したとき、横綱は武蔵丸 一人であった。武蔵丸は休場がちで5場所 一緒だったが、実質は朝青龍の一人横綱で あった。朝青龍は白鵬が横綱に昇進する2007 年五月場所まで実質26場所一人横綱であった。 この間18場所優勝している。その後5... -
大相撲
新大関3場所の通信簿3
<2016年9月 右 幕下時代の石橋(朝乃山)対戦相手高立> 昭和40年一月場所より部屋別総あたり制が 始まった。これは現在まで続いている。大鵬 対玉乃島、栃ノ海対佐田の山戦などが実現 している。初日小結玉乃島が横綱大鵬を内賭 けで倒すという波乱で始... -
大相撲
新大関3場所の通信簿2
<三段目付出し時代の石橋(朝乃山)> ここからが15日制定着以降なので、比較しや すくなる。特に大関昇進前3場所と昇進後 どう変わったかが明確になる。特に最高位 大関の場合、「大関の法則」によって下降 する方向は否めない。取組が系統別総あたり ... -
大相撲
新大関3場所の通信簿1
新大関朝乃山の初陣は五月場所の中止で先送 りになった。新大関ともなると通常はひいき 筋にひっぱりまわされることがあるが、新型 コロナウイルスの影響でそれはなさそうで ある。心配は稽古である。出稽古、申し合い、 ぶつかりといった本格的な稽古がい... -
大相撲
横綱の連続優勝なし場所数6
曙は横綱不在のとき誕生した横綱である。 外国人初であった。大関小錦のとき、外国人 横綱はいらない、という文が発表されたこと があった。それをめぐって外国人差別だと 騒動がおきた時代であった。そういうクッ ションがあったことと、曙が連続優勝した... -
大相撲
幕内復帰照ノ富士の予想対戦相手を検証
照ノ富士が2018年一月場所以来の幕内復帰を 果した。幕内の最後は4場所連続途中休場で あっという間に十両落ちした。元大関は十両 で取ることはほとんどなく、引退するケース が多かった。照ノ富士は26歳という若さだっ ただけに、ひざさえある程度治れば... -
大相撲
名古屋本場所あれこれ
今年の七月場所は東京開催に決定した。近隣 地方の方、熱心な遠征相撲ファンにとっては 誠に残念な決定となってしまった。昭和33年 から正式に始まった名古屋本場所は、歴史的 に一番新しい本場所と紹介したメディアが あった。それは間違いないが、九州福... -
大相撲
大相撲中止・無観客開催の波紋
五月場所の中止が公益財団法人日本相撲協会 から正式に発表された。新たなお知らせと して七月場所は無観客開催を目指すこと。 また、東京開催に踏み切った理由は、大集団 の移動、移住による地元への配慮からである。 さらに、九月場所後の秋巡業の中止を... -
大相撲
中止に追い込まれた五月場所
五月場所の中止が決定的になった。新型コロ ナウイルスの猛威は収束する気配がなく、 非常事態宣言が5月31日まで延期されること になった。プロ野球、Jリーグは開幕できる 状態ではない。インターハイは中止になった。 こうしたなか、大相撲だけが開催で... -
大相撲
白鵬の対戦50回以上
無観客開催となった三月場所千秋楽、優勝を かけた相星決戦の白鵬対鶴竜戦は、本割50回 対戦となった。50回対戦するということは、 最短でも8年2場所かかる。両力士が、力士 生命が長く、地位が近くないとできないこと である。さらに一方あるいは両方が... -
大相撲
歴史的瞬間!連勝ストップ7
■白鵬 白鵬が横綱になっての初陣は2007年七月場所 であった。このとき先輩横綱に朝青龍がいた。 すでに20回優勝していた。この後2年4場所、 白鵬と朝青龍を中心とする優勝争いが続いた。 白鵬が優ったカタチではあったが、朝青龍の スピードと集中力はあ... -
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豊ノ島の相撲人生4
アキレス腱切断によって、幕内、十両と2場 所連続全休となって番付は一気に幕下まで 落ちた。先人でアキレス腱切断を経験した 龍虎は土俵上でのケガだった。その場所途中 休場したあと幕内、十両、幕下と3場所連続 全休している。豊ノ島は2016年十一月場... -
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比較!5年前と現在の番付
<2015年五月場所番付> 5年後の番付を予想することは容易ではない。 予測を超えることも多々あり、判断は困難を を増す。そこで5年前、つまり2015年五月 場所の番付と現在の番付を比較してみること にした。参考までに年齢を書き加えた。年齢 は場所中... -
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横綱の連続優勝なし場所数5
ウルフ千代の富士は若いころ脱臼癖があった。 それを克服しない限り将来はなかった。彼は 筋肉の鎧をつけて克服した。相撲は投げ中心 から前褌をひいて出る相撲に変えた。短期間 でめきめき強くなった。1年間で関脇・大関・ 横綱優勝を経験している。千代... -
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琴勝峰の出世街道
若手期待のホープ琴勝峰が入幕を果した。 わくわく感は半端ではない。3月26日「次の 大関は誰」でこう記した。短期間のうちに 大関が誕生することは考えにくいのが現代 大相撲である。琴勝峰は弱冠20歳である。 幕下でも20歳以下は数えるほどしかいない ... -
大相撲
2020年五月場所番付を読み解く
五月場所の番付が発表された。異例なのは 初日予定が5月24日ということである。番付 は場所を盛り上げる意味があり、あまりにも 前倒し過ぎる。もっとも本当に開催できる のかという不安定要素をともなっている。 開催は困難という見方が支配的である。 ... -
大相撲
避けたい!大相撲を危険にさらすこと
4月10日、幕下以下の力士一人がPCR検査 の結果、新型コロナウイルスで陽性反応が でた。当初は一人だけか、という意識があっ たことは否めない。ところがそれから約半月 後、仰天するようなニュースがとびこんで きた。高田川(元安芸乃島)部屋で親方... -
大相撲
豊ノ島の相撲人生3
2010年七月場所の出場停止で、豊ノ島は一気 に十両に落ちた。十両落ちは3度目になった。 だが、十両では実力が違った。豊ノ島は14勝 1敗で優勝した。1場所で幕内に復帰した。 迎えた十一月場所、注目は白鵬の連勝記録で あった。先場所まで62連勝と双葉... -
大相撲
横綱の連続優勝なし場所数4
燃える要素があると強いのが北の富士であっ た。初優勝は元千代の山の九重が出羽海部屋 から破門独立した直後という劇的な優勝で あった。2度目は清國の新大関優勝に刺激 されて、一気に横綱を決めたときであった。 大関在位は21場所と長かった。大鵬は晩... -
大相撲
歴史的瞬間!連勝ストップ6
■千代の富士 千代の富士の連勝記録は横綱34場所目から 始まった。32歳から33歳にかけてである。 年6場所時代の横綱では、かなり異例である。 大鵬も北の湖もこの年齢になる前に引退して いる。千代の富士が連勝したとき、横綱は 北勝海と大乃国であった。... -
大相撲
横綱の連続優勝なし場所数3
あの体では三役になれないといわれた栃錦が、 大関で連続優勝して横綱にまで昇進した。 大関になるまでは、左右の変化、多彩な技の 相撲だった。大関後半から寄り、押しを中心 とする相撲に変わってきていた。横綱になっ たときは106キロであった。横綱で... -
大相撲
豊ノ島の相撲人生2
2007年一月場所、豊ノ島は前頭9枚目で12勝 3敗の好成績で敢闘賞、技能賞を受賞した。 初の三賞がダブル受賞となった。12勝のなか で、今も現役の力士は鶴竜一人となっている。 13年前以上のことになる。 この好成績で翌三月場所はいよいよ横綱・ 大関と... -
大相撲
横綱の連続優勝なし場所数2
羽黒山は双葉山の弟弟子で、双葉山が現役の ときは、かげに隠れたところがあった。だが、 戦後4連覇するなど強豪力士であった。筋肉 が、たくましく、仁王のような体形であった。 昭和23年の巡業中にアキレス腱を2度切って 夏場所から3場所全休。このと... -
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新大関の年齢番付
新大関の誕生。それは新しい力の躍動、新し い英雄の出現である。朝乃山は26歳で大関に なった。これまで同じ学生出身の輪島、豊山 (前名内田)の年齢と比較してきた。新大関 のなかの位置づけはどうなのか。改めて調査 してみた。 <新大関朝乃山> 対象... -
大相撲
豊ノ島の相撲人生1
豊ノ島が引退した。昨年の七月場所幕内から 5場所連続負け越しで、最後は幕下だった。 36歳になっていた。6月末には37歳になる。 ここから十両復帰を目指すのは、限界であっ た。豊ノ島の決断を尊重したい。本当にお疲 れ様でした。約18年の土俵人生であ... -
大相撲
横綱の連続優勝なし場所数1
3場所連続休場、負けた相撲に不安を感じ させた横綱鶴竜は、三月場所を12勝3敗で のりきった。鶴竜といえば、もう一つ気に なる点がかつてあった。それは新横綱の場所 から8場所連続優勝なしでやきもくさせた ことである。そこで横綱の連続優勝なし記録... -
大相撲
小兵列伝3 初代若乃花
若乃花は入幕時77キロ、新小結で83キロ、 新大関で94キロ、最高でも107キロであった。 それでいて、150キロ級の照國、東富士、 鏡里、吉葉山、三根山、大内山、松登を相手 にしてきた。小さくても頭をつける相撲は 取らなかった。左四つ右上手を取れば強さ... -
大相撲
1年を経過した炎鵬
昨年五月場所入幕した小兵炎鵬は三月場所で 1年経過した。体重は100キロ未満で重量級 力士と対戦するのだから、注目は最大級で ある。それでなんとか健闘するのである。 人気がでて当然である。いつの時代も人気 力士はいる。古くは双葉山、土俵の鬼若乃... -
大相撲
四股名あれこれ ~の山
朝乃山が大関に昇進したことで、四股名にも 強さが感じられるようになってきた。四股名 の響は結局その力士次第である。四股名と いえば~山が多いようなイメージがあるが、 朝乃山のように~の山となるとぐっと限定 されてくる。そこで幕内力士に限定して... -
大相撲
横綱の連続12勝以上3
曙は若貴と同期だが、横綱は先駆けて昇進 した。曙の爆発力、破壊力は若貴にないモノ であった。曙の連続12勝以上は引退2場所前 に記録した5場所連続が最高である。優勝は 2回。そのせいか、曙の引退は体力の限界と いう印象はなかった。師匠東関(元高... -
大相撲
小兵列伝2 栃錦
栃錦は後年こそ130キロで寄り、押しを中心 とする相撲を取ったが、入幕したときは75キ ロあるかないかであった。栃錦が入幕した のは昭和22年夏場所である。奇しくも鏡里と 岩平(のちの吉葉山)が新入幕であった。 また、この場所から優勝決定戦が始まり... -
大相撲
プロとして不成立に繋がる読めない興行
新型コロナウイルスほど全世界を病の恐怖と 経済衰退といつおさまるのかわからない将来 不安へとかりたてるものはない。大相撲とて 例外ではない。幕下以下の力士が陽性と判明 するとスポーツ新聞の見出しは五月場所(実 際は6月までかかる予定だが)を懸... -
大相撲
史上最悪の困難に陥った大相撲
新型コロナウイルスはますます拡大している。 東京都周辺をはじめ、大阪、兵庫、福岡では 緊急非常事態宣言が発令する事態になった。 感染は各スポーツ選手に及び開幕のめどが たたない状況に追い込まれている。それが 相撲界にも及ぶのか。4月9日のスポ... -
大相撲
歴史的瞬間!連勝ストップ5
■大鵬 大鵬の連勝は2度とも34連勝で終わっていた。 大鵬が24歳、26歳のときである。双葉山の 69連勝はるかに遠い数字であった。大鵬を もってしても連勝は容易なことではなかった。 それどころか、大鵬に一大ピンチが訪れた。 5場所連続休場である。 11... -
大相撲
横綱の連続12勝以上2
輪島が横綱2場所目から27連勝したときは、 敵なしの強さがあった。だが、27連勝目の 貴ノ花戦で指の間を裂傷したことで勢いは 衰えた。このときは4場所連続12勝以上を 達成している。優勝は3回である。その後 2場所連続12勝以上があったが、その後6場... -
大相撲
横綱の連続12勝以上1
横綱は常に優勝を争い、最低でも12勝をあげ なくては務まらない。それでは横綱は、連続 12勝以上は何場所あるのだろうか。連続に 限って調査してみた。15日制の横綱は千代の 山以降だが、東富士が横綱2場所目から15日 制なので東富士以降をみていこう。 ... -
大相撲
歴史的瞬間!連勝ストップ4
■双葉山3 昭和13年夏場所、先場所小結だった前田山が 関脇をこえ、大関に昇進した。武蔵山が横綱 として最初で最後の皆勤となった。双葉山は 最高峰の東の正横綱となった。この場所も 双葉山は連戦連勝。安定した相撲が続いた。 敵なしである。双葉山に善... -
大相撲
大相撲の屋台骨をゆるがすウイルス
大相撲の五月場所、七月場所が2週間延期に なった。しかし、これが決定ではなく、便宜 的処置であるのは明らかである。新型コロナ ウイルスは3月より拡大する一方である。 肺にいたればかなり危険なようである。外出 自粛要請は東京ではすでに出ている。... -
大相撲
歴史的瞬間!連勝ストップ3
■双葉山2 新大関として迎えた昭和12年春場所は、空前 の人気で迎えた。初日、開場が午前0時半。 ほかの日でも開場午前3時、7時には満員 札止めがあったほどである。3横綱3大関 の顔ぶれに加えて新大関鏡岩、新関脇に出羽 湊・笠置山であった。特に先... -
大相撲
歴史的瞬間!連勝ストップ2
■双葉山1 双葉山といえば、69連勝が最も有名である。 双葉山が69連勝を達成したのは、昭和14年 1月14日である。それから81年以上経つが、 いまだ破られていない。大相撲史上最高の 連勝記録として、さん然と輝いている。 <双葉山のブロマイド> 連勝記... -
大相撲
大関昇進2場所前の1ケタ勝利
3月26日「次の大関は誰」というテーマで 次のように記した。一月場所13勝した正代は 三月場所8勝に終わった。勝ち越しはりっぱ だが、連続2ケタの持続性はなかった。いか にも正代の大関はなくなったように書いた。 しかし、歴史的には大関昇進2場所前... -
大相撲
小兵列伝1
三月場所、炎鵬は研究され、苦戦の連続だっ た。一月場所は遠藤、豪栄道、朝乃山、高安、 阿炎から勝利した。だが、三月場所では引退 した豪栄道、途中休場した高安、対戦がなか った阿炎を別にすると初対戦の横綱鶴竜、 大関貴景勝、関脇朝乃山・正代、小... -
大相撲
歴史的瞬間!連勝ストップ1
連勝。それは強いだけではできない。選ばれ し者だけがなしうる金字塔である。双葉山は いつまで勝ち続けるのか。双葉山は100連勝 を目指しているのでは。双葉山を倒すのは 誰だ。いつの時代にもこういう声はある。 相撲ファンは英雄を崇拝しつつも、誰が ... -
大相撲
朝乃山 横綱の可能性を探る
朝乃山が大関に昇進した。こういう勢いが あるときは、次は横綱という声がでてきても 不思議ではない。これは豪栄道が大関に昇進 したときにも聞かれた。「次は横綱だ」と。 しかし、豪栄道は1ケタ勝利が多く、横綱は 遠かった。栃東は大関のとき、優勝を... -
大相撲
蒼国来の空白期
<最後の一番 対戦相手は千代翔馬(右)> 東幕下筆頭を最後に蒼国来が引退した。部屋 の荒汐(元大豊)親方の定年に伴い、部屋を 継いで新師匠となった。中国モンゴル自治区 出身では初の親方である。前相撲は2003年 九月場所である。序ノ口から幕下まで... -
大相撲
幕下のホープ2
三月場所の番付に基づき、次の基準で選んだ 幕下のホープを引き続きみていこう。 1.年齢が若い 幕下30枚目までは23歳以下 それ以下は22歳までとした 年齢は3月6日現在とした 2.幕下での成績(三月場所を含む) 幕下西28枚目 琴砲 ことおおづつと... -
大相撲
貴景勝失速!復活はあるのか
三月場所は休場がちの白鵬・鶴竜が皆勤した。 白鵬は優勝。鶴竜も12勝をあげ、横綱の面目 を保った。これはよかったのだが、一人大関 の貴景勝が7勝8敗と負け越してしまった。 それも白鵬戦がなくての成績である。あった としたら6勝9敗のほうが濃厚で... -
大相撲
次の大関は誰
大関候補の朝乃山が大関に昇進した。その 結果、大関候補はいなくなった。一月場所 13勝した正代は三月場所8勝に終わった。 勝ち越しはりっぱだが、連続2ケタの持続 性はなかった。実力者御嶽海は碧山、隆の勝 にまともに戦って負け、がっかりさせた。 ... -
大相撲
新大関朝乃山論
今の幕内で大関を目指せる力士は朝乃山しか いなかった。その朝乃山の大関が番付編成 会議及び臨時理事会で正式に決定した。大関 朝乃山の誕生である。伝達式では「大関の名 に恥じぬよう、相撲を愛し、力士として正義 を全うし、一生懸命努力します」と口...