横綱審議委員会。その誕生のいきさつはこう
だ。昭和25年春場所、羽黒山、東富士、照國
の3横綱総崩れにより序盤戦から休場。こう
した事態に世間の批難にさらされた協会は
あわてた。
1月20日の役員会で、横綱といえども2場所
連続負け越したら大関に落とすということを
決定した。いわゆる横綱格下げである。とこ
ろが思いもよらない反響が待ち受けていた。
横綱格下げに対して世論が大反発したので
ある。「功なり名を遂げた者は力が衰えたら
引退するだけ。格下げはよろしくない」と
いうわけである。
これを受けて協会は、1月29日の取締、理事
監事、検査役が出席する番付編成会議で次の
結論に至った。
1.横綱格下げは弊害があるので白紙に戻す
2.5月の夏場所までに相撲愛好家、有識者
による横綱のいっさいを審議する横綱審議
委員会を設置する
こうして横綱審議委員会は誕生した。誕生
してから70年以上経過したことになる。
先の十一月場所後では休場の多い白鵬、鶴竜
に「注意」をしている。注意は2番目に重い
ということだが、一般からみると気をつけ
なさいというニュアンスである。かつて稀勢
の里には「激励」をしたが、これは応援団、
支援者がするものである。どうもこのあたり
の言葉は適切とは思えない。たとえば忠告-
訓戒-通告-引退勧告(引退要請)なら言葉
の重みが伝わってくる。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/11/白鵬鶴竜A-e1604711632776.jpg)
横綱に推挙する力士が出現したとき、協会は
まず横綱審議委員会に諮問する。横綱審議
委員会の最大の仕事である。横綱審議委員会
がOKを出してはじめて協会が最終決定を
する。こうして横綱は誕生する。それでは
横綱審議委員会誕生以降弱い横綱・物足り
ない横綱はなくなったか。というとそうでも
ない。その原因は横綱昇進の基準にある。
横綱昇進の基準は厳密には以下である。
一、横綱に推薦する力士は品格、力量が抜群
であること。
二、今後の横綱推薦に対しては、横綱審議委
員会が、大関で二場所連続優勝した力士を横
綱に推薦することを原則とする。
三、第二項に準ずる成績をあげた力士を推薦
する場合は、全委員の一致の決議を必要とす
る。(後3分の2に変更)
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/11/舟橋-e1606440475957.jpg)
まず、一が無視または軽視されている。本来
はこの項目だけで十分である。二の2場所
連続優勝であるが、年2場所時代ならいざ
しらず、年6場所制ではわずか3ケ月を切り
取っただけの成績である。勢いや強者不在の
状況では連続優勝してしまう。この基準が
適用された初代若乃花以降の横綱で連続優勝
したのは以下である。
大鵬
北の富士
琴櫻
旭富士
曙
貴乃花
若乃花
武蔵丸
朝青龍
白鵬
日馬富士
時代を築いた横綱は大鵬、貴乃花、朝青龍、
白鵬の4人である。彼らは力量抜群であった。
連続優勝で横綱に昇進した中には短命、横綱
優勝1あるいは0の横綱も含まれている。
横綱審議委員会は膠着しているように見える。
有識者で年配という印象が強い。そういう方
たちだけでは変化がとぼしくなる傾向がでて
くる。人によっては横綱審議委員会不要論を
言う方がいる。もっと年齢層を幅広くし、
女性を加えた組織にしてはいかがだろうか。
有識者だけが正論を言うとは限らない。
九州地方で放送された大相撲の企画番組を
見ました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。