大相撲

琴奨菊の土俵人生3

2008年、琴奨菊は2007年に続き6場所上位に
在位した。関脇3場所、小結1場所であった。
出場停止2場所の朝青龍が一月場所から復帰
した。一月場所は白鵬と朝青龍の両横綱が
千秋楽1敗で激突する相星決戦になった。
白鵬が上手投げで制して6回目の優勝を達成
した。三月場所、琴奨菊は朝青龍に真っ向
から寄り切って勝利した。優勝朝青龍からと
いうことで殊勲賞を受賞した。

<朝青龍を撃破>

2008年、琴奨菊は46勝42敗2休と勝ち越した。
横綱には1勝9敗、大関に5勝6敗であった。
横綱にはまだまだ通用しなかった。

2009年一月場所、日馬富士は大関としてデビ
ューした。琴奨菊の大関戦は3番となった。
2009年は上位には5場所在位であった。関脇・
小結各1場所と前年よりダウンした。三賞も
なかった。上位5場所に限定すると、36勝
39敗と負け越している。横綱には10敗と歯が
たたなかった。大関には5勝9敗であった。

<2009年の琴奨菊>

2010年、一月場所横綱朝青龍が事件をおこし、
この場所限りで引退した。また千代大海が
大関から降格していた。把瑠都が五月場所
から大関になった。また、大関琴光喜が野球
賭博で解雇になり、五月場所限りとなった。
そんななか、琴奨菊は上位に6場所在位した。
小結2場所、関脇1場所でまだ三役に定着
できなかった。年間48勝42敗、横綱戦0勝
7敗と1勝もできなかった。大関戦は10勝
6敗と初めて勝ち越した。

2011年、この年は八百長発覚により、三月
場所が中止になった。翌場所は技量審査場所
として、無料で開催された。ただし、チケッ
トは必要であった。技量審査場所については
2014年7月に7回にわたり検証している。
詳細を知りたい方はそちらをご覧ください。
七月場所は大関魁皇が引退した。

<2011年7月白鵬戦>

2011年は琴奨菊にとって三役定着の年であっ
た。一月場所関脇で11勝4敗、久々に三賞の
技能賞を受賞した。続く技量審査場所、同じ
く関脇で10勝5敗。迎えた七月場所11日目、
全勝できた白鵬と対戦した。この相撲で琴奨
菊は左四つから赤房下で寄り切ったのである。
久々の横綱戦勝利であった。この場所11勝
4敗で殊勲賞を受賞した。

<2011年9月白鵬戦>

3場所32勝となった琴奨菊だが、大関昇進の
声はなかった。12勝ならあり得たが、翌場所
大関をかけることになった。九月場所、琴奨
菊は初日から7連勝。13日目白鵬と対戦した。
白鵬1敗、琴奨菊2敗での対戦だった。白鵬
はなすすべなく、またも琴奨菊に屈した。
これで両者2敗で並んだ。だが千秋楽、琴奨
菊は大関把瑠都に敗れて、3敗で優勝を逃し
た。だが、3場所33勝で見事大関昇進を決め
た。

(この項目続く)

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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