大相撲

優勝からみた2020年

新型コロナウイルスに揺れた2020年。大相撲
も中止場所あり、無観客開催あり、観客制限
場所ありと影響を受けた。昭和33年、年6場
所制がスタートしたが、2011年以来年5場所
となった。その5場所を優勝から振り返って
みる。

<1月優勝徳勝龍>

これまで平幕優勝が2回あった年は3度
あった。最初は昭和47年の栃東と高見山で
ある。この年は一人横綱北の富士は4場所
乱調、大関陣はまったく頼りにならない存在
であった。2度目は平成3年の琴富士、琴錦
である。この年横綱千代の富士・大乃国が
あいついで引退した。残った横綱北勝海・
旭富士が不調、休場のときに平幕優勝されて
いる。3度目は平成4年の貴花田と水戸泉で
ある。横綱旭富士は一月場所引退。横綱北勝
海は休場続きで五月場所前に引退していた。
水戸泉の優勝は横綱不在時代であった。

今年も2回平幕優勝があり、4度目となった。
だが、徳勝龍、照ノ富士いずれも幕尻優勝と
いうのは大正15年優勝制度が協会設定で始ま
って初めてのことであった。さすがに年3場
所平幕優勝はなかった。

<7月優勝照ノ富士>

十一月場所、大関貴景勝が優勝した。大関の
優勝は2017年一月場所の稀勢の里以来であっ
た。場所にして21場所間隔があいての大関
優勝であった。

過去には昭和45年一月場所、大関北の富士が
3回目の優勝をして横綱昇進を決めて以降
16場所連続大関優勝なしの記録がある。横綱
大鵬・玉の海・北の富士の独占プラス混乱
場所が4場所続いて16場所連続大関優勝なし
となった。記録をストップしたのは大関琴櫻
であった。琴櫻は次の場所も優勝して予想に
反し、32歳で横綱に昇進した。

<11月優勝貴景勝>

それ以上の最高記録がある。昭和52年五月
場所、大関若三杉(のちの2代目若乃花)が
優勝して以降24場所連続大関優勝なしの時期
があった。横綱輪島・北の湖・2代目若乃花・
三重ノ海プラス関脇千代の富士が優勝し、
24場所大関優勝なしの最長記録が生まれた。
記録を止めたのは大関千代の富士であった。
その後千代の富士は横綱に昇進し、優勝31回、
53連勝、初の通算1045勝など数々の記録を
残した。

印象が薄くなったが、白鵬が三月場所優勝
した。白鵬は2006年に初優勝して以来毎年
優勝してきた。今年2020年で15年連続である。
ちなみに大鵬は12年連続毎年優勝、千代の
富士は10年連続毎年優勝の記録がある。

<9月優勝正代>

正代は関脇優勝して大関に昇進した。しかし、
新大関の場所は序盤で途中休場し、一転カド
番に追い込まれた。こうした例は曙(全休)
がいる。また関脇で優勝し、新大関で負け
越した男女ノ川がいる。千代大海は新大関の
場所途中休場しているが、公傷だった。曙は
カド番の翌場所は9勝6敗、男女ノ川は9勝
2敗の成績を残している。さて、正代はどう
いう結果となるのか。

暗くなるのが早い日々です。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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