大相撲

琴奨菊の土俵人生2

2006年五月場所、琴奨菊は初の上位を9勝
6敗で勝ち越した。ところが翌七月場所は
反動からか、3勝12敗と大敗した。入幕以降
最低の成績であった。番付を下げた九月場所、
10勝5敗で十一月場所は再び上位に番付を
戻してきた。大関白鵬は全休のなか横綱・
大関戦は4戦全敗であった。だが、関脇以下
に10勝1敗と脅威の成績を残した。7日目
からなんと9連勝している。

<2006年11月安馬戦>

2006年は49勝41敗で勝ち越した。上位は3場
所であった。横綱戦2敗、大関戦1勝10敗と
まだ通じなかった。大関1勝は途中休場した
栃東からであった。

2006年十一月場所前頭東2枚目で10勝をあげ
たが、2007年一月場所は東筆頭止まりだった。
関脇雅山・琴光喜が8勝7敗と勝ち越して
いた。小結は4人いたが、稀勢の里・露鵬が
8勝7敗と勝ち越していた。そのため小結に
なれず番付運がなかった。

明けて2007年一月場所、魁皇、栃東の大関に
勝って9勝6敗をあげ、三月場所は一気に
関脇に昇進した。しかし、7勝8敗と惜敗
した。大関栃東は11日目から休場し、五月
場所前に引退した。五月場所、琴奨菊は小結
であったがまたも7勝8敗と惜敗した。大関
白鵬は全勝優勝で横綱を決定的にした。七月
場所琴奨菊は5勝10敗で3場所連続負け越し
た。七月場所は東筆頭だったが、横綱朝青龍
戦はなぜかなかった。

<2007年1月栃東戦>

その朝青龍は負傷を理由に夏巡業を休んだ。
ところが母国モンゴルで元気にサッカーを
やっていた映像が日本で流れた。そのため、
朝青龍は2場所出場停止処分となった。また
琴光喜が七月場所後大関に昇進した。

九月場所は大関魁皇が途中休場したため、
横綱戦は白鵬、大関戦は千代大海のみであっ
た。そんななかで琴奨菊は10勝5敗の成績を
のこした。十一月場所、再小結で初日横綱
白鵬と対戦し、勝って殊勲の星をあげた。
横綱戦初勝利であった。成績も10勝5敗を
あげ、技能賞を受賞した。

<2007年11月技能賞受賞>

2007年は6場所すべて上位で47勝43敗と勝ち
越した。横綱戦1勝5敗、大関戦4勝11敗と
少し通用するようになってきていた。

(この項目続く)

全日本選手権の記事は小さいなあ。
興味深いテーマをこれからもお届けします

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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