2006年五月場所、琴奨菊は初の上位を9勝
6敗で勝ち越した。ところが翌七月場所は
反動からか、3勝12敗と大敗した。入幕以降
最低の成績であった。番付を下げた九月場所、
10勝5敗で十一月場所は再び上位に番付を
戻してきた。大関白鵬は全休のなか横綱・
大関戦は4戦全敗であった。だが、関脇以下
に10勝1敗と脅威の成績を残した。7日目
からなんと9連勝している。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/12/06九州幕内-185.jpg)
2006年は49勝41敗で勝ち越した。上位は3場
所であった。横綱戦2敗、大関戦1勝10敗と
まだ通じなかった。大関1勝は途中休場した
栃東からであった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/12/琴2A-1024x228.jpg)
2006年十一月場所前頭東2枚目で10勝をあげ
たが、2007年一月場所は東筆頭止まりだった。
関脇雅山・琴光喜が8勝7敗と勝ち越して
いた。小結は4人いたが、稀勢の里・露鵬が
8勝7敗と勝ち越していた。そのため小結に
なれず番付運がなかった。
明けて2007年一月場所、魁皇、栃東の大関に
勝って9勝6敗をあげ、三月場所は一気に
関脇に昇進した。しかし、7勝8敗と惜敗
した。大関栃東は11日目から休場し、五月
場所前に引退した。五月場所、琴奨菊は小結
であったがまたも7勝8敗と惜敗した。大関
白鵬は全勝優勝で横綱を決定的にした。七月
場所琴奨菊は5勝10敗で3場所連続負け越し
た。七月場所は東筆頭だったが、横綱朝青龍
戦はなぜかなかった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/12/0701初幕内-396栃東戦.jpg)
その朝青龍は負傷を理由に夏巡業を休んだ。
ところが母国モンゴルで元気にサッカーを
やっていた映像が日本で流れた。そのため、
朝青龍は2場所出場停止処分となった。また
琴光喜が七月場所後大関に昇進した。
九月場所は大関魁皇が途中休場したため、
横綱戦は白鵬、大関戦は千代大海のみであっ
た。そんななかで琴奨菊は10勝5敗の成績を
のこした。十一月場所、再小結で初日横綱
白鵬と対戦し、勝って殊勲の星をあげた。
横綱戦初勝利であった。成績も10勝5敗を
あげ、技能賞を受賞した。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/12/07九州千秋楽三賞+パレード-053-e1607315668539.jpg)
2007年は6場所すべて上位で47勝43敗と勝ち
越した。横綱戦1勝5敗、大関戦4勝11敗と
少し通用するようになってきていた。
(この項目続く)
全日本選手権の記事は小さいなあ。
興味深いテーマをこれからもお届けします