大相撲

大関の復帰1

一月場所、照ノ富士は11勝4敗の好成績を
あげた。昨年の十一月場所の13勝2敗の優勝
同点に続いての2ケタ勝利である。これで
三月場所は大関をかけての戦いになる。照ノ
富士が大関にいたのは2015年七月場所から
2017年九月場所までの14場所であった。大関
に復帰するとなると2021年の五月場所になる
から3年半を経てのことになる。大関復帰は
これまでもあった。ふりかえってみよう。

<照ノ富士、大関昇進の日>

大関が2場所連続負け越しで降格になる規定
は昭和になってから始まった。昭和以降の
大関の復帰例をみていこう。復帰と言っても
大関陥落直後に10勝以上をあげると大関に
戻れる場合は含めないことにする。この規定
は昭和44年七月場所から実施されている。
あくまでゼロからの復帰に限定する。

■名寄岩
立浪(元緑嶋)部屋
173センチ、130キロ
得意手は左差し、右からの引っ張りこみ
あだ名は怒り金時
年2場所の時代、昭和16年に小結で11勝4敗
-関脇で10勝5敗。さらに昭和17年に関脇で
10勝5敗-11勝4敗の成績で大関に昇進した。
双葉山、羽黒山とともに立浪三羽烏と呼ば
れた。大関になったとき東の横綱は安芸ノ海
と照國であった。西の横綱は双葉山と羽黒山、
大関に前田山がいた。名寄岩は新大関の場所
は9勝6敗に終わった。

<名寄岩のブロマイド>

ところが、このあと7勝8敗、1勝2敗12休、
わずか3場所で大関を陥落してしまった。
関脇で7勝3敗-7勝3敗-3勝4敗-6勝
4敗によって大関に復帰した。負け越しが
あるなかでの大関復帰であった。現代なら
ありえない大関昇進である。またこの負け
越しの翌場所も関脇だった。大関に復帰した
ものの、またも3場所で大関を陥落すること
になった。全休-全敗(11敗)による2場所
連続負け越しであった。

関脇に降格したときは胃潰瘍と糖尿病との
闘いでもあった。名寄岩は大関降格後も必死
に土俵を務め、その間2回敢闘賞を受賞した。
関脇にカムバックしたこともあった。その
真摯な相撲ぶりは見る者の感動を呼び、全国
的人気力士となっていった。相撲は40歳まで
取り、引退した。引退後、日活が名寄岩を
モデルにした「涙の敢闘賞」という映画を
製作し、上映した。また、新国劇が「名寄岩」
を公演したほどであった。

<名寄岩のブロマイド>

■汐ノ海
出羽海(元両國=前名国岩)部屋
180センチ 113キロ
得意手は突き押し 右四つ寄り切り
異名赤鬼
戦前から戦後にかけての力士。昭和20年秋場
所8勝2敗翌場所の昭和21年秋場所11勝2敗
で大関に昇進した。横綱は羽黒山と照國で
あった。大関に佐賀ノ花、名寄岩、前田山、
東富士であった。大関昇進後は5勝5敗-
8勝3敗-5敗6休-3勝8敗、4場所で
大関の座を明け渡した。

このあと関脇4勝9敗-前2枚目10勝5敗-
関脇10勝5敗で大関に復帰した。しかし、
5場所中3場所負け越し。最後は12敗3休-
1勝7敗7休で引退した。大関時代は41勝
61敗16休に終わっている。引退時の師匠は
元常ノ花の出羽海であった。

(この項目続く)

長時間寝ました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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