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小兵の技能派横綱栃ノ海が死去

技能派横綱栃ノ海が1月29日誤嚥性肺炎で
亡くなられた。82歳であった。横綱で80歳
以上の寿命は稲妻、初代梅ヶ谷、鏡里、初代
若乃花と5人しかいない。本名花田茂広、
青森県出身。花田と青森ということで初代
若乃花の親類関係か、と思われた。両親が
りんご園を経営していたことも共通していた。
だがそういう事実はなかった。

177センチ、入幕時は88キロ、大関昇進時
102キロ、最高でも110キロと小兵であった。
大鵬・柏戸の大型力士に割ってはいったのが
春日野(元栃錦)部屋の栃ノ海だった。頭
からあたって、両前褌を取り、しぼって拝む
ような寄り、切れ味鋭い出し投げを得意と
した。出し投げは技のお手本であった。小兵
の技能力士として栃錦よりうまいといわれた。

技能賞は6回受賞している。入門時の師匠
元栃木山の春日野は栃ノ海を高くかっていた。
幕下時代、納谷(大鵬)は花田(栃ノ海)に
5連敗して苦戦していた時期があった。納谷
は、背は高かったが、まだ細かった。ただ、
「大鵬に四股名を改めてますます強くなって
いってからは、もう全然ダメですよ。出世の
速度が違い過ぎて、あまり顔が合わなくなっ
てしまったんです」と当時を振り返っていた。

<栃ノ海の訃報を伝えるサンケイスポーツ>

手順通りに運ぶと、大鵬も柏戸も苦戦した。
最高潮は大関時代の昭和38年十一月場所、
低くはいって左ざし右おっつけでもろざしに
入ると、腰をいれて切り返しでゆさぶりなが
ら寄る。この場所大鵬、柏戸の両横綱を撃破
し、14勝1敗で2回目の優勝を達成した。
翌場所13勝をあげ、横綱に昇進した。

横綱昇進2場所目が3回目で最後の優勝に
なってしまった。椎間板ヘルニアの再発と
右上腕膜筋肉断裂で満足いく土俵が務められ
なくなり、28歳で引退した。横綱になった
とき、「私はあまり大きくない。だからせめ
て、30歳までは現役を務めたい。この体だか
ら、長く横綱を務めようとかじゃなくて、
思いっきり5年間やってみようという思い
でした」実際は30歳には届かず、栃ノ海は
土俵を去った。

横綱について栃ノ海はこう語っている。「そ
れはそれは重いものです。本当に息苦しく
なりますよ。毎日、朝から晩まで、空気を
吸うことすら苦しくなってくるような感じ
です」と。横綱は不成績ならば引退という
不文律は果たしていいことなのか。栃ノ海を
見るにつけ考えさせられる。

引退後は中立として部屋付きの親方だった。
だが、元栃錦の春日野亡き後は春日野部屋を
継承して栃乃洋、栃乃花らを育てた。定年と
なって栃乃和歌に部屋を託した。栃ノ心大関
昇進の日、お見かけしたが、小さいとき筆者
は 大鵬、柏戸よりファンだった。

永遠にさようなら小兵の名人横綱栃ノ海!

最年長元横綱は北の富士さんになりました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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