大相撲

翠富士の出世街道

翠富士が新入幕を果した。翠富士は小学校の
ころから相撲を取ってきた相撲少年である。
といっても体に恵まれていたわけではない。
元幕下の父からスパルタで稽古を積み重ねて
きた。高校は飛龍高校に進学し、相撲部に
入部した。高校時代、埼玉栄高校の佐藤(の
ちの貴景勝)にくいさがっての下手投げで
勝っている。大学近畿大に進学した。しかし、
タイトルの目途がたたないため、中退した。
スカウトに来ていた元旭富士の伊勢ヶ濱部屋
に入門した。

<序ノ口時代>

部屋の錦富士とは同期になる。最初は本名の
庵原(いはら)で相撲を取った。序二段から
翠富士になった。序ノ口、序二段、三段目を
各1場所で通過した。序ノ口、序二段は7戦
全勝しながら、優勝は決定戦で勝った錦富士
に持っていかれた。幕下は体も技術もある
程度できているので簡単ではなかった。
1年目15勝13敗
2年目23勝19敗
3年目5勝2敗
着実に勝ち越しを上積みして十両入りを決定
した。十両入りまでに20場所を要した。88勝
52敗○35である。勝ち越しが15場所、負け
越しが5場所ある。幕下時代は17場所に
及ぶが琴鎌谷(琴ノ若)、琴手計(琴勝峰)、
天空海と対戦しているがすべて負けている。

<幕下時代 魁戦>

十両は4場所で通過した。十一月場所は十両
以下で初めて優勝した。一月場所幕内力士で
十両対戦経験があるのは以下である。
天空海2勝2敗
明瀬山0勝3敗
・0勝1敗
千代の国
琴恵光
逸ノ嬢
・1勝
翔猿
豊昇龍

<十両優勝>

翠富士は171センチ、114キロと小兵である。
押し、肩透かしが得意。本人は安美錦のよう
な相撲を目指すという。立ち合いの「あたり
がさらに増すといなしがきいてくる。体を
つくることが必要になってくる。24歳、これ
からの力士である。

年末年始は寒さが厳しくなるようです。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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