大相撲

琴奨菊の土俵人生1

十一月場所、琴奨菊が引退した。2019年五月
場所から6場所連続負け越しが続いた。2020
年七月場所は勝ち越したものの、九月場所は
途中休場後再出場したが最終的に2勝しかでき
ず大敗した。十両落ちは決定的であった。元
大関の去就が注目されたが、相撲を続けること
になった。しかし、十両でも勝てず、1勝5敗
後引退の意向を示した。事実上の引退であっ
た。36歳10カ月弱のときであった。約19年の
相撲人生であった。改めて琴奨菊の土俵人生を
振り返ってみよう。

<琴奨菊最後の」姿>

琴奨菊は相撲少年であった。稽古、体づくり
を小学生のときから始めていた。中学・高校
は高知の明徳義塾で寮生活することになった。
朝青龍、朝赤龍、栃煌山も明徳義塾の相撲部
で過ごしている。相撲の下地は十分であった。
高校3年のとき佐渡ヶ嶽(元琴櫻)部屋に
入門した。四股名は琴菊次(こときくつぎ)
であった。

高校を卒業する年の一月場所、前相撲を取っ
ている。相撲経験がものをいって2002年序ノ
口、序二段を1場所で突破した。幕下以下、
14場所かかって十両を決めた。2年2場所
だからかなり早い出世である。白鵬は16場所、
日馬富士は18場所かかっている。幕下以下の
成績は67勝31敗である。負け越しは幕下で
3回ある。新十両で四股名を琴奨菊にあらた
めた。十両は3場所で突破した。これも早い。
ちなみに白鵬は2場所、日馬富士は4場所
要している。

しかし、新入幕では5勝10敗と大敗してはね
返された。十両落ちの場所では13勝2敗で
1場所で幕内に復帰した。これが入門後初め
て の優勝であった。ここから幕内に定着
した。21歳のときであった。といっても華々
しい活躍はまだであった。

琴奨菊が上位にあがったのは再入幕7場所目
であった。横綱は朝青龍(途中休場)、大関
は栃東、琴欧州(同部屋で対戦せず)、千代
大海、魁皇そして新大関白鵬であった。大関
戦は栃東に勝ったものの1勝3敗であった。
しかし、関脇以下に8勝3敗の成績を残し、
トータル9勝6敗で見事に勝ち越した。

<21歳の琴奨菊>

(この項目続く)

ラーメン発見伝を読んでいます。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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