大相撲

年寄制度あれこれ

2021年2月7日

現在幕内の定員は42名、十両は28名である。
あわせて70名である。これは2003年十一月
場所限りの公傷制度廃止に伴って北の湖理事
長のとき、幕内を2名、十両 を2名増加して
現在に至っている。ところが、年寄は105人
以内である。関取70人よりはるかに多いので
ある。もちろん、年寄は元力士である。ほか
のプロスポーツには見られない多さである。
年寄105人は昭和におこなわれた東西合併に
伴って大阪相撲の年寄が加わって以来現在に
至っている。

<北の湖>

元双葉山の時津風理事長は昭和42年番付削減
の大英断を断行した。幕内40人を36人に、
十両36人を26人に減らした。そのため、十両
で勝ち越しながら幕下になった者が出てきた。
このとき年寄の削減も考えられたが、大金が
からむので実現しなかったという。

<双葉山のブロマイド>

1996年9月、元佐田の山の境川理事長は年寄
名跡の改革私案を理事会に提出した。主な
趣旨は人材流出の防止から親方株を一定数
協会帰属とし、売買を禁止するというモノ
だった。間垣委員長(元2代若乃花)、高田
川副委員長(元前の山)のもと年寄名跡改革
小委員会は、境川の改革案を圧倒的多数で
拒否した。それは他の親方も同様であった。
高額で購入した親方株が次に譲れなくなる
恐れが出てくる。死活問題につながり、大
反対の嵐となった。1997年5月、境川理事長
は改革私案の全面撤回を表明せざるを得なく
なった。

<佐田の山>

2014年1月、日本相撲協会は公益財団法人の
認定を受けた。公益財団法人になったとき、
約款に年寄名跡の売買を禁止した。しかし、
顧問料、指導料と名目を変えての金銭の授受
がおこなわれているのなら実体は前と少しも
変わらない。春日山の株をめぐる裁判では
元濱錦が協会を退職している元春日富士に
1億7160万円支払う判決が出た。巨大なマネ
ーが動くことが明らかになった。公益財団
法人になっても年寄制度はなにも変わって
いないことになる。

<元濱錦>

年寄の定年は生涯であった。といっても特別
に長生きする人は少ない時代であった。昭和
36年1月1日より65歳定年となった。それ
でも元横綱で定年を迎えた方は鏡里、初代
若乃花、大鵬、佐田の山、栃ノ海と5人しか
いない(途中協会を退職した者は含まない)。
2014年11月16日から定年を迎えて退職した者
を再雇用する制度が実施された。参与扱いで
70歳まで務められる。役員や部屋持ちには
なれない。

ただ、再雇用制度は相撲ファンにはあまり
評判がよくない。
1.ほかの協会員には適用されず、親方だけ
が特別扱いである
2.再雇用で具体的にどういう仕事をして
もらうのか、わかりにくい。
3.年寄名跡の回転率に障害が出る。
現在再雇用の親方は7人いる。

大相撲独特の年寄制度ほど改善が難しいもの
はない。歴史がそれを証明している。

土曜日は家で過ごしました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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