部屋・系統– tag –
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相撲の歴史
現代相撲部屋の系統15
新型コロナウイルスが蔓延したのは2020年の2月から2023年の5月5日までである。2020年秋、元時津海の時津風は新型コロナウイルスによる外出禁止期間に地方のゴルフコンペに参加した。そのため委員から年寄に降格された。 にもかかわらず外出禁止をうたっ... -
相撲の歴史
伊勢ヶ濱部屋の集団指導体制って何
元照ノ富士の伊勢ヶ濱の暴行事件の結末として地位の降下、減給があった。さらに部屋付きの親方による集団指導体制と一門・協会の監視下に入るという。よくわからないのが、集団指導体制である。集団でどう指導しょうというのか。 これがプロ野球なら監督が... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統14
元豊山(前名内田)の時津風は関脇蔵間、小結豊山(前名長浜)・大潮・双津竜、大豊などを育てた。東京農業大学出身の学生は時津風部屋へという流れができてきた。元豊山(前名内田)の時津風が定年を迎えた時津風部屋を引き継いだのが元双津竜であった。... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統13
元安念山=元2代目羽黒山の立浪は1999年2月定年を迎えようとしていた。しかし、後継者は弟子ではなかった。旭國、黒姫山、大翔山は独立していた。大翔山は先代追手風(元追手山)の娘をもらっていた。大島(元旭國)部屋出身の元旭豊を立浪の長女の婿養... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統12
立浪を本家とする系統を現在ある部屋から系統を見ていこう。立浪部屋の祖は緑嶋である。立浪三羽烏双葉山・羽黒山・名寄岩を育てた。2横綱1大関などを育て一大勢力を築いた。春秋園事件で飛び出さず、協会に踏みとどまったことも大きかった。 緑嶋のブロ... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統11
三保ヶ関部屋は大阪相撲の流れをくむ部屋である。師匠の元滝ノ海が急死したため、増位山(父)ら弟子は以前から親交のあった出羽海(元両国=前名国岩)部屋に身を寄せた。昭和21年のことである。出羽一門に属しているのはこうしたいきさつである。 三保ヶ... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統10
消滅した本家二所ノ関部屋から独立した部屋に元大麒麟の押尾川部屋がある。いきさつについてはすでに記した。少数からの独立だったが、白いウルフ益荒雄が育った。引退後は師匠押尾川とのいさかいで大鵬部屋に移籍した。そこで阿武松部屋を興した。 押尾川... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統9
消滅した二所ノ関部屋の分家に大嶽部屋がある。一代年寄大鵬が興した部屋で大鵬部屋としてスタートした。巨砲、嗣子鵬、露鵬などを育てた。定年を迎えるにあたって、娘婿の元貴闘力に部屋をゆずった。貴闘力は大鵬の弟子ではなく、元大関貴ノ花が育てた力... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統8
佐渡ヶ嶽部屋から独立した部屋に元琴風の尾車部屋、元琴欧洲の鳴戸部屋、元琴奨菊の秀ノ山部屋がある。尾車部屋からは元豪風の押尾川部屋が独立している。また佐渡ヶ嶽部屋出身の元琴錦は尾車部屋に移籍していた。元琴錦は年寄名跡を渡り歩いていた。朝日... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統7
消滅した本家二所ノ関部屋より分家した部屋で現存する部屋は3部屋である。佐渡ヶ嶽、片男波、大嶽である。 佐渡ヶ嶽部屋は初代琴錦が昭和30年、7人の弟子とともにニ所ノ関(元佐賀ノ花)部屋から独立した。しかし、この中に琴ヶ濱は入っていなかった。二... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統6
昭和50年3月28日、元佐賀ノ花の二所ノ関が急性白血病で亡くなった。57歳の若さであった。後継者候補は元大関大麒麟の押尾川であった。尾川と遺族側との譲渡条件が話し合われた。ところが、話し合いは金額差から難航した。8000万円(当時価格)の差ともい... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統5
二所ノ関の系統は現在14部屋に及んでいる。二所一門の繁栄はいかにもたされたのか。 二所ノ関部屋の祖は2代目海山である。その弟子玉錦が一大で二所ノ関部屋を大きくしようとしていた。小部屋の悲哀に泣いた玉錦は弟子集め、その育成に熱心に取り組んだ。... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統4
高砂部屋の分家をみていこう。 歴史的に古いのは井筒部屋であった。この部屋は現在ない。明治の横綱初代西ノ海ー2代西ノ海ー先代星甲と続いた。昭和19年、先代星甲の井筒が他界した。先代鶴ヶ嶺(最高位前2)は二枚監察(親方と現役を兼ねるシステム=現... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統3
高砂部屋の系統について触れていこう。 高砂部屋の始まりは風雲児高砂浦五郎からである。明治11年5月、高砂は高砂部屋をおこした。主な弟子に横綱免許を許された初代西ノ海、さらに小錦が免許を許された。明治33年3月一代の風雲児は波乱の生涯を終えた。... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統2
出羽海部屋は明治の角聖常陸山が大きくした部屋である。横綱常陸山の師匠が常陸山虎吉(最高位前1)である。入間川(元松嶋)部屋に入門し、後に出羽ノ海を四股名とした。ドブ虎とあだ名されるほど酒好きだった。出羽海部屋は元常陸山ー元横綱常陸山ー元... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統1
現在相撲部屋は45ある。三月場所前に定年を迎える元隆三杉の常磐山部屋は、すでに弟子の元貴景勝が継承し、湊川部屋に改称している。この部屋は元舛田山の千賀ノ浦が春日野(元栃乃和歌)部屋から独立した部屋である。元舛田山の千賀ノ浦の定年にともない... -
相撲の歴史
相撲部屋今昔
昭和30年の大相撲専門誌を眺めていた。相撲部屋一覧が巻末に掲載されていた。弟子がいる部屋は28あった。相撲部屋は現在45あるから70年前よりはるかに多いといえる。 昭和30年にある相撲部屋で現在も引き継がれている部屋は6部屋しかない。出羽海春日野時... -
相撲の歴史
錦戸部屋の行方
水戸龍が九月場所限りで引退した。幕下落ちしたが最後は全休していた。水戸龍は幕内在位5場所、十両在位40場所であった。十両が長い力士であった。錦戸(元水戸泉)部屋の唯一の看板力士であった。 水戸龍 水戸龍が抜けた錦戸部屋はどうなるのか。一時は... -
相撲の歴史
佐渡ヶ嶽部屋の優勝者 下
元琴櫻の佐渡ヶ嶽は平成17年十一月場所中に定年を迎えた。娘婿である琴ノ若はその場で引退し、部屋を継承した。まだ現役でやれそうだったが、弟子の育成・部屋の経営に舵を切った。元琴櫻は定年の約1年9カ月後に亡くなっている。元琴ノ若の佐渡ヶ嶽のも... -
相撲の歴史
佐渡ヶ嶽部屋の優勝者 中
元横綱琴櫻の佐渡ヶ嶽のとき4人の優勝者をだしている。琴風についてはすでに触れた。次が思いもよらない優勝者であった。前頭13枚目の琴富士であった。平成3年七月場所のことであった。 琴富士 琴富士は大関霧島、横綱旭富士、大関小錦、関脇貴闘力を倒... -
相撲の歴史
佐渡ヶ嶽部屋の優勝者 上
去る七月場所は琴勝峰の優勝で幕を閉じた。琴勝峰は佐渡ヶ嶽部屋10人目の優勝力士である。優勝力士を10人も輩出すれば名門といっていい。ちなみに出羽海部屋は大正15年の公式優勝制度以降では12人である。これまでの9人をあげられればあなたは相撲通であ... -
相撲の歴史
大嶽部屋の行方
今年定年になる親方は元旭富士だけではない。大鵬道場の大嶽部屋の大嶽(元大竜)もである。9月下旬までである。大嶽部屋には部屋付の親方はいない。後継問題はどうなるのか。 大嶽部屋は大横綱大鵬がおこした部屋である。一代年寄大鵬部屋としてスタート... -
相撲の歴史
伊勢ヶ濱部屋継承の行方
元旭富士の伊勢ヶ濱は今年の7月6日で65歳を迎える。定年である。伊勢ヶ濱部屋はどうなる。照ノ富士が引き継ぐことになるとみるのが常識的である。ところがすんなりいくとは限らない。条件面で折り合いがつかないという。 <照ノ富士と伊勢ヶ濱> もう一... -
相撲の歴史
相撲部屋への移転 下
引き続き近年の相撲部屋への移転をみていこう。 ◆立浪部屋→千賀ノ浦部屋=常盤山部屋千賀ノ浦部屋は元舛田山が春日野(元栃乃和歌)部屋から独立した部屋である。2004年9月のことである。千賀ノ浦が2016年4月10日で定年を迎えることになり、後継者を探し... -
相撲の歴史
相撲部屋への移転 上
豊昇龍が横綱昇進の日、集まったファンからこんな声を聞いた。「ここの立浪部屋は元何部屋だったんだろう」相撲ファンだけに立浪(元旭豊)部屋がつくばみらいから移転したことは知っていた。近年相撲部屋への移転が目立っている。改めて整理してみよう。 ... -
相撲の歴史
2025年はどうなる 宮城野部屋の復活
事件は北青鵬の悪質な弟弟子への暴行から始まった。北青鵬は引退勧告で引退した。力士が暴行したらどうなるか、前例で分かっていたはずである。力士が相撲を辞めてできることはそうない。力士以上に稼げる職はそうない。誠に愚かな行為であったわけである... -
相撲の歴史
最新相撲部屋関取事情
大相撲の仕組みは各相撲部屋の師匠が力士を育成して本場所に送り出すことである。目標は関取を誕生させることである。さらに幕内、小結・関脇。大関、横綱と強い力士を育てることである。現代の相撲部屋の関取事情はどうなっているのか。十一月場所予想さ... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の実情
相撲部屋は現在44ある。このなかに宮城野(元白鵬)部屋は含まれていない。復活を待望するファンがいる一方、人によっては別の見方をする方もいる。会社なら宮城野はクビである。復活は現在の幹部が退くまでとなると4、5年くらいかかるのでは、というの... -
相撲の歴史
大島部屋の変貌
かつて立浪(元安念山=2代目羽黒山)から独立した部屋にあった。元旭國の大島部屋である。旭鷲山、旭天鵬などはそこの弟子だった。時は流れ2012年4月元旭國の大島は定年を迎えた。そのとき部屋を継ぐ者はいなかった。旭天鵬はまだ現役を続けたかった。 ... -
相撲の歴史
中村部屋の位置づけ
元嘉風の中村部屋がニ所ノ関部屋から独立した。6月1日承認、3日引っ越しとなった。引っ越し先は旧陸奥部屋である。旧陸奥部屋は元霧島が定年を迎え、部屋を閉鎖していた。 <中村> 部屋の系統でみると中村部屋の位置は下記になる。 まず、本家ニ所ノ関... -
相撲の歴史
名門高砂部屋は分家消滅の歴史
高砂(元朝赤龍)部屋の分家は錦戸(元水戸泉)部屋だけである。その錦戸部屋は弟子が少なく、部屋としては危うい状態である。広い意味では高砂部屋出身の初代西ノ海の流れを組む錣山(元豊真将)部屋、音羽山(元鶴竜)部屋がある。ただし、本家分家の意... -
相撲の歴史
理事長・理事の部屋勢力
一門はかつて巡業をともにする組合だった。本家分家関係を中心としての寄り合い連合だった。現在の一門は理事、副理事を生むシステムに変貌している。 <八角理事長> 🔶高砂一門八角元横綱北勝海)🔶出羽一門春日野(元栃乃和歌)境川(... -
力士・人物
宮城野部屋の今後
大阪府立体育館では異例の応援があった。「宮城野部屋がんばれー」が宮城野部屋力士登場に対しての声援だった。また館内の客席の壁に宮城野部屋がんばれの紙が貼られていた。さらに、宮城野部屋閉鎖反対の署名サイトもある。つまり大相撲ファンは宮城野部... -
相撲の歴史
旧井筒の系統
昨年12月元寺尾の錣山が死去した。60歳という若さだった。近年定年前に亡くなる親は少ない。一月場所、所属力士は錣山部屋で土俵にあがった。場所後元豊真将の立田川が正式に錣山となった。 <霧島> 今年の4月、元霧島の陸奥が定年を迎える。その動向が... -
相撲の歴史
佐渡ヶ嶽部屋代々
佐渡ヶ嶽部屋から大関琴ノ若が誕生した。これで佐渡ヶ嶽部屋はこれまで1横綱6大関を生み出してきたことになる。横綱琴櫻、大関琴ヶ濱・琴風・琴欧洲・琴光喜・琴奨菊・琴ノ若である。ここまでくれば名門である。佐渡ヶ嶽部屋はいつ誕生し、どういう流れ... -
相撲の歴史
鶴竜始動!音羽山部屋誕生
鶴竜が引退したのは2021年三月場所中だった。休場が続いていたが、その途中での引退だった。それからは鶴竜親方として協会に残った。横綱は5年間年寄株がなくても親方でいられる特権がある。 鶴竜親方として約2年9カ月、音羽山の株を入手した。それだけ... -
相撲の歴史
現代相撲部屋勢力
戦前、相撲部屋は出羽海(元両国=前名国岩)部屋が片屋を占めたことがあった。それほど古くない時代では、二子山(元貴ノ花)部屋が横綱貴乃花・若乃花、大関貴ノ浪ほか三役クラスの安芸乃島、貴闘力などをそろえた時期があった。元三重ノ海の武蔵川部屋... -
相撲の歴史
井筒の系統
明瀬山が引退し、井筒を襲名した。これによって井筒の株はこれまでの時津風系ではなく、旧三保ヶ関部屋から独立した木瀬系に移ったことを意味している。 <明瀬山> 井筒はそれまで元豊ノ島が名のっていた。井筒株の返上を求められたのか、協会を離れ芸能... -
相撲の歴史
躍進する宮城野部屋
白鵬が帰化までしてまで親方になりたかったわけがあった。それは部屋をもって力士を育てたかったからである。大相撲界独特のシステムであり、やりがいは大きい。弟子の育成は現役時代の実績とはまったく違う要素である。 <元白鵬の宮城野> 七月場所後元... -
相撲の歴史
2023年版出羽海の系統
出羽海の系統で変わった点は2つある。1つが元隆三杉の千賀ノ浦部屋が常盤部屋に変更したこと。千賀ノ浦部屋は元舛田山が春日野(元栃ノ海)部屋から独立しておこした部屋だった。部屋及び出羽一門に後継者がいなく、二子山(元初代若乃花から元貴ノ花)... -
相撲の歴史
続 消えた横綱の部屋 4
人気力士だった大関貴ノ花は引退後しばらくして二子山(元初代若乃花)部屋から独立して藤島部屋をおこした。部屋をつくるにあたって、おかみさんから2つの条件がだされた。いじめと工作相撲の禁止であった。だから藤島部屋の力士は皆ガチンコ相撲だった... -
相撲の歴史
続 消えた横綱の部屋 3
2代目若乃花の失敗の始まりは師匠二子山(元初代若乃花)の娘と結婚したことである。当時、それほど乗り気でない様子がうかがえた。事実、1年2カ月でスピード離婚している。のちに2代目若乃花は銀座のママと再婚している。 <2代目若乃花> 2代目若乃... -
相撲の歴史
続 消えた横綱の部屋 2
ニ所ノ関一門の繁栄は分家を奨励し、弟子の育成をはかってきたことにある。この方針は元玉ノ海の二所ノ関のとき、打ち出された。部屋持ちにならないとおべっかを使うことになる光景に嫌気をさし、弟子の光は七光にした。 戦後、元大ノ海の芝田山のち花籠は... -
相撲の歴史
続 消えた横綱の部屋 1
2022年2月から3月において「消えた横綱の部屋」を掲載した。横綱の代でいうと朝潮で終わっている。当時は時代が古く、ピンとこず、必ずしも好評ではなかった。ここからは大鵬以降になるのでいささか身近に思える横綱が登場するのではないだろうか。 続編... -
相撲の歴史
変貌する現代相撲部屋の継承
部屋の継承というと弟子と年寄株というのが通常である。建物は複雑な事情から引き継がれないケースが多い。ところが最近弟子は継承するが、部屋名が変更という場合が出てきた。 新しいところでは入間川(元栃司)部屋が元垣添の雷に引き継がれたことである... -
相撲の歴史
東西制から系統別へ 歴史的大もめ
東西制は明治42年夏場所、国技館開設とともに始まった。もっともそれ以前も取組は東対西であった。それを東西の優劣を決める団体戦にしたわけである。勝ったほうが翌場所東にまわる。現代の部屋別総あたり制を見慣れている相撲ファンからすると奇妙に思え... -
相撲の歴史
コロナ部屋ごと途中休場後の番付発表
新型コロナウイルスの部屋ごと途中休場が多発した七月場所を受けて、2022年九月場所の番付が発表された。まず、大関カド番の場所コロナ途中休場した御嶽海は、大関のまま据え置きとなった。そういう見方はされてきたが、九月場所再びカド番となる。 <御嶽... -
相撲の歴史
宮城野部屋の経緯 下
高島(元巴潟)部屋から独立した吉葉山は宮城野部屋を興した。その部屋は廣川、竹葉山へと引き継がれた。ところが2004年8月26日に異変がおこった。事の経緯はこうだ。1989年廣川宮城野急逝後、部屋付きの元竹葉山が部屋を継いだ。ところが、北の湖部屋(... -
相撲の歴史
宮城野部屋の経緯 上
元白鵬の間垣が宮城野部屋を継いで18代宮城野として力士の育成・指導、部屋の経営に携わることになった。宮城野部屋といえば白鵬、炎鵬、石浦で名をはせてきた。特に白鵬は数々の記録を塗り替えてきた大横綱であった。宮城野部屋はどういう経緯をたどって... -
相撲の歴史
元白鵬!宮城野部屋継承
元白鵬の間垣と元竹葉山の宮城野が年寄株を交換した。元白鵬は宮城野として部屋を継承することが正式に決まったわけである。これは元竹葉山が8月21日で65歳の定年を迎えることによるものである。白鵬は現役のとき、内弟子がおり、将来は独立するものと思... -
本場所レポート
■22名千秋楽 決定戦なし!先場所部屋ごと休場の逸ノ城が初優勝
今場所は結局千秋楽、13日目、14日目、8日目の順のお客さんの入りになった。14日目は多くの休場力士を出したことが影響した結果になった。と思ったらなんと千秋楽まで引きずってしまった。 三段目で北勝丸が出場し、八角(元北勝海)理事長が千秋楽のご挨... -
本場所レポート
■22名13日目激震!さらに4部屋が一挙に部屋ごと休場
13日目は平日にもかかわらず、今場所最もお客さんが入った。だが、大相撲七月場所は最終盤に来てとてつもない激震に襲われた。片男波部屋、伊勢ノ海部屋、芝田山部屋、さらに追手風部屋と4部屋が新型コロナウイルス感染による部屋ごと休場に追い込まれた。... -
本場所レポート
■22名11日目 深刻!拡大一途の部屋ごと休場
新型コロナウイルスの拡大は留まることを知らない。場所前田子ノ浦部屋が部屋ごと休場となっただけで済まなかった。7日目出羽海部屋が場所中部屋ごと休場という異例のケースがおきた。だが、異例ではなく始まりだった。その後鳴戸部屋、放駒部屋と続いた。... -
本場所レポート
■22名7日目 思いもかけない場所中の部屋ごと休場
琴拳龍、琴手計、朝乃山と三段目の取組が進む中、三段目最後の取組で出羽ノ城が休場した。これだけならどうということはないが、続く幕下最初の取組で出羽大海が休場した。おやっと思った。ともに出羽海部屋の力士である。さらに十両土俵入り4番前の出羽ノ... -
相撲の歴史
時津風部屋が生んだ1横綱4大関 下
大内山が昭和33年一月場所、大関の座を去ってしばらく、大関は誕生しなかった。この間小結潮錦・時錦などが活躍していた。そして昭和33年十一月場所、北葉山が入幕してきた。入幕5場所目には小結、7場所目には関脇であった。入幕から8場所連続勝ち越し... -
相撲の歴史
時津風部屋が生んだ1横綱4大関 上
時津風部屋というと、大関正代、豊山が所属し、5月に断髪した豊ノ島が年寄井筒として在籍する部屋でもある。時津風部屋はいまや名門と呼ばれるまでになった。時津風部屋は、双葉山が立浪(元緑嶋)部屋から昭和16年双葉山相撲道場として独立したことに始... -
相撲の歴史
2022年6月版二所ノ関の系統
元稀勢の里の二所ノ関が6月5日茨城・阿見町で部屋開きをおこなった。すでに独立していたが、そのとき稽古場は完成していなかった。つくば市の筑波大の稽古場を使用していた。ようやく持てた自分の城は1800坪という広大な敷地に建てられた。元琴風の尾車... -
相撲の歴史
錦戸部屋の行く末
極芯道が五月場所限りで引退した。最後の場所は幕下55枚目で全休だった。極芯道は元十両だが、1場所なので印象は薄いかもしれない。それも今から3年半前の2018年十一月場所だから覚えていなくても無理はない。 2020年七月場所中に阿炎が師匠の指示で休場... -
相撲の歴史
2022年5月相撲部屋勢力
力士の育成は相撲部屋とともにある。そこは鍛錬の場であり、生活の場でもある。相撲部屋の目標は強い力士を一人でも多く育てることにある。そこで五月場所の番付をもとに相撲部屋の勢力分布を表にしてみた。 <名門出羽海部屋> 幕内は横綱・大関との対戦... -
相撲の歴史
相撲部屋最新事情
相撲部屋の栄枯盛衰はこの世の常であるが、定年とともに終わりを迎える部屋がある。三月場所はかつての尾車(元琴風)部屋の力士の所属が2通りの場内紹介に変わった。これは尾車親方が定年を前にして、三月場所の大阪宿舎のメドがたたないため、早めに部... -
相撲の歴史
消えた横綱の相撲部屋5
花籠(元大ノ海)部屋から独立したのが元初代若乃花の二子山であった。龍虎が「自分も連れて行ってください」と嘆願したが、二子山は「それよりも早く強くなって花籠親方を安心させろ」と諭している。 <若乃花のブロマイド> 元初代若乃花の二子山は一代... -
相撲の歴史
消えた横綱の相撲部屋4
伊勢ヶ濱部屋は清瀬川がのちに所属した楯山(元友響)部屋から部屋ごと譲りうけたときの名称である。この部屋を継いだのが元横綱照國であった。師匠存命中は荒磯部屋という名称だったが、のちに伊勢ケ濱部屋とした。大関清國はじめ関脇開隆山、小結黒瀬川... -
相撲の歴史
消えた横綱の相撲部屋3
宮城山は四股名から宮城県出身と思いがちだが、岩手県出身である。さらに東西合併により大阪から来た横綱である。けれども、入門は出羽ノ海(当時は「ノ」の字があった)部屋であった。入門当時の師匠は常陸山寅吉だが、横綱常陸山谷右衛門の名声で多くの... -
相撲の歴史
消えた横綱の相撲部屋2
3人目は鳳である。鳳は元大関鳳凰の宮城野部屋に入門した。その鳳凰は宮城野馬五郎の部屋に入門した。宮城野部屋は江戸天保年間から3代に渡って継がれた。大関鳳凰の師匠である宮城野馬吾郎が明治22年に亡くなって部屋は消滅している。鳳凰は元刺扠の錦... -
相撲の歴史
消えた横綱の相撲部屋1
横綱ともなると継承するにせよ、独立するにせよ部屋をもって弟子を育てたいと思うのは当然である。しかし、相撲部屋の栄華盛衰は常にあり、相撲部屋が消滅することさえありえる。ここでは消えた横綱の相撲部屋として横綱が実質地位化した常陸山以降の東京... -
相撲の歴史
新版二所ノ関の系統
二所ノ関の系統に変化があった。定年が迫っ ている元若嶋津の二所ノ関が弟子の松鳳山、 一山本らを部屋付きの親方である元玉乃島に 託したのである。ただし、部屋名は元玉乃島 の年寄株である放駒部屋となる。 <元若嶋津の二所ノ関> 元三重ノ海の武蔵川... -
相撲の歴史
現代相撲部屋関取事情
現在幕内は42人、十両は28人である。関取は 合計70人である。これに対し、親方は最大 105人である。スポーツ界では珍しい構図で ある。それはさておき、力士はまず十両入り を目指す。相撲部屋も十両力士を育てたい。 現在相撲部屋の関取事情はどのように... -
相撲の歴史
再び消滅する部屋、継承される部屋
以前消滅する部屋、継承される部屋を書いた。 継承する部屋として師匠の定年が近い元若嶋 津の二所ノ関部屋、元琴風の尾車部屋、元 竹葉山の宮城野部屋を取りあげた。3人の 部屋持ち親方の定年は来年の2022年である。 尾車部屋は元豪風が後継かと思われた... -
相撲の歴史
58年前の相撲部屋
今年に入って3つの部屋が閉鎖になった。 東関(元高見盛)部屋、峰崎(元三杉磯)、 鏡山(元多賀竜)部屋である。峰崎は定年に よるものだが、東関は部屋を継いだものの、 無理があった。鏡山は2人の弟子が続いた だけに限界であった。東関の弟子は八角... -
相撲の歴史
消滅する部屋、継承される部屋 下
引き続き来年(2022年)に師匠が定年を迎え る部屋をみていこう。二所ノ関(元若嶋津) 部屋は二子山(元初代若乃花)部屋から独立 した。最初は松ヶ根部屋であった。定年が 迫った荒磯(元二子岳)部屋の3人の弟子の うち2人が引退、1人が花籠(元大寿... -
相撲の歴史
消滅する部屋、継承される部屋 上
元十両の華王錦の断髪式が旧東関部屋でおこ なわれた。元高見盛の東関と元高見山がはさ みをいれた。新旧の師匠が顔を合わせた。 東関部屋は元高見山が高砂(元横綱朝潮) 部屋から独立しておこした部屋であった。 <元高見盛の東関> 高見盛より地位も年... -
相撲の歴史
元稀勢の里の荒磯部屋の位置付け
元稀勢の里の荒磯親方が田子ノ浦(元隆の鶴) 部屋から独立することになった。部屋は出身 地である牛久に隣接する茨城県の阿見町に 建設予定である。2019年一月場所で引退した ときは秋葉原と浅草橋の間あたりに部屋を 構えるといわれたが、広さを優先した... -
相撲の歴史
地に落ちた時津風部屋
元時津海の処分が22日、日本相撲協会臨時 理事会で決定した。2番目に重い退職勧告と なった。すでに本人から退職届けが出されて おり、受理した。退職にあたり退職金30%減 が、あわせて発表された。処分となった要因 は外出禁止をうたった相撲協会の新型... -
相撲の歴史
時津風の系統2
立浪部屋と時津風部屋は袂を分かつことに なったが、破門ではなかった。系統別総あた りでは立浪の力士と時津風の力士の対戦は なかった。鏡里・大内山と安念山・北ノ洋の 対戦はなかった。 <元双葉山の時津風> 元双葉山の時津風は横綱鏡里、大関大内... -
相撲の歴史
時津風の系統1
時津風(元時津海)親方が一月場所中雀荘、 歓楽街に何度も外出したとして問題になって いる。コロナ禍のなか不要不急の外出や人 との接触を禁じた相撲協会感染予防に反する ことになった。しかも九月場所前ゴルフ旅行、 居酒屋会食で委員から平年寄に2階... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情13
元常ノ花出羽海の急死で出羽海の後継者を 決めなければならなくなった。以前元常ノ花 出羽海が自殺をはかったとき、遺書があって 1通は千代の山にあてたものだった。それ には出羽海の後継者を千代の山とすると書い てあったというが、今となっては確認の... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情12
元両国(前名国岩)出羽海は時系列ではなく、 項目別に触れていくことにしよう。先代の 元常陸山の認可がおり、元両国(前名国岩) 出羽海の下で元栃木山の春日野部屋、元大門 岩の山分部屋がスタートした。分家独立は ここまでで、これ以上は認められなか... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情11
数ある相撲部屋で最も歴史があり、名門中の 名門といわれる部屋が出羽海部屋である。 9代続いている。出羽海部屋は、角聖といわ れた元横綱常陸山の出羽ノ海が大きくした 部屋である。常陸山の師匠にあたるのが、 元常陸山虎吉の出羽ノ海である。さらに常... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情10
7代続いている部屋が高砂部屋である。創設 者は明治の風雲児高砂浦五郎である。大名の お抱え力士という時代でなくなっていたなか で、相撲会所(日本相撲協会の当時の呼称) のトップ筆頭玉垣(前身は謎)とNo.2筆脇 伊勢ノ海五太夫(元柏戸宗五郎)の... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情9
引き続き5代続いた部屋をみていこう。宮城 野部屋の5代は同じ師匠が2度になっている。 それはまったく無関係の師匠が突然部屋を 組み入れたことに起因していた。 高島(元巴潟)部屋の横綱吉葉山は現役の ときから年寄吉葉山として総檜造りの吉葉山 相... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情8
九月場所優勝した正代は時津風部屋の所属で ある。時津風部屋は双葉山がおこした部屋で ある。双葉山は立浪(元緑嶋)部屋出身で ある。師匠の娘をもらうことを断ったり、 様々な点で師匠と意見が折り合わなかったり した。双葉山は現役のうちから双葉山相... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情7
九月場所があり、いくぶん間が空いたが、 引き続き4代続いた相撲部屋をみていこう。 陸奥(元霧島)部屋のルーツは井筒部屋で ある。井筒部屋といっても高砂部屋から分家 独立した初代西ノ海がおこした井筒部屋まで は遡らない。この部屋は先代星甲實義の... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情6
引き続き4代続いた部屋を見ていこう。 ・立浪(元旭豊)部屋 緑嶋友之助は春日山(元朝日森)部屋に入門 し、春日山(元当たり矢)部屋のとき立浪 部屋として独立した。横綱双葉山、横綱羽黒 山、大関名寄岩の立浪三羽烏を育て一大勢力 を築いた。立浪(... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情5
・佐渡ヶ嶽(元琴ノ若)部屋 初代琴錦が引退後に二所ノ関(元佐賀ノ花) 部屋から独立した部屋。創設したものの本家 二所ノ関が琴ヶ濱を手放さない。ほかに二所 ノ関の幕内力士は玉ノ海(後の玉乃海)と 大天竜しかいなく、看板力士の琴ヶ濱を失い たくな... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情4
3代に渡って引き継がれた部屋にはいる。 ・東関(元高見盛)部屋 ハワイ出身の元高見山が高砂(元横綱朝潮) 部屋から独立した部屋。定年によって部屋は 弟子の元潮丸に引き継がれた。ところが、 元潮丸が病で急死してしまった。後継者が すぐに決まらず... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情3
引き続き2代に渡って引き継がれた部屋を みていこう。 ・高田川(元安芸乃島)部屋 元前の山が高砂(元横綱朝潮) 部屋から独立 した部屋。元前の山が一門の意向に反して 理事に立候補したため、高砂一門を破門と なった。 一方、元安芸乃島は貴乃花親方... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情2
引き続き独立して部屋をおこした相撲部屋で まだ継承されたことはなく、一代のままの 部屋をみていこう。 ・西岩(元若の里)部屋 田子ノ浦(元隆の鶴)部屋より独立。浅草に 部屋をかまえたが、これからの部屋である。 ・二所ノ関(元若嶋津)部屋 二子山... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情1
相撲部屋の盛衰は世の常で、一代で大きく した部屋やかつては名門だったが、閉鎖して 消滅してしまった部屋もある。現代の相撲 部屋は44部屋ある。新興の部屋もあれば伝統 の部屋もある。部屋は何代に渡って継承され てきたのか。あらためて調べてみた。 ... -
相撲の歴史
高砂の系統12
現役時代、二子山(元大関貴ノ花)部屋に 所属していた元安芸乃島がなにゆえ高田川 (元前の山)の部屋を引き継ぐことになった のか。それは元安芸乃島の千田川と貴乃花 親方との確執にあった。現役時代、貴乃花が 貴花田として入門したとき、安芸乃島はす... -
相撲の歴史
不自然部屋を継承した中川部屋の運命
七月場所を前にして不祥事が明るみになった。 元旭里の中川が弟子に対しパワハラがあった という。稽古場で暴言的指導があったため、 弟子が発言を録音し、協会に提出したという のだからただ事ではない。よほど耐えかねる モノだったことになる。協会は事... -
相撲の歴史
高砂の系統11
高田川(元前の山)は一門の意向を無視して の理事立候補であった。境川理事長の年寄 名跡の改革私案反対の急先鋒としての意志 表明であり、それを問う立候補であった。 高砂一門は従来陣幕(元北の富士)と高砂 (元富士錦)の2名、理事を出していた。 ... -
相撲の歴史
高砂の系統10
5代高砂(元横綱朝潮)の下では3つの分家 独立があった。 昭和49年三月場所で引退した前の山(最高位 大関)が、4月に内弟子8人を連れて高田川 部屋を創設した。小結前乃臻、剣晃、鬼雷砲 などを育て上げた。高田川部屋がニ所ノ関系 の元安芸乃島に引... -
相撲の歴史
高砂の系統9
4代高砂(元前田山)の下で以下が分家して いる。 まず、昭和30年3月、元前頭2枚目朝響の 佐ノ山が分家独立した。朝響は大正11年春 場所入幕し、昭和4年9月場所に引退した 力士である。引退から実に約25年半経って の部屋持ちである。58歳のときのこ... -
相撲の歴史
高砂の系統8
昭和17年1月、前田山が4代高砂となった とき、まだ大関だった。昭和22年秋場所横綱 に昇進したが、成績は不振だった。昭和24年 秋場所、初日勝っただけで、5連敗して途中 休場した。休場した前田山は大阪から帰京 した。 <前田山のブロマイド> ところ... -
相撲の歴史
系統別総あたり制をめぐるif
昭和40年一月場所に部屋別総あたり制が始ま って、約55年が経った。今ではすっかり定着 して当たり前になってきたが、成立時はいろ いろとあった。部屋別総あたり制は、二所ノ 関系の上位進出で取組編成に行き詰まりが 出てきたことから論じられるようにな... -
相撲の歴史
高砂の系統7
引き続き3代高砂(元2代朝潮)の下で分家 独立した部屋をみていこう。 昭和4年3月場所で引退した阿久津川(最高 位前頭筆頭)が引退し、佐渡ヶ嶽部屋をおこ した。現役のときから内弟子として育てた 力士に男女ノ川がいたが、なかなか移籍でき なかっ... -
相撲の歴史
高砂の系統6
3代高砂の後継をめぐり、綾川(前名響矢) を支持した元浪ノ音の振分は出羽海一門へ 移籍した、と前回記述した。振分は昭和に 入って振分部屋をおこした。昭和15年1月 から、養子の玉ノ井(元陸奥錦)に弟子を 譲り、玉ノ井部屋としてスタートすることに... -
相撲の歴史
高砂の系統5
高砂の後継争いは2代朝潮と綾川(前名響矢) の争いとなった。大正3年夏場所の番付では 2代朝潮は関脇で翌場所大関に昇進している。 綾川(前名響矢)は入幕2場所目であった。 なお、綾川は複数いて、江戸時代の綾川は 陣幕によって横綱免許を受けた力... -
相撲の歴史
高砂の系統4
2代高砂(元高見山宗五郎)の下では多くの 分家が創設されていった。前回に引き続き みていこう。幕内格行司木村一学は明治34年 6代若松を襲名し、部屋を開いた。昔は行司 も年寄になれた。栃木山の前の春日野は木村 宗四郎だし、横綱柏戸の前の鏡山は5... -
相撲の歴史
高砂の系統3
風雲児高砂浦五郎は、明治16年5月ついに 取締の座についた。明治24年永久取締を 宣言すると雷(元初代梅ヶ谷)らの猛反発を 招き、取り消さざるを得なくなった。高砂の 専横はついに力士のクーデターを招き、つい に退任せざるを得なくなった。明治29年1...
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