部屋・系統– tag –
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相撲の歴史
高砂の系統2
巡業はともかく、東京で興行をおこなう組織 が相撲会所と高砂改正組が存在することに なった。今と違い相撲会所に国技館はないし、 放送のバックアップもない時代である。この あたりが昭和の春秋園事件と異なる点である。 東京に2つの相撲組織はまかりな... -
相撲の歴史
高砂の系統1
高砂の系統は正確性から難しいテーマとなる だけにこれまで発表を控えてきた。だが、 いつまでもそれではいけない、と明らかに していくときがきたようである。高砂部屋 から何をイメージするだろうか。突き押しの パワー相撲力士=前田山、朝潮(前名米川... -
相撲の歴史
2020年5月相撲部屋事情
五月場所の番付が発表されて久しい。三月 場所は就職場所といわれ、多くの新弟子が 入ってきた。五月場所の番付に掲載された 力士数は幕内42人、十両28人幕下以下が625 人である。この中には引退した豊ノ島、亡く なられた勝武士が含まれている。ほかに番... -
相撲の歴史
阿武松の系統
最近元益荒雄が退職し、元大道が阿武松部屋を継ぐことになった。元益荒雄は任期途中であり、突然な出来事であった。表向きは体調面がよくないとのことだが、実際は精神的に落ち込んでいるという話が伝わってきている。部屋を継ぐといっても最終的に建物は... -
相撲の歴史
部屋別力士数番付
最近井筒部屋が師匠の急死により、鶴竜ら所属力士3人は陸奥部屋へ移籍した。また、阿武松部屋は任期途中で師匠の元益荒雄が退職することになり、元大道が部屋を継ぐことになった。その相撲部屋は現在45あるが、弟子はどれくらいいるのだろうか、調べてみ... -
相撲の歴史
井筒部屋の消滅
<井筒親方の訃報を伝える日刊スポーツ> 九月場所九日目、元逆鉾の井筒親方が亡くなられた。58歳という若さであった。九月場所前から体調が悪く入院していたという。原因は千代の富士と同じすい臓がんとみられる。24日通夜、25日告別式がおこなわれた。... -
相撲の歴史
幕内横綱・大関対戦圏外の好成績者 昭和部屋別編2
昭和44年三月場所は、大鵬の連勝が誤審によって45でストップされた場所である。大鵬は途中休場し、優勝戦線に浮上したのが、大関琴櫻と前頭9枚目の竜虎である。竜虎は11日目麒麟児から勝利すると、12日目は10勝1敗同士で琴櫻と直接対戦した。この一番な... -
相撲の歴史
幕内横綱・大関対戦圏外の好成績者 昭和部屋別編1
昭和40年一月場所より部屋別総あたり制がスタートした。この場所平幕下位の若杉山は12勝3敗で優勝した大関佐田の山は13勝2敗で1差である。だが、若杉山は前半ですでに3敗していた。佐田の山は13日目まで1敗だった。14日目大鵬に敗れ、ここで初めて1... -
相撲の歴史
幕内横綱・大関対戦圏外の好成績者 6場所制系統別2
大鵬は第一人者の道を歩まんとしていた。時代は新しい英雄を誕生させようとしていた。昭和36年五月場所、上位は総崩れであった。横綱若乃花・柏戸10勝5敗、横綱大鵬11勝4敗であった。そんななか浮上してきたのは、入幕3場所目前頭13枚目の佐田の山であ... -
相撲の歴史
幕内横綱・大関対戦圏外の好成績者 6場所制系統別1
昭和33年から年6場所制がスタートした。前年福岡で本場所が開催されたばかりだが、6場所目は名古屋となった。昭和33年一月場所、13日目を終え、2敗は横綱千代の山、大関若乃花、前頭14枚目大内山であった。大内山の対戦相手はすべて平幕であった。14日... -
相撲の歴史
幕内横綱・大関対戦圏外の好成績者 戦後系統別1
戦後、相撲人気を高めるために好取組を増や そうということになり、系統別総当たり制が 昭和22年秋場所から復活した。その場所新入 幕の出羽錦は好調。千秋楽をむかえて、1敗。 上位では横綱羽黒山がただ一人1敗であった。 千秋楽、出羽錦の対戦相手は前... -
相撲の歴史
幕内横綱・大関対戦圏外の好成績者 戦前系統別期
昭和7年10月場所、千秋楽をむかえ、2敗は大関清水川、関脇沖ツ海、前頭筆頭高登、前頭6枚目瓊ノ浦であった。このうち清水川、沖ツ海、高登は直接対戦している。千秋楽は全員が勝ち、番付上位の清水川の優勝となった。<瓊ノ浦のブロマイド>>昭和8年... -
相撲の歴史
幕内横綱・大関対戦圏外の好成績者 戦前系統別へ
昭和7年、大相撲をゆるがす大事件が起きた。事件は1月6日におきた。幕内西方の全力士20人と十両の出羽系11人が、中華料店春秋園に集結した。大相撲の近代化へ向け、力士生活の安定化、大相撲の大衆化、協会の制度改善を天竜が中心になってまとめ、協会... -
相撲の歴史
現代相撲部屋系統事情
7月下旬、5つの一門に必ず入るよう理事会で決まった。この規定は旧貴乃花一門のみを対象とした規定であった。貴乃花は貴乃花一門の名前を返上し、一門をつくるきかっけとなった貴乃花自らが脱退したため、旧貴乃花一門はなくなった。<阿武松(元益荒雄... -
相撲の歴史
千賀ノ浦部屋の系統
貴乃花が協会を辞めるにあたり、弟子を託した元隆三杉の千賀ノ浦及び千賀ノ浦部屋とはどんな人物であり、どのような部屋なのか。隆三杉は初代若乃花の二子山部屋に入門した力士である。あだ名はドラえもん。最高位は小結だが、三賞にはついに縁がなかった... -
相撲の歴史
今の井筒部屋は本家井筒部屋の分家
井筒部屋といえば横綱鶴竜をかかえる部屋である。師匠は元逆鉾で、父の鶴ヶ嶺から部屋を引き継いで今日に至っている。横綱を擁する部屋としてはいささか弟子の数が寂しい状態である。井筒部屋というと名門のイメージがあるが、今の井筒部屋は、実は本家井... -
相撲の歴史
相撲部屋の未来
満員御礼が続く大相撲。チケットが入手困難で寝込む方、立ち直れない方まで出るほどである。過熱を通り越した異常事態である。人気は最高だが、そうはいかない面がある。新弟子である。七月場所は新弟子がゼロだったのである。関取になれる確率が低いから... -
相撲の歴史
今は昔 系統別総当たり制
系統別総当たり制は昭和7年から昭和14年及び昭和22年夏場所から昭和39年十一月場所に施行された取組編成方法である。それでは系統別総当たり制とはいったいどういうものか。本家、分家を中心として大阪相撲の流れの部屋を組み込んだものが系統である。具... -
本場所レポート
■春10日目 峰崎部屋の某力士休場
今日から峰崎部屋の某力士が休場した。暴行を受けた弟弟子(引退)の父が親方に手紙を書き、親方が本人に確認しての処置であった。相撲界の暴行体質は、ミスを痛みで償え、とか痛みで物事を覚えろからきていて、長い歴史のなかで積み重ね、育まれてきた。... -
相撲の歴史
46年前の相撲部屋事情
今から46年前の昭和46年三月場所、相撲部屋は26であった。なお、昭和46年三月場所は北の富士、玉の海が同日横綱に昇進してから1年たった場所である。そのなかで十両以上の関取を擁する部屋は、以下である。時津風(元豊山=内田)部屋 6人春日野(元栃... -
相撲の歴史
現代相撲部屋事情
現在相撲部屋は45ある。そのなかで十両以上の関取を最も多く擁している部屋はどこか。伊勢ケ濱(元旭富士)部屋と九重(元千代大海)部屋の6人が第1位。追手風(元大翔山)部屋と木瀬(元肥後ノ海)部屋が5人で第3位。なお、希善龍は幕下落ちが濃厚な... -
相撲の歴史
改訂二所ノ関の系統
元若嶋津の二所ノ関親方が、サウナ帰りの自転車で転倒して、緊急脳手術をしたというニュースが流れた。サウナでも体に変調が見られたとか、自転車で何度も転倒しながら、泥だらけで走らせていたという情報が出ている。サウナと雨が降る外の温度差が、血管... -
相撲の歴史
名門出羽海部屋の推移3
昭和43年三月場所、横綱佐田の山が引退した。その後出羽海部屋は若手のホープ三重ノ海の登場を待たねばならなかった。三重ノ海が入幕したのは、昭和44年九月場所であった。三重ノ海はホープであったが、貴ノ花、後から入幕した輪島、大受、北の湖、魁傑に... -
相撲の歴史
名門出羽海部屋の推移2
常陸山-両国(前名国岩)-常ノ花と引き継がれてきた出羽海部屋。それは昭和32年思いも寄らないよらない事態をむかえ、これからの運命を大きく左右していく。それは常ノ花の出羽海理事長がガスを充満させ、鎧通しで腹・胸・首を切って自殺をはかったので... -
相撲の歴史
名門出羽海部屋の推移1
名門といえば歴史ある部屋を思い浮かべる。その中でも出羽海部屋は名門中の名門である。現在出羽海部屋の幕内力士は御嶽海のみである。御嶽海は有望な力士で大関をねらえる逸材である。それにしても御嶽海のみというのは、いささか寂しい状況である。横綱... -
相撲の歴史
四股名あれこれ 春日野部屋編
春日野部屋の四股名で誰しも思い浮かべるのは、四股名の頭に「栃」の字がつくことであろう。あるいは一昔前のファンなら、栃錦-栃ノ海-栃東と続く小兵名人の系譜であろうか。春日野部屋の力士の四股名に「栃」がつくのは、出羽海部屋から独立した大正の... -
相撲の歴史
相撲部屋紙一重の継承
相撲部屋の継承は必ずしもスムーズにいくとは限らない。ともすればお家騒動に発展する恐れがある。引き継ぐといっても現代は建物まではいかないケースもみられる。時の人、稀勢の里の所属する部屋は田子ノ浦(元隆の鶴)部屋である。以前は鳴戸(元隆の里... -
相撲の歴史
春日山部屋の位置づけ2
昭和46年元大関名寄岩の死去で部屋を継いだのが、最高位前頭筆頭の大昇だった。大昇は元当り矢の春日山部屋が消滅後に誕生した伊勢ノ海部屋の関脇藤ノ川雷五郎が、おこした春日山部屋の出身力士だった。元藤ノ川雷五郎の廃業に伴い、大昇は立浪部屋そして... -
相撲の歴史
春日山部屋の位置づけ1
元濱錦の春日山が師匠不適格として、協会は師匠辞任勧告を出した。勧告とはいっても受け入れない場合は、業務委託契約を解除するという強制力が伴う。元濱錦は先代春日山の春日富士と年寄名跡をめぐって訴訟中であった。ちなみに元春日富士と元濱錦は師弟... -
相撲の歴史
出羽海の系統 九重部屋誕生直後のドラマ
「九重部屋、それは時代に翻弄された部屋」は、その経緯を字数の関係で、かなりはしょっている。もっと詳しく知りたい方のために、出羽海の系統をご覧いただきたい。出羽海の系統で一番書きたかったことは破門独立した九重部屋がその直後の場所で大関北の... -
相撲の歴史
九重部屋、それは時代に翻弄された部屋
主を失った九重部屋は寂しい。後継者は元千代大海だが、どういう形で引き継ぐのか。名跡と弟子だけの場合がある。部屋ごと継ぐ場合もあるが、部屋は賃貸の場合がある。千代の富士が、横綱として活躍していた頃の師匠は、今NHKで解説をしている北の富士... -
力士・人物
横綱の通信簿 昭和部屋別総当たり編
昭和40年、元双葉山の時津風理事長の英断で、部屋別総当たり制がスタートした。この時期横綱で迎えているのが、下記の横綱である。当然、東西制や系統別総当たり制より数字はあげにくくなっている。黄:勝率8割以上 12勝以上率4割8分以上 休場率13%以... -
相撲の歴史
現代相撲部屋事情
かつて、元常陸山の出羽ノ海のもとには約100人の弟子がいた。玉錦は名門出羽海(この当時は「ノ」の字はない)のように小部屋を一大勢力の部屋にしようと、二枚鑑札(現役と師匠を兼任することで、現在は禁止されている)のまま60人以上の弟子を抱えた。今... -
相撲の歴史
半世紀を経過した部屋別総当たり制2
昭和39年9月、時津風(元双葉山)理事長は取締会で高砂(元前田山)、出羽海(元出羽ノ花)、ニ所ノ関(元佐賀ノ花)に部屋別総当たりについて諮った。なお、立浪(元羽黒山)は欠席した。その上で場所の14日目に緊急理事会を徴集した。理事会は前記4人... -
相撲の歴史
半世紀を経過した部屋別総当たり制1
現在の取組編成は部屋別総当たり制であり、相撲ファンはそれが当たり前のこととして受け入れている。部屋別総当たり制が始まったのは、昭和40年の一月場所だから、すでに半世紀を経過したことになる。始まったのは昭和40年だが、戦後しばしば、部屋別総当... -
相撲の歴史
佐渡ヶ嶽部屋の謎?
琴奨菊が先代師匠琴桜の如く、予期せぬ連続優勝で横綱に昇進したら、佐渡ヶ嶽部屋では何人目の横綱になるかご存知だろうか。この部屋からは琴桜しか横綱はでていないのでは、と思うかもしれない。横綱をつぶさに調べてみると、ほかにもいたことが浮上して... -
相撲の歴史
伊勢ヶ濱部屋のルーツ
伊勢ヶ濱部屋には照ノ富士、照強といった力士、呼出では照喜、照矢がいて「照」の字がそれなりに使用されている。かつて伊勢ヶ濱部屋には照国という横綱がいた。それにあやかったっているという見方がある。しかし、現在の伊勢ヶ濱部屋は照国が所属してい... -
相撲の歴史
昭和・平成の10大ニュース5 九重部屋破門独立
出羽海部屋を大部屋にしたのは明治の角聖常陸山である。元出羽ノ海の常陸山亡き後、出羽海を継いだのは元両国(前名国岩)である(ここから出羽ノ海の「ノ」の字はなくなる)。出羽海が分家独立を許さずという不文律ができたのは元両国(前名国岩)の出羽海... -
相撲の歴史
かつて宮城野部屋にあったいびつな形
横綱白鵬が所属する部屋は?横綱白鵬の師匠は?こうきかれたら宮城野部屋、元竹葉山の宮城野と答えるだろう。白鵬を新弟子のころから面倒をみ、育ててきたのはまぎれもなく元竹葉山の宮城野だった。ところがそうでないいびつな形の時期があった。事の経緯... -
相撲の歴史
出羽海の系統17
大阪からきた三保ヶ関部屋は師匠元滝ノ海の急死により増位山(父)は一時出羽海に身を寄せた。彼は引退後三保ヶ関部屋を復興し、苦難の中から大横綱北の湖、大関北天佑、大関増位山(子)等を育てた。息子増位山がいたので三保ヶ関部屋の後継は決まってい... -
相撲の歴史
出羽海の系統16
出羽海から破門された九重は高砂一門に入った。高砂(元前田山)は九重を迎え入れた理由の趣旨をこう語った。昔、出羽海は高砂から分かれたんだ、と。筆者はこれを聞いたとき、そうだったのかと納得していた。しかし、これまで出羽海の系統で述べてきた通... -
相撲の歴史
出羽海の系統15
1967(昭和42)年一月場所後の31日午後4時出羽海部屋の3階大広間は重苦しい雰囲気が支配していた。正面中央に机を前にした出羽海(元出羽ノ花)。その右には秀の山(元笠置山)、左には分家の春日野(元栃錦)、さらに左サイドに不知火(元八方山)、藤... -
相撲の歴史
出羽海の系統14
元出羽ノ花の出羽海と元横綱千代の山の九重は17歳の年の開きがあった。次の出羽海は自分という思いが九重にはあった。だが、それはある事件によって打ち砕かれた。その事件とは元出羽ノ花が出羽海になった1960(昭和35)年12月から約2年4ヶ月後の1963(... -
相撲の歴史
出羽海の系統13
部屋の年寄、関取の総意で新出羽海となった元出羽ノ花はまず、斜陽の名門の建て直しに取り組まなければならなかった。斜陽の原因は黙っていても弟子が集まるという名門意識にあると新出羽海は分析。その間他の部屋は必死で弟子集めに奔走していたというの... -
相撲の歴史
出羽海の系統12
元常ノ花の出羽海が1960(昭和35)年十一月場所の千秋楽の翌日、二日市温泉の旅館で胃潰瘍のため急死した。前日の千秋楽は元気に酒を飲んでいて、まったく予兆はなかった。出羽海の後継者を決めなければならなくなった。以前元常ノ花の出羽海が自殺をはか... -
相撲の歴史
出羽海の系統11
場所をはさんだため久方ぶりとなったが出羽海の系統を再開したい。記憶ははるかかなたとなった方のためにこれまでのポイントをあげて振り返ってみる。1.出羽ノ海の祖は幕末の二段(現在の十両)の桂川。2.弟子常陸山虎吉がひき継いだものの稽古場もな... -
相撲の歴史
出羽海の系統10
元両国(前名国岩)の出羽海が亡くなられた。出羽海の後継者を決めねばならないが、候補者は3人いた。元横綱常ノ花の藤島、元笠置山の秀ノ山、元両国(前名瓊ノ浦)の待乳山の3人である。秀ノ山の嫁さんは横綱常陸山の孫娘という流れから、待乳山は自分... -
相撲の歴史
出羽海の系統9
分家独立を許さずという出羽海部屋の不文律を破る者が現われた。元両国(前名松ヶ崎)の武隈である。横綱武蔵山を連れてきた功績が少しも報われないことから出羽海との間に確執が生まれ、郷錦・大和泉(ともに後十両)などを連れて独立したのである。<両... -
相撲の歴史
出羽海の系統8
昭和の大相撲を揺るがした春秋園事件。番付の方屋を占めた出羽海部屋が事実上の崩壊に至った。それはどういう流れでいたったか、しぼって展開する。1月10日出羽系中心の力士は大日本新興力士団として旗揚げすることに決定した。1月12日に右翼団体国粋会... -
相撲の歴史
出羽海の系統7
1932(昭和7)年1月5日春場所の番付が発表された。 東 幕内 西玉 錦大関武蔵山能代潟張出大ノ里清水川関脇天 竜幡瀬川小結綾 桜沖ツ海筆頭出羽ヶ嶽鏡 岩 2 信夫山朝 潮 3 和歌嶋高 登 4 山 錦錦 洋 5 藤ノ里太郎山 6 大和錦雷ノ峰 7 ... -
相撲の歴史
出羽海の系統6
大錦がいなくなった土俵で優勝は栃木山、常ノ花、栃木山3連覇と出羽海勢が続いた。しかし、栃木山は3連覇後事実上引退した。1926(大正15)年元栃木山の春日野部屋、元大門岩の山分部屋がスタートした。しかし、分家独立はここまででこれ以上は認められ... -
相撲の歴史
出羽海の系統5
協会に要求11ヶ条をつきつけた力士会と協会幹部。両方に解決策はなく、時間だけがいたずらに過ぎていった。そこで、双方が納得できる調停役を立てることになった。調停役に選ばれたのは警視総督赤池濃であった。赤池は両方の話を聞いたうえで、まず、本場... -
相撲の歴史
出羽海の系統4
元横綱常陸山の出羽ノ海亡き後の部屋の後継者は難航した。候補としては元横綱常陸山の懐刀として大きな力を尽くし、部屋持ちの元両国(前名国岩)の入間川。現役ではあるが、親方を兼ねる二枚鑑札(現在は禁止されている)として横綱大錦、同じく横綱栃木... -
相撲の歴史
出羽海の系統3
元横綱常陸山が出羽ノ海谷右衛門となった初の本場所1915(大正4)年の春場所、出羽ノ海部屋の幕内力士は11人となった。これに続くのが友綱部屋(現在の友綱部屋とのつながりはない)の5人であるから出羽ノ海部屋の躍進ぶりが伺える。また、この年の役員... -
相撲の歴史
出羽海の系統2
ドブ虎常陸山虎吉が師匠の年寄名出羽ノ海と改めてから人を介して市毛谷という少年が入門してきたのだ。後の常陸山谷右衛門である。1890(明治23)年のことである。しかし、稽古場がなく、高砂部屋で稽古する環境は少しも変わらない。16歳の市毛谷は御西山... -
相撲の歴史
出羽海の系統1
数ある相撲部屋のなかでも名門といわれるのが出羽海部屋である。そのルーツ、始まりはいつ誰からなのか。また、どのような歴史をたどってきたのか。あらためて出羽海の系統を追いかけてみた。出羽海部屋というと角聖といわれた明治の大横綱常陸山谷右衛門... -
相撲の歴史
朝青龍の事件は部屋教育の限界を暗示
11月30日元朝青龍に関する番組が流れた。といっても名勝負列伝ではなく、現在の元朝青龍を伝える内容である。今白鵬が大鵬の最高優勝32回に並んだ。だが、あるいは朝青龍が事実上の強制引退がなければ、先に並んだ可能性があったかもしれない。ちなみに朝... -
相撲の歴史
二所ノ関の系統7
1975(昭和50)年の七月場所は大波乱の場所となった。横綱輪島は全休、大関貴ノ花は3連敗して休場。大相撲の看板がそろって休場したのである。横綱北の湖は前半で3敗して9勝6敗、大関魁傑は8勝7敗と上位陣は総崩れとなった。そんな中あれよ、あれよ... -
相撲の歴史
二所ノ関の系統6
1975(昭和50)年3月28日、佐賀ノ花の二所ノ関が急性白血病で亡くなった。まだ57歳だった。敷地475.2平方メートル、建物1650平方メートルの鉄筋4階建という莫大な遺産を残しての死去だった。敷地は借地だが、借地権はついてまわる。師匠のいない弟子は本... -
相撲の歴史
二所ノ関の系統5
初代若乃花が引退したのは1962(昭和37)年の五月場所であった。初代若乃花の最後の優勝が1960(昭和35)年の九月場所だから9場所優勝がないまま土俵を去ったわけである。本来ならもう少し早く引退したかったところだった。これは部屋を興すためにために... -
相撲の歴史
二所ノ関の系統4
中村部屋のルーツは大阪相撲で1927(昭和2)年の東西合併とともに東京に加わった。系統別総当たりのとき、全部屋と対戦していたが、1938(昭和13)年に二所一門に加わった。1943(昭和18)年楯甲新蔵は部屋を引き継いだものの、最後は閉鎖によって1962(昭... -
相撲の歴史
二所ノ関の系統3
玉ノ海の二所ノ関が部屋を佐賀ノ花に譲った1951(昭和26)年5月の夏場所番付では幕内に佐賀ノ花、若ノ花、琴ヶ浜、琴錦、大ノ海、十勝岩、神若(後の芳ノ里)が名を連ねていた。神風は1950(昭和25)年夏場所番付に不満をもって28歳の若さで引退してしま... -
相撲の歴史
二所ノ関の系統2
横綱玉錦急逝後二所ノ関部屋の跡目をどうするかという問題が残った。二子山親方(元土州山)かベテラン海光山という声もあった。しかし、力士・親方・関係者の総意で人望と信用のある玉ノ海が二枚鑑札(現役と師匠を兼ねる制度で現在は禁止されている)と... -
相撲の歴史
二所ノ関の系統1
元二所ノ関親方の金剛が65歳の若さで亡くなられた。体調を崩し、定年前に退職していたが、まさかこんなに早くという思いである。協会退職のとき、二所ノ関部屋は力士は引退し、親方は若島津の松ヶ根部屋に移籍した。名門二所ノ関が跡形もなく消えるのはあ...
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