大相撲

横綱の通信簿 昭和部屋別総当たり編

2016年7月17日

昭和40年、元双葉山の時津風理事長の英断で、
部屋別総当たり制がスタートした。この時期
横綱で迎えているのが、下記の横綱である。
当然、東西制や系統別総当たり制より数字は
あげにくくなっている。

黄:勝率8割以上 12勝以上率4割8分以上 休場率13%以下
紫:勝率7割未満 12勝以上率3割未満 休場率35%以上
通信簿A
休場率は下記をクリックして最下段を参照し
ていただきたい、現役は発表時点での数字で
ある。

_玉の海
 <玉の海>

ここでは玉の海が断然光る。わずか10場所の
横綱在位とはいえ、休場0、勝率、12勝以上
率は大鵬を上回る。玉の海は腰で取る相撲で
あり、安定感は抜群であった。玉の海は昭和
46年10月急逝した。生きていたら第一人者と
して、どこまで相撲界を引っ張っていたか。
双葉山と比較する楽しみがでてきた矢先だっ
た。あまりにも惜しまれる横綱の死去であっ
た。玉の海死去の詳細は下記をクリックして
ご覧ください。
他に怪童北の湖、ウルフ千代の富士がぬきに
出ている。ともに横綱時代が長く、優勝回数
を積み重ね、時代を築いた。北の湖は21歳2
ヶ月という史上最年少で横綱に昇進した。こ
れは現在も破られていない。攻撃相撲で、に
くらしいほど強かった。
北の湖敏満
<北の湖>
 
千代の富士は小兵ながら、投げから前褌を取
って出る鋭い攻めに相撲を変えてから強くな
った。両横綱とも勝率、12勝以上率は大鵬に
及ばないが、横綱勝利数はともに大鵬を超え
た。
千代の富士!
<千代の富士>
 
短命の横綱が3人いる。1人目は琴桜である。
琴桜の横綱は誰も想像できなかった。連続優
勝、ワンチャンスで昇進したが、すでに32歳
で晩年であった。横綱昇進後は予想どおり、
結果を残せなかった。新入幕大錦に負けると
いう不名誉な記録を残した。

2人目は三重ノ海である。大関から陥落後横
綱に昇進したのは三重ノ海だけである。好成
績が続いて優勝はなかったが、横綱に昇進し
た。横綱で全勝優勝を含む連続優勝を達成し
たのが最後の花だった。

3人目は双羽黒である。昭和61年七月場所は
1横綱(千代の富士)5大関(北尾・大乃国・
朝潮・北天佑・若嶋津)の番付であった。そ
こに関脇の保志(後の北勝海)の大関昇進は
決定的であった。このままでは6大関になる。
押し出されるように優勝のない北尾が横綱に
昇進して双羽黒に改名した。最後は問題をお
こし、満足な成績をあげられないまま廃業し
た。

隆の里は短期ながら千代の富士に立ちふさが
った。それがなければ、千代の富士は大鵬の
優勝回数を超えていたかもしれない。新横綱
で全勝するなど華々しい活躍をみせたが、晩
年の成績がよくなかった。

大乃国はガチンコ横綱だった。それゆえ、横
綱の成績が残せなかった。最後は師匠の元魁
傑の放駒が限界とみて引退させた。28歳であ
った。千代の富士の53連勝をストップしたが、
これはガチンコ大乃国にしかできなかった。

これまで様々なデータを作成してきたが
やはり横綱に関するものが多い。

 興味深いテーマをこれからもお届けます。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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