大相撲

横綱の通信簿 昭和戦後・30年代編

2016年7月17日

戦後の変化は優勝決定戦の制度の誕生、系統
別総当たり制復活、15日制の定着、年6場所制
スタートがあげられる。

これまで最高成績が同じ場合、番付上位が優
勝者であった。戦後の混乱期、なんとか相撲
人気の向上を図ろうと協会と記者クラブが協
力して考えたのが、優勝決定戦制度である。
同成績なら番外として対戦するのだから力士、
ファンに歓迎された。昭和22年夏(6月)場所
から施行され、数々のドラマを生んだ。

また、翌場所系統別総当り制に戻った。昭和
24年夏(5月)場所から15日制が定着した。
羽黒山・照國は優勝決定戦、15日制定着まで
相撲を取っていた。年6場所制は昭和33年に
スタートした。

黄:勝率8割1分5厘以上 12勝以上率5割以上 休場率13%以下
紫:勝率7割1分未満 12勝以上率3割3分3厘未満 休場李35%以上
通信簿A
休場率は下記をクリックして最下段を参照し
ていただきたい、現役は発表時点での数字で
ある。
群雄割拠といえば聞こえはいいが、どんぐり
の背比べという見方もできる。東富士から吉
葉山まで勝率6割台、12勝以上率3割以下で
ある。東富士・千代の山1場所平均10.5勝、
鏡里1場所10.4勝、吉葉山1場所9.3勝という
低さである。横綱の責任勝ち星12勝以上も少
ない。3場所に1回で33%であるが、それ以
下である。東富士は成績にむらがありすぎる。
吉葉山は成績不振で終始した。
栃錦 宮錦
<栃錦のブロマイド>
 
栃錦、若乃花は拮抗した好敵手として栃若時
代を築いた横綱であった。勝率は8割までい
かなかった。栃錦は1ケタ勝利で苦しんだ時
期があり、若乃花は、部屋創設の関係から、
晩年が長かった。しかし、12勝以上の責任勝
利をともに場所の半分以上をあげた。
ブロマイド 若
<若乃花のブロマイド>
 
6場所時代の申し子大鵬は、入幕した年から
引退する年まで優勝のなかった年はなかった。
横綱で初めて50場所を超える58場所の在位の
なかで、数々の実績を残した。勝率8割5分8
厘、12勝以上38回、12勝以上率6割5分5厘
は抜群の数字で、大鵬時代を築いた。

大鵬の好敵手柏戸は安定性に欠けた。横綱47
場所在位ながら12勝以上は少なく14回だった。
ただ前褌を取って走る相撲は数字でははかれ
ない魅力だった。
大鵬
<大砲>
 
朝潮は甘い昇進だった上、横綱になって休場
が多くなった。休場率は35%である。年6場
所中2場所は全休していることになる。強い
朝潮と弱い朝潮が同居しているといわれたが、
横綱時代は後者だった。栃ノ海はワンチャン
スで横綱に昇進した、しかし、誰とやっても
勝てる気がしなく、28歳の若さで引退すること
になった。

相撲仲間で携帯電話がない方がいる。

ついに場所前連絡が取れなかった 。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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