大相撲

横綱の通信簿 昭和戦前編

2016年7月17日

黄:勝率8割2分以上 優勝次点率4割以上 休場率13%以下
紫:勝率7割2分未満 優勝次点率2割7分未満 休場李35%以上
通信簿A
休場率は下記をクリックして最下段を参照し
ていただきたい、現役は発表時点での数字で
ある。
明暗がはっきり出ている。稽古熱心闘魂玉錦
と69連勝の無敵双葉山が明である。ともに一
時代を築いた横綱中の横綱であった。勝率、
優勝次点率ともに似たような数値を残してい
る。休場率は玉錦が10%台、双葉山が12%台
であった。双葉山は数字以上に土俵態度、立
ち合いのりっぱさが高く評価されている。
玉錦
<玉錦のブロマイド>
 
この時期昭和・平成ワースト横綱争いをする
武蔵山と前田山が名前をみせている。武蔵山
は休場続きで皆勤はわずか1場所である。休
場率は70%である。皆勤した1場所もかろう
じて勝ち越すほどである。前田山は横綱勝率
負け越し。休場率ワースト7位の39.5%であ
る。当然両者とも優勝も次点もない。

優勝も次点もない横綱がまだいる。男女ノ川
である。勝率も6割1分3厘とふるわない。
負け越しもある。安芸ノ海は数字的には男女
ノ川よりいいが、横綱としては不合格である。
照國はナンバー2的イメージがあったが、数
字をみると意外に次点が少ない。勝率7割2
分8厘は1場所10.9勝に相当する。
双葉山_ 
<双葉山のブロマイド>
 
羽黒山は戦前、双葉山の陰に隠れていた。羽
黒山が第一人者となったのは戦後だが、その
ころは相撲どころではなかった時代である。
それでも昭和20年秋場所から4連覇して、強
豪横綱ぶりを示した。アキレス腱の断裂が羽
黒山のもう一つの不運であった。

歴史があって今がある。

相撲史を知れば今がわかる。

興味深いテーマをこれからもお届けます。
マーク2カ所をクリックして支援してください。

よしなに
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
にほんブログ村 

相撲 ブログランキングへ 
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑     

 

当サイトはブログランキングに参加しています、どうか応援をお願いいたします!

【ブログランキング】で、土俵の目撃者を応援して頂けるかたは↓をクリック


【日本ブログ村】で、土俵の目撃者を応援して頂けるかたは↓をクリック
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
にほんブログ村
  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

-大相撲

Copyright© 土俵の目撃者(毎日更新) , 2024 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.