大相撲

横綱の通信簿 昭和戦前編その前に

2016年7月17日

大正14年摂政宮殿下(後の昭和天皇)からの
下賜金によって天皇賜杯がつくられ、大正15
年から最高成績者に授与されるようになった。
これを機に協会が優勝を認定、表彰するよう
になった。

160522千秋楽幕内表彰 673
<賜杯>

優勝制度上解消すべき問題が出てきた。預か
り、引き分け、対戦相手が休場すると自分も
「や」扱いになる点である。星取り表上預かり、
無勝負がなくなったのは大正15年春(1月)
場所である。しかし、制度として正式に決め
たのは前年の11月である。取り直しは現在の
ようにすぐ取り直さず、2番後取り直したが、
それでも勝負がつかないときは、別の日に
再戦した。
 
不戦勝制度は昭和2年関西でおこなわれた十
月場所から正式に適用された。不戦勝の制度
が徹底していなかったため、不戦勝は正規の
勝ち星より劣るといった考えが一人歩きして
いた。そのため、昭和3年3月正式に不戦勝
不戦敗制度が確立して、これ以降不戦勝の力
士は土俵で勝ち名乗りを受けるようになった。

戦前絵葉書 両国国技館
<両国国技館絵葉書>

これまでの優勝はすべて東西制によるものだ
が、ある事件が歴史を変えた。昭和7年春秋
園事件で多くの脱退力士により春(1月)場所
の番付を編成し直し、2月に興行をおこなった。
このとき系統別総当り制を導入した。

系統別総当り制は8年間続いたが、出羽海系
が幕内の半数近くを占め、昭和15年東西制に
戻ってしまった。

いささか長くなったが、以上のことをふまえて
昭和戦前の横綱の通信簿を次回からみてみ
よう。

地方場所のホテルで営業終了にあうことがある。

名古屋も今年が最後になる。 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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