大相撲

横綱の通信簿 明治・大正編

2016年7月17日

横綱が実質上地位化したのは、明治の常陸山
以降である。この時代、取組は東西別、国技
館の開設とともに東西で団体優勝を争う東西
制である。同じ方屋同士は対戦しなかった。
勝った方屋が次の場所東にまわる。だから同
じ地位なら東が上とは必ずしもいえなかった。

優勝は国技館開設とともに、幕内最高成績者
の額を国技館に掲げる時事新報社設定でスタ
ートした。あくまで協会ではなく一新聞社の
表彰である。そのため、制度上改善の余地が
大有りだった。引き分け、預かり、対戦相手が
休むと自分も「や」にされるなど不合理な面を
残したままだった。

以上のことを頭において、明治・大正期の東
京横綱の通信簿をみていこう。

黄:勝率8割5分以上 優勝次点率4割以上 休場率13%以下
紫:勝率7割5分未満 優勝次点率2割8分未満 休場李35%以上
通信簿A
休場率は下記をクリックして最下段を参照し
ていただきたい、現役は発表時点での数字で
ある。
なお、引き分け、預かりは0.5勝0.5敗として
勝率を計算している。引き分けを除外して計
算している場合があるが、1勝14引き分けが
勝率10割で、14勝1敗より上といのはどう考
えても不合理である。14番勝つほうがはるか
に難しく、価値があるのは当然である。

太刀山
<太刀山のブロマイド>

明治・大正期は年2場所ながら休場が多い。
常陸山、鳳、西ノ海(2代目・3代目)は勝利
数より休場数のほうが多いのだからあきれ
る。2代目梅ヶ谷にしても横綱勝利数90に対
し休場は86と異常接近している。

勝率9割超え、5連覇、優勝次点率は8割超
え、休場率6%と抜群の好成績を残したのが、
栃木山である。栃木山は3連覇したあと引退
したので、晩年の不成績がないのが大きい。
この時代を代表する横綱として太刀山があげ
られる。5連覇、勝率9割超えだが、休場が
多いのがマイナス点である。

栃木山
<栃木山のブロマイド>

横綱不合格は誰の目にも明らかである。鳳、
2人の西ノ海、宮城山である。優勝次点率の
数値が悪すぎるのは、トップに立てない証明
である。なお、宮城山は大阪横綱だが、数字
は東西合併後のものである。厳密には昭和の
成績なのだが、横綱になったのが、大正のた
めここに分類した。大阪横綱は、東京相撲の
小結程度で、東西制で勝率5割台はいいわけ
できない。
引退相撲の商品入れとなった若の里手さ
げ袋は便利である。有効に活用している。

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  • この記事を書いた人
denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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