大相撲

■春10日目 峰崎部屋の某力士休場

2018年3月20日

今日から峰崎部屋の某力士が休場した。暴行
を受けた弟弟子(引退)の父が親方に手紙を
書き、親方が本人に確認しての処置であった。

相撲界の暴行体質は、ミスを痛みで償え、とか
痛みで物事を覚えろからきていて、長い歴史の
なかで積み重ね、育まれてきた。

栃錦が下のころ、兄弟子の衣類を洗濯板と
洗濯石鹸を使ってたらいで外で洗濯していた。
そうしていたら、後ろから荷物で殴られたと
いう。兄弟子が「そこをどけ」というのがめん
どくさく、そうしたというのだから、そうとう
むちゃくちゃな時代だった。

歴史をみても人の意識はある日突然変わるもの
でないことがわかる。戦国時代が終わり太平の
世がきても、人の気質は戦国時代のままであった。
その気質は一言でいうと、人殺しが手柄になる
というものである。

これが改まるにはショック療法が必要であった。
それが生類憐れみの令であった。人の命が尊ば
れるようになったのは、それ以降である。

相撲界から暴行をなくすショック療法は、理由を
問わず、即破門にすることである。親方とて例外
ではない。稽古の名を借りた暴行も同様である。

口で言っただけでは、効果がないことは、貴公俊
が証明した。今の協会にショック療法という発想
はないのかもしれない。だとしたら時間はかかり
そうである。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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