第48代横綱 大鵬とは|新入幕から11場所での横綱昇進、優勝32回・872勝と2度の6連覇、45連勝を止めた一番まで【歴代横綱シリーズ】

大鵬 幸喜(たいほう こうき)は第48代横綱。北海道川上郡弟子屈町の出身で、二所ノ関部屋。昭和36年(1961年)十一月場所から昭和46年(1971年)五月場所まで横綱を務め、幕内優勝32回、生涯872勝182敗136休を残した。新入幕から横綱まで11場所は、当サイト運営者・田口 通廣の集計で歴代最短である。田口は「32回優勝、6連覇2度、48連勝+α、横綱勝利数など6場所時代の申し子といわれるほど偉大な功績を残した存在であった」と書いている。

※戦歴の数字は日本相撲協会の歴代横綱プロフィール(2026年9月16日確認)から写した。協会サイトの「過去の成績」は平成25年以降しか無いので、場所ごとの出来事は田口の記名記事の記述を、引用と明示して載せている。この記事には写真が1枚も無い。当サイトの写真は田口が土俵際で撮ったものに限っており、大鵬の現役(昭和35〜46年)は田口が撮り始めた2007年よりはるか前だからである(カードに出る画像は両国国技館の外観で、大鵬ではない)。歴代横綱の一覧は初代明石から第75代大の里までに。

目次

大鵬の基本データ|協会公式プロフィール(2026年9月16日確認)

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四股名大鵬 幸喜(たいほう こうき)。しこ名履歴は納谷 → 大鵬
代第48代横綱(昭和36年11月〜昭和46年5月)
本名・出身納谷 幸喜・北海道川上郡弟子屈町
生年月日昭和15年(1940年)5月29日
部屋二所ノ関
身長・体重187cm・153kg(歴代横綱の体重ランキング)
初土俵/新十両/新入幕昭和31年九月場所/昭和34年五月場所/昭和35年一月場所
新大関/新横綱昭和36年一月場所/昭和36年十一月場所
引退昭和46年五月場所
優勝幕内32回・十両1回・三段目1回
三賞・金星殊勲賞0回・敢闘賞2回・技能賞1回。金星1個
生涯戦歴872勝182敗136休(87場所)
幕内戦歴746勝144敗136休(69場所)
出典=日本相撲協会「歴代横綱」第48代 大鵬 幸喜(2026年9月16日確認)

この代のプロフィールには「得意技」と「新三役」の欄が無い。ほかの代には入っているので、当サイトでも無いものは書かずに空けてある。出典は日本相撲協会「第48代横綱 大鵬 幸喜」(2026年9月16日確認)。大鵬が所属した二所ノ関部屋の名は、2026年9月16日時点の協会「相撲部屋のご紹介」にもある。ただし今の二所ノ関部屋の師匠は第72代横綱 稀勢の里で、大鵬の当時とは別の部屋である。

新入幕11連勝から11場所での横綱へ|歩みの年表

時期出来事出典
昭和31年九月場所初土俵。二所ノ関部屋(師匠は元大関 佐賀ノ花)に納谷の名で入門した協会・田口 53054
昭和34年五月場所新十両。田口「納谷が期待に応え、3年で十両に昇進したとき大鵬の名を与えられた」協会・田口 53054
昭和35年一月場所新入幕。初日から11連勝し、12勝3敗で敢闘賞。止め役に選ばれた小結柏戸に下手出し投げで敗れて連勝が止まった協会・田口 18125・18278
昭和35年三月場所初めて上位と当たり7勝8敗。田口はこの場所の福田山戦も誤審だった可能性が大きいと書いている田口 46482
昭和35年十一月場所関脇で初優勝。13勝2敗。入幕から6場所目で、20歳6ヶ月だった。関脇優勝なのに三賞なしという珍しい結果になった田口 18125・18278
昭和36年一月場所新大関。20歳での大関は田口の一覧で2代目貴ノ花・北の湖と並ぶ最年少協会・田口 22102
昭和36年九月場所後柏戸とともに横綱へ推挙される。田口「柏戸はあきらかに大鵬と抱き合わせであった」田口 51662
昭和36年十一月場所新横綱(第48代)。新入幕から11場所は田口の集計で歴代最短協会・田口 31492
昭和39年七月場所横綱として初めての休場。5日目から休んだ。ここまで13回優勝していた田口 51397
昭和42年九月場所〜昭和43年七月場所5場所連続で休場。田口「大鵬は夏巡業で土にまみれて猛稽古して再起をはかった」田口 51397
昭和43年九月場所休場明けの初日に栃東に敗れたあと14連勝で優勝。ここから連勝が積み上がる田口 51397・53054
昭和44年三月場所2日目戸田(後の羽黒岩)戦。軍配は大鵬に上がったが5人の審判が覆し、45で連勝が止まった田口 17172・17627・53054
昭和44年五月場所休場明けで30回目の優勝。これが評価されて一代年寄が贈られた田口 51397
昭和45年七月場所引退騒動。結局引退せず途中休場となった田口 49541・42258
昭和46年一月場所最後の優勝。貴ノ花との死闘があった場所である田口 49562
昭和46年五月場所5日目の貴ノ花戦が最後の一番になり、引退協会・田口 49562
2013年1月19日(一月場所7日目)心室頻拍のため死去、72歳。同年2月25日に国民栄誉賞が贈られた(内閣府の受賞者一覧。田口は「2月26日」と書いている)内閣府・デイリースポーツ・田口 17062
「協会」は歴代横綱プロフィールの番付推移。番号は当サイトの記事ID

出はじめの衝撃を、田口は何度も書いている。「大鵬といえば、新入幕のとき初日から勝ちまくって11連勝し、日本中からいちやく注目される存在となった。今と違って十両のテレビ中継がない時代だけに彗星のように出現した印象であった」。連勝の止め役として組まれたのが小結柏戸で、この一番は下手出し投げで柏戸が制した。それでも大鵬は12勝3敗で敢闘賞を取っている(戦後最大の功績者大鵬・2014年11月7日/スーパー力士大鵬・2017年4月20日)。

入幕から6場所目の昭和35年十一月場所、関脇大鵬は13勝2敗で初優勝した。20歳6ヶ月である。ところが三賞は付かなかった。田口は「関脇優勝の大鵬が三賞なしだったのである。今では考えられないことである。大鵬の将来性から優勝は当然とみなされたふしがある」と書き、朝汐に次いで史上2人目だったと添えている(三賞に縁が薄かった偉大な大鵬・2017年9月30日)。協会プロフィールの三賞が殊勲賞0回・敢闘賞2回・技能賞1回にとどまっているのは、平幕から関脇までの在位がわずか6場所しか無かったためである。

横綱昇進は柏戸との同時だった。田口が当時の直前3場所を並べている。「大鵬11勝ー13勝優勝ー12勝優勝 21歳/柏戸10勝ー11勝ー12勝 22歳」。そして「成績からいうと柏戸は横綱論外である」「柏戸はあきらかに大鵬と抱き合わせであった。大関時代の勝率が大鵬と遜色ないという基準外の理由であった」と書く。横審の推挙が発表されたのは昭和36年9月26日の午後7時だった(今は昔 大鵬・柏戸の横綱昇進に待った・2026年4月26日)。柏鵬時代と呼ばれた10年について、田口の見方ははっきりしている。「柏鵬時代は実質的に大鵬時代となった」(好敵手差がつくとき 大鵬・柏戸)。

45連勝と昭和44年三月場所2日目|連勝を止めた一番

大鵬の連勝は、5場所連続休場から戻った昭和43年九月場所に始まる。初日に栃東へ敗れたあと44連勝し、翌昭和44年三月場所の初日に藤ノ川を下して45まで伸ばした。2日目の相手は新鋭の戸田(後の羽黒岩)である。田口が経緯を書いている。「戸田は立ち合いから猛然と大鵬を押したてた。大鵬後退。後退しながら東土俵から正面にまわりこんだ。なおも押し立てる戸田だが、まわり込んだ大鵬を押すとき右足が土俵の外の砂をはねた。直後に大鵬が正面土俵を割った」(大鵬の金星配給率・2026年6月28日)。

軍配は大鵬に上がり、控えの高鉄山も戸田の足が出たと主張した。それを覆したのが5人の審判である。田口は名前まで書き残している。「審判長の元栃錦の春日野、元栃光の千賀ノ浦、元鶴ヶ嶺の君ヶ浜、元羽島山の松ヶ根、元羽黒花の玉垣は戸田の勝ちと判定した」(大鵬の休場明け優勝)。その後について田口は「正しいさばきをした行司が進退伺いを出し、誤審で連勝をストップした審判はお咎めなしであった。こんな矛盾に観客はとてもついていけず、この後大阪府立体育館はがらがらだった」と書いている(大鵬の連勝記録が誤審でストップ・2015年11月17日)。この一件がきっかけでビデオ判定が導入された、というのも田口の記述である。

では連勝は何で止まったのか。公式の記録は45である。田口はそれに納得していない。「このあと大鵬は2連勝して誤審のショック?からか休場してしまった。つまり大鵬は実質48連勝しているのである」(大鵬の連勝記録は48連勝+α・2014年6月11日)。ただし田口自身、双葉山・白鵬と数字で比べた2018年の記事では「大鵬 47連勝+α」と書いている。当サイトはこの差をどちらかに寄せる材料を持っていないので、45という公式の記録と、田口が別々の時期に書いた47と48の両方をそのまま並べておく。

田口はもう1つ、目立たない誤審があったと書いている。新入幕の翌場所、昭和35年三月場所の福田山戦である。「当時の専門誌を見ても福田山の肘が早く落ちていた。そのため負け越す結果に陥った」。もし勝ち越していれば「新入幕から27場所連続勝ち越していたことになる」という(大記録を逃した大鵬の誤審黒星・2025年2月19日)。ビデオ判定の無い時代、物言いは一門の利益でつくのが常識だったとも田口は書いている。

優勝32回と2度の6連覇|記録の位置づけ

項目数字出どころ(記事ID)
幕内優勝32回協会プロフィール。田口「32回優勝、6連覇2度、48連勝+α、横綱勝利数など6場所時代の申し子といわれるほど偉大な功績を残した」(17278)
生涯戦歴872勝182敗136休(87場所)協会プロフィール
幕内戦歴746勝144敗136休(69場所)協会プロフィール
三賞・金星殊勲賞0回・敢闘賞2回・技能賞1回。金星1個協会プロフィール。平幕・小結・関脇の在位はわずか6場所で、そのうち11勝以上が5度あった(田口 18278)
十両優勝・三段目優勝各1回協会プロフィール
横綱在位昭和36年11月〜昭和46年5月協会プロフィール。田口は58場所と数えている(53054)
連続優勝6連覇を2度田口「6場所制の申し子大鵬が初めて6連覇を2度成し遂げた」(18410・2018年)
連勝45でストップ田口は誤審の一番を入れれば実質48連勝+αだと繰り返し書いている(17172・17062・45491)。2018年の比較記事では47連勝+αと書いており、当サイトはこの差をそのままにしている
新入幕から横綱まで11場所田口の集計で歴代最短。2位は双羽黒の12場所(31492・2021年)
昇進年齢21歳田口の一覧では北の湖と並んで最年少。別の記事では21歳3ヶ月と書いている(17877・53054)
横綱同士の対戦40勝21敗(勝敗差+19)田口の集計で歴代1位。優勝決定戦2勝1敗を含む(17183・2014年5月時点)
幕内上位で12勝以上43回田口の集計。千代の富士40回・白鵬64回と並べている(41604・2023年)
金星配給率8%横綱在位58場所・平幕戦306勝28敗から田口が算出。フル出場して金星なしが28場所(53054・2026年)
優勝回数・戦歴・三賞・金星・番付推移は協会プロフィール。順位と比較は田口 通廣の集計(2014年・2018年・2021年・2023年・2026年時点)

優勝32回という数字が長く「不滅」と呼ばれた理由を、田口が当時の相場から説明している。「大鵬が32回目の優勝を達成したときは、次が双葉山の12回(年2場所制)だったのだから、不滅の記録と思われていた」。それを最初に抜いたのが白鵬で、平成27年一月場所の33回目だった(白鵬、大鵬の優勝32回超え・2015年)。3人を並べた別の集計では、初優勝から30回目までにかかった場所数が白鵬49・大鵬52・千代の富士55で、勝率は白鵬8割8分5厘・大鵬8割6分2厘・千代の富士8割5分8厘だった(白鵬・大鵬・千代の富士3強の比較・2014年8月時点)。

大鵬にしか無い記録も田口は挙げている。相撲クイズの答えとして書いたものである。「大鵬は入幕した年から引退する年まですべて優勝しています。特に入幕した年に優勝することはかなり至難だと思います」。2024年、大の里が入幕1年で2回優勝したときにも、田口はこの記録を持ち出して「これは優勝45回の白鵬でもなしえていない」と書いている(どこまでいくか!大の里の大鵬超え・2024年12月14日)。

取り口については、田口は「負けない相撲」で一貫している。「大鵬は守りの相撲であり、同時に15日間を計算して優勝へもっていく相撲だった」(18063)。師匠の二所ノ関(元大関 佐賀ノ花)の方針でもあった。「二所ノ関は自分の師匠である玉錦の攻撃型ではなく、負けない相撲を仕込んだ。攻撃型はどうしても破綻がつきまとう。負けない相撲を取った大鵬は安定性十分であった」「大鵬には型がないといわれたが、二所ノ関は、大鵬は自然体と反論した」(横綱の総合番付(中編)・2021年)。稽古については、昭和39年の広島準場所を伝えた雑誌「大相撲」の記述を田口が引いている。「けいこの質と量で、断然他を圧倒しているのが横綱大鵬だ」(大鵬の稽古その質と量)。

晩年、貴ノ花との最後の一番、そして2013年

田口は大鵬の晩年を昭和44年七月場所からと見ている。この場所で柏戸が引退した。翌昭和45年三月場所、宣伝ポスターは新横綱の北の富士・玉の海の2人で、大鵬の姿は無かった。「これが大鵬に火をつけたのか」。大鵬は終盤に玉の海と北の富士をどちらも倒して優勝した。五月場所の千秋楽も、全勝優勝を狙う北の富士と投げの打ち合いになり、大鵬がわずかにまさった。田口は大鵬の意地をこう書き留めている。「先輩横綱は苦労して全勝優勝している。横綱2場所目のやつに全勝されてたまるか」(大鵬の晩年 上・2025年10月18日)。

最後に立ちはだかったのが貴ノ花である。昭和45年九月場所5日目に敗れ、貴ノ花はこれが初の三賞(殊勲賞)になった。昭和46年一月場所の再戦を田口は「晩年最大の死闘」と書いている。「貴ノ花の出し投げに大鵬は泳いで土俵際に詰まった。必死で吊りにいく貴ノ花。つま先立ちで必死に残す大鵬。大鵬が体をあびせる形になってどうにか勝った」。この場所が大鵬の最後の優勝になった。そして五月場所5日目、また貴ノ花と当たる。「貴ノ花のねばる相撲に大鵬は最後土俵からくずれた。これが大鵬最後の一番になった」(大鵬の晩年 下)。田口は晩年の大鵬が5日目に取りこぼす回数の多さにも気づいていて、「大鵬魔の5日目」という言い方で1本の記事にしている(大鵬最晩年の珍記録)。

引退後は一代年寄 大鵬として部屋を持ち、関脇巨砲・幕内嗣子鵬らを育てた。一代年寄が贈られたのは昭和44年五月場所、30回目の優勝を果たしたときである(51397)。亡くなったのは2013年1月19日、一月場所の7日目だった。死因は心室頻拍、72歳(デイリースポーツ・2013年1月20日。死亡日は内閣府「国民栄誉賞受賞者一覧」にも同じ日付がある。2026年9月27日確認)。田口は年末の10大ニュースの1位にこの日を置いている。「72歳であった」「2月26日、国民栄誉賞が政府から贈られ、夫人と白鵬が出席した」(2013年10大ニュース 2位・1位・2013年12月20日)。内閣府の一覧では表彰は2月25日で、田口の書いた日付と1日ずれる。田口の文はそのまま引き、日付は内閣府の表記を併記しておく。協会の歴代横綱プロフィールには没年の欄が無い。

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大鵬についてよくある質問

Q. 大鵬は何代目の横綱ですか?
第48代です。昭和36年十一月場所に昇進し、昭和46年五月場所で引退しました(協会プロフィール)。前が第47代柏戸、次が第49代栃ノ海です。柏戸とは同じ日に横綱へ推挙されています。

Q. 優勝は何回ですか?
幕内優勝32回です。ほかに十両優勝1回・三段目優勝1回があります(協会プロフィール)。田口は「入幕した年から引退する年まですべて優勝している」のが大鵬だけの記録だと書いています。

Q. 連勝記録は45ですか、それとも48ですか?
止められた数は45です。田口は、昭和44年三月場所2日目の戸田戦が誤審だったとして「実質48連勝+α」と書いています(17172)。ただし同じ田口が2018年の比較記事では「47連勝+α」と書いており、当サイトはどちらかに寄せず両方を載せています。

Q. 横綱になるのが一番速かったのは大鵬ですか?
新入幕からの所要場所数では田口の集計で歴代最短の11場所です。一覧は横綱昇進 最速ランキングにあります。昇進年齢も21歳で、第55代 北の湖と並ぶ最年少です。

Q. 「巨人・大鵬・卵焼き」はいつの言葉ですか?
田口は、大鵬が優勝を重ねていた時期に生まれた流行語として書いています(53054)。同じ記事に「テレビ中継で大鵬の取組が始まる時間になると、銭湯の女湯がガラガラになったという」ともあります。

Q. 大鵬はハーフだったのですか?
田口は「大鵬の父は長い間ロシア人と見られていたが、厳密にはウクライナ人であった。当時日本領だった南樺太で生まれた」と書いています(53054)。協会の歴代横綱プロフィールには出身地(北海道川上郡弟子屈町)しか記載がありません。

Q. いつ亡くなりましたか?
2013年1月19日、一月場所の7日目です。死因は心室頻拍、72歳でした(デイリースポーツ・2013年1月20日。死亡日は内閣府の国民栄誉賞受賞者一覧にもあります)。同年2月25日に国民栄誉賞が贈られました。協会の歴代横綱プロフィールには没年の欄がありません。

Q. なぜこの記事には写真が無いのですか?
当サイトの写真は運営者・田口 通廣が撮ったものに限っています。田口が土俵際で撮り始めたのは2007年からで、大鵬の現役(昭和35〜46年)はそれより前です。記事のカードに出る画像は両国国技館の外観で、大鵬本人ではありません。

▶ 歴代横綱シリーズ:歴代横綱一覧|初代明石から第75代大の里まで/第35代 双葉山/第51代 玉の海/第52代 北の富士/第55代 北の湖/第58代 千代の富士/第64代 曙/第65代 貴乃花/第68代 朝青龍/第69代 白鵬/第70代 日馬富士/第71代 鶴竜/第72代 稀勢の里/第73代 照ノ富士/第74代 豊昇龍/第75代 大の里

▶ 田口の大鵬論:戦後最大の功績者大鵬/スーパー力士大鵬/大鵬の連勝記録は48連勝+α/大鵬の連勝記録が誤審でストップ/大記録を逃した大鵬の誤審黒星/大鵬の休場明け優勝/三賞に縁が薄かった偉大な大鵬/大鵬の稽古その質と量/好敵手差がつくとき 大鵬・柏戸/今は昔 大鵬・柏戸の横綱昇進に待った/大鵬の晩年 上/下/大鵬最晩年の珍記録/大鵬の金星配給率/横綱同士の対戦成績ランキング/白鵬・大鵬・千代の富士の好成績回数/どこまでいくか!大の里の大鵬超え

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この記事を書いた人

少年漫画雑誌、日経関連の編集者を経て独立。現在は大相撲を専門に取材するライター。ほぼ毎場所、自ら土俵際で撮影している。にほんブログ村 相撲・大相撲カテゴリでランキング1位。

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