将棋界は、中学生プロ棋士藤井聡太四段の
誕生・活躍が話題になっている。頭脳を駆使
し、幼少の頃から取り組めばありうることで
ある。といってもこれまで4例しかいないの
だから、偉業には違いない。相撲は体作り、
稽古の積み重ねが必要だから、こうはいか
ない。それでも、大相撲にスーパー力士と
思われる者が一人いる。大鵬である。
大鵬の四股名は十両昇進とともにつけられた。
若くて強い大鵬は十両時代から人気があった。
なお、当時の十両は20枚くらいあった。昭和
35年一月場所、新入幕の大鵬は初日から連戦
連勝。ついに連勝は11にまできた。人気は
さらに爆発し、がぜん注目が高まった。
ここでストップ役として対戦が組まれた
のが、若手の実力者小結柏戸である。この
一番は両力士力の限りをつくしたが、柏戸
の力が上回り、下手出し投げで勝った。この
当時の大鵬は細かった。大活躍の大鵬は
12勝3敗で敢闘賞を受賞した。
のが、若手の実力者小結柏戸である。この
一番は両力士力の限りをつくしたが、柏戸
の力が上回り、下手出し投げで勝った。この
当時の大鵬は細かった。大活躍の大鵬は
12勝3敗で敢闘賞を受賞した。
大鵬の人気は凄まじく、様々な特集が雑誌に
組まれた。世の中は大鵬ブームであった。
相撲評論家の彦山光三氏は朝潮にサジを投げ、
次は大鵬だと期待を寄せた。大鵬はとてつも
なく期待される逸材だった。
そしてこの後超スピードで出世していく。
入幕した昭和35年の十一月場所、2敗で朝潮、
若羽黒、大鵬、栃ノ海が併走する展開だった。
そのなかから関脇大鵬が抜け出し、13勝2敗
で堂々の初優勝を達成し、大関昇進を決定的
にした。20歳6ヶ月という若さであった。
大鵬の素質から横綱は時間の問題であった。
なお、入幕した年から引退する年まですべて
優勝しているのは、大鵬一人である。阪神の
村山投手は、英雄の条件を次のように述べて
いる。「ファンが期待したとき、その通りの
結果をだせる者」まさに大鵬は英雄であり、
スーパー力士であった。
異口同音に聞くことは、稀勢の里は五月
場所出場できるのだろうか。出場しても
最後まで取れるのだろうか、ということ
です。
興味深いテーマをこれからもお届けます。
マーク2カ所をクリックして支援してください。
よしなに
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
↑↑↑↑↑↑↑↑↑