大相撲

新入幕から横綱昇進までの所要場所数番付

2021年11月5日

照ノ富士は大関降格後、番付を序二段まで
落としながら幕内に復活した。それだけでは
ない。ついには横綱にまでのぼりつめたので
ある。照ノ富士の新入幕は2014年三月場所で
ある。それから44場所かけて横綱に昇進した。
実に7年以上かけての横綱であった。

<照ノ富士>

横綱は新入幕からどれくらいの場所数をかけ
て昇進するのか、調べてみた。対象は15日制
及び横審議誕生以降の千代の山以降とした。
場所数が少なかった時代の常陸山以降の東京
横綱は参考としてあげておく。それが以下で
ある。数字は新入幕から横綱昇進までにかか
った所要場所数である。

大鵬は入幕した年に優勝し、優勝した1年後
は新横綱だった。期待の新星は予想を超える
スピード出世だった。これに次ぐのが双羽黒
である。優勝経験がない横綱、横綱の途中で
師匠と対立して協会を辞めていったイメージ
が強かったが、意外とスピード出世だった。
ただ、千代の富士に頭をおさえられた存在
だった。

<大鵬>

朝青龍のときは横綱の端境期だった。武蔵丸
は晩年で休場が多かった。朝青龍に対抗でき
る者はいなく、あっさり横綱昇進を決めた。
大関在位は3場所だった。これは年6場所制
の大関在位では最短タイ記録である 。記録男
白鵬は大関時代、ケガで全休したことが影響
し、新入幕から19場所かかった。

<朝青龍>

新入幕後十両落ちした力士が8人いる。北の
湖、栃ノ海、2代目若乃花、貴乃花、千代の
富士、照ノ富士、隆の里、琴櫻である。隆の
里は新入幕後通算7場所十両にいた。千代の
富士は幕下にまで落ちている。千代の富士は
投げ中心でよく脱臼していた。照ノ富士は
十両4場所、幕下4場所三段目3場所序二段
1場所を経て奇跡の横綱昇進を達成した。

その照ノ富士より時間がかかったのが、旭
富士、武蔵丸、3代目若乃花、日馬富士、
隆の里、琴櫻、三重ノ海、稀勢の里である。
稀勢の里の行くところ常に人が集まる。横綱
になった稀勢の里の人気はもの凄かった。
横綱を待望されながら、稀勢の里が横綱に
なったのは、新入幕から73場所を要してから
だった。12年以上かかっての遅咲きだった。
致命的な負傷さえなければと今でも惜しま
れる。

<稀勢の里本場所最後の土俵入り>

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denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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