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新入幕から横綱昇進までの所要場所数番付

照ノ富士は大関降格後、番付を序二段まで
落としながら幕内に復活した。それだけでは
ない。ついには横綱にまでのぼりつめたので
ある。照ノ富士の新入幕は2014年三月場所で
ある。それから44場所かけて横綱に昇進した。
実に7年以上かけての横綱であった。

<照ノ富士>

横綱は新入幕からどれくらいの場所数をかけ
て昇進するのか、調べてみた。対象は15日制
及び横審議誕生以降の千代の山以降とした。
場所数が少なかった時代の常陸山以降の東京
横綱は参考としてあげておく。それが以下で
ある。数字は新入幕から横綱昇進までにかか
った所要場所数である。

大鵬は入幕した年に優勝し、優勝した1年後
は新横綱だった。期待の新星は予想を超える
スピード出世だった。これに次ぐのが双羽黒
である。優勝経験がない横綱、横綱の途中で
師匠と対立して協会を辞めていったイメージ
が強かったが、意外とスピード出世だった。
ただ、千代の富士に頭をおさえられた存在
だった。

<大鵬>

朝青龍のときは横綱の端境期だった。武蔵丸
は晩年で休場が多かった。朝青龍に対抗でき
る者はいなく、あっさり横綱昇進を決めた。
大関在位は3場所だった。これは年6場所制
の大関在位では最短タイ記録である 。記録男
白鵬は大関時代、ケガで全休したことが影響
し、新入幕から19場所かかった。

<朝青龍>

新入幕後十両落ちした力士が8人いる。北の
湖、栃ノ海、2代目若乃花、貴乃花、千代の
富士、照ノ富士、隆の里、琴櫻である。隆の
里は新入幕後通算7場所十両にいた。千代の
富士は幕下にまで落ちている。千代の富士は
投げ中心でよく脱臼していた。照ノ富士は
十両4場所、幕下4場所三段目3場所序二段
1場所を経て奇跡の横綱昇進を達成した。

その照ノ富士より時間がかかったのが、旭
富士、武蔵丸、3代目若乃花、日馬富士、
隆の里、琴櫻、三重ノ海、稀勢の里である。
稀勢の里の行くところ常に人が集まる。横綱
になった稀勢の里の人気はもの凄かった。
横綱を待望されながら、稀勢の里が横綱に
なったのは、新入幕から73場所を要してから
だった。12年以上かかっての遅咲きだった。
致命的な負傷さえなければと今でも惜しま
れる。

<稀勢の里本場所最後の土俵入り>

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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