大相撲

松鳳山の出世街道1

松鳳山が37歳で幕内復帰を果たした。白鵬が
36歳で引退したばかりであり、立場が異なる
とはいえ、そうそうできることではない。
番付発表の日、照ノ富士とともにクローズ
アップされた。十一月場所は地元福岡県で
開催される。松鳳山はどのような出世街道を
歩んできたのか。改めてふり返ってみよう。

松鳳山こと松谷少年は小学生のとき相撲を
経験していたが、本格的に取り組んだのは
高校からである。双葉山の出身地大分県宇佐
市の高校へ進学した。高校時代にのちの琴奨
菊と大会で勝てなかったが、対戦している。
大学は駒澤へ進学した。なお、駒澤出身の
力士に天ノ山がいる。天ノ山は学生横綱の
実績を引き下げて入門。最高位は前頭筆頭
だった。

<序二段優勝>

松谷青年は、最初に声をかけてくれた松ヶ根
(元若嶋津)部屋に入門を決めた。前相撲
からの出発だった。序二段で優勝して出だし
はよかった。しかし、三段目はすべて勝ち
越したものの3場所かかってしまった。幕下
では8場所負け越しており、出世に思わぬ
時間がかかってしまった。結局幕下は3年
1場所かかってしまった。

<幕下時代>

新十両のときは26歳になっていた。十両に
あがったとき、思いがけない出来事が待ち
受けていた。野球賭博の再調査で松鳳山の
関与が浮上した。過去に虚偽の報告があった
として2場所出場停止になった。十両3場所
目と翌場所の幕下を不出場となり、番付を
幕下51枚目まで下げることになった。

<新十両>

しかし、幕下では実力が違っていた。なんと
2場所連続優勝して十両に復帰した。十両は
2場所で突破した。新入幕は27歳のときだっ
た。このとき松谷を松鳳山に改めた。得意は
突き押し。ふところに入っての寄り。小兵
ではないが、重量級大相撲全盛のなか130
キロ台では少ないほうである。しかし、元
琴錦の朝日山親方は松鳳山こそ力士の理想の
体型とみている。

ストップ!!ひばりくんを久々に読みました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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