白鵬が大鵬の32回最高優勝回数に迫ってきた。早ければ
十一月場所で実現する。大鵬の優勝32回は今後破れないと
思っていただけに時の流れを感じる。白鵬に迫られた
大鵬はどんな横綱だったのか。
大鵬といえば、新入幕のとき初日から勝ちまくって11連勝
し、日本中からいちやく注目される存在となった。今と
違って十両のテレビ中継がない時代だけに彗星のように
出現した印象であった。
英雄の条件を元阪神の村山投手はこういっている。「観客
が、ここぞと期待するときにその通りの結果を出す人間で
ある」まさに大鵬は英雄であった。入幕した年に優勝
するやあっというまに大関、横綱に昇進してしまった。
当時最年少大関・横綱でまだ細く、どこまで成長をし続け
るのか未知の英雄であった。大鵬が登場するころは女湯が
ガラガラになると言われた。(当時はけっこう銭湯が利用
されていた)
「大鵬には型がない」とか、有利な体制なっても攻めない
相撲を「負けまいと退嬰的になるのが負けにつながる」とか
「大鵬の取り口は手本にしにくい」という批判があった。
技術的には柔軟な体質で差して手がよく返り、引きつけて
の寄り、すくい投げを得意技にしていた。
連覇を続ける大鵬はまさに王者というイメージであった。
休場後はよく優勝し、晩年は不死鳥と呼ばれた。32回優勝、
6連覇2度、48連勝+α、横綱勝利数など6場所時代の
申し子といわれるほど偉大な功績を残した存在であった。