大相撲

横綱の勝率・優勝率・出場率の総合番付 中

引き続き横綱時代の勝率、優勝率、出場率を
合計した総合点から横綱をみていこう。

5位は大鵬である。6場所時代の申し子で
あった。これまで優勝回数は双葉山の12回で
あったが、大鵬が抜くのは時間の問題であっ
た。大鵬は師匠の元佐賀ノ花の二所ノ関から
英才教育を受けてきた。稽古は異例ともいえ
るマンツーマン指導だった。素材がよかった
だけに大鵬はめきめき強くなっていった。

<大鵬>

二所ノ関は自分の師匠である玉錦の攻撃型
ではなく、負けない相撲を仕込んだ。攻撃型
はどうしても破綻がつきまとう。負けない
相撲を取った大鵬は安定性十分であった。
入幕した年から引退する年まで優勝のない
年はなかった。攻撃型の柏戸は差をつけられ
ていった。大鵬には型がないといわれたが、
二所ノ関は、大鵬は自然体と反論した。本家
二所ノ関部屋は大鵬で花開いた。勝率7位、
優勝率3位タイ、出場率は18位である。

6位は白鵬である。優勝は通算44回、7連覇
タイ、63連勝(2位)、年間最多勝最高成績
86勝4敗、通算最多勝利数など数々の記録を
つくり、彩られている。実績は申し分ない。
白鵬が入幕した時点ではここまでの数字は
予測できなかった。予想以上の数値である。

<白鵬>

朝青龍が事件で引退したあと一人横綱になっ
た時点で対抗できる力士はいなかった。その
反面優勝インタビューで万歳三唱や三本締め
などで処分を受けている。白鵬には功罪両面
がある。最近の休場過多は優勝率、出場率の
低下につながっている。勝率5位、優勝率
3位タイ、出場率22位である。

7位はウルフ千代の富士である。千代の富士
が横綱に昇進したのは26歳のときである。
これは大鵬、北の湖の21歳、白鵬、貴乃花、
朝青龍の22歳横綱昇進より遅い。それでいて
優勝通算31回、53連勝、通算勝利1000勝超え
が達成できたのは、ひとえに力士生命が長か
ったからである。

<千代の富士>

36歳直前まで相撲を取った。30歳以降の優勝
は19回に及ぶ。53連勝は33歳のときである。
千代の富士は筋肉質の小兵力士であった。
だから外国人に人気があった。相撲はでぶの
競技を払拭した力士だった。小兵としては
栃錦・初代若乃花を超えた存在だった。勝率
9位、優勝率6位、出場率14位である。

8位は太刀山である。強豪度を基準におけば
雷電か太刀山かと主張する方がいるほどで
ある。45日の鉄砲を武器とした。45日はひと
月半=ひと突き半のシャレである。出足鋭く
太刀山の猛突っ張りが炸裂すると相手はまわ
しにふれることもできずに土俵外へ吹っ飛ん
だ。

<太刀山のブロマイド>

太刀山140キロ、まわりは100キロ前後だった
ことが大きい。引き分け、預かりを挟んで
43連勝している。よくいわれる56連勝は自己
都合による全休を3場所はさんでいるため、
連勝のていを成していない。勝率1位、優勝
率3位タイ、出場率40位であった。

(この項目続く)

ビックカメラにいってきます。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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