鶴竜 力三郎(かくりゅう りきさぶろう)は第71代横綱。モンゴル・スフバートルの出身で、井筒部屋から陸奥部屋。平成26年(2014年)五月場所から令和3年(2021年)三月場所まで横綱を務め、幕内優勝6回、生涯785勝497敗231休を残した。横綱在位は41場所で、協会の星取表を合計すると266勝117敗227休になる。三賞は技能賞7回に対して殊勲賞2回・敢闘賞0回で、金星は0個という偏り方をしている。田口が「うまさで取る相撲」の根拠に挙げているのは、このうち技能賞の多さである。
※戦歴の数字は日本相撲協会の歴代横綱プロフィール(2026年9月18日確認)、場所ごとの勝敗は協会「過去の成績・番付」の星取表(2026年8月3日取得・2026年9月18日に5場所を再取得して一致を確認)から写した。合計は当サイトが足した。写真と場所の情景は田口 通廣の撮影・記名記事による。歴代横綱の一覧は初代明石から第75代大の里までに。

鶴竜の基本データ|協会公式プロフィール(2026年9月18日確認)

| 四股名 | 鶴竜 力三郎(かくりゅう りきさぶろう)。しこ名履歴は鶴竜の1つだけ |
|---|---|
| 代 | 第71代横綱(平成26年5月〜令和3年3月) |
| 本名・出身 | マンガラジャラブ・アナンダ・モンゴル・スフバートル |
| 生年月日 | 昭和60年(1985年)8月10日 |
| 部屋 | 井筒 → 陸奥 |
| 身長・体重 | 186.0cm・154.0kg(歴代横綱の体重ランキング) |
| 得意技 | 右四つ・下手投げ |
| 初土俵/新十両/新入幕 | 平成十三年十一月場所/平成十七年十一月場所/平成十八年十一月場所 |
| 新三役/新大関/新横綱 | 平成二十一年五月場所/平成二十四年五月場所/平成二十六年五月場所 |
| 引退 | 令和三年三月場所 |
| 優勝 | 幕内6回・三段目1回 |
| 三賞・金星 | 殊勲賞2回・敢闘賞0回・技能賞7回。金星0個 |
| 生涯戦歴 | 785勝497敗231休(115場所) |
| 幕内戦歴 | 645勝394敗231休(85場所) |
出典: 日本相撲協会「第71代横綱 鶴竜 力三郎」(歴代横綱・2026年9月18日確認)。番付推移の元号表記は協会の書き方のまま。
この表で目を引くのは三賞の内訳である。技能賞7回に対して殊勲賞は2回、敢闘賞は0回、金星も0個。協会の「金星」は平幕で横綱に勝った数を指すので、その形の白星は1つも記録されていないことになる。田口は「鶴竜は技能賞を6回受賞していることからわかるように、うまさで取る相撲である。うまさが手順通りにいけば問題はないが、パワーに圧倒されると勝利の方程式が崩れる」と書いている(鶴竜優勝の足跡・2018年4月4日)。なお田口はこの記事で技能賞を6回と書いているが、協会プロフィールの表示は7回で、田口自身も平成24年三月場所について「鶴竜は殊勲・技能のダブル受賞となった。技能賞は7度目となった」と書いている(鶴竜の相撲人生3)。三賞は関脇以下が対象で、鶴竜は平成24年五月場所から大関なので、平成24年三月場所より後に技能賞が増えることはない。
入門から引退までの年表|手紙1通で始まり、初優勝だけで横綱になった
| 時期 | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 平成13年十一月場所 | 初土俵。日本語がわかる教授に入門志願の手紙を訳してもらい、日本相撲振興会を通じて井筒(元関脇 逆鉾)に託されて入門した | 協会・田口 28128 |
| 平成17年十一月場所 | 新十両。序ノ口から23場所かかっている | 協会・田口 28128 |
| 平成18年十一月場所 | 新入幕。21歳だった | 協会・田口 28128 |
| 平成20年一月場所 | 前頭8枚目で11勝4敗。初めての技能賞 | 田口 28128 |
| 平成21年五月場所 | 新三役(小結)。新入幕から15場所かかった。23歳 | 協会・田口 28128 |
| 平成24年一月場所 | 10日目に白鵬へ初めて勝った。初対戦から20連敗のあとだった。この場所で初の殊勲賞 | 田口 28216/24536 |
| 平成24年五月場所 | 新大関。前場所13勝2敗の優勝同点だった。当時は史上初の6大関になった | 協会・田口 28216 |
| 平成26年一月場所 | 大関で14勝1敗。千秋楽に白鵬を破って優勝決定戦へ持ち込み、決定戦は白鵬に敗れた | 協会の星取表・田口 28282 |
| 平成26年三月場所 | 大関で14勝1敗。初優勝 | 協会の星取表・田口 28282 |
| 平成26年五月場所 | 新横綱(第71代)。初優勝だけでの昇進で、旭富士から日馬富士まで続いた連続優勝による昇進はここで途切れた | 協会・田口 28282 |
| 平成27年九月場所 | 横綱9場所目で横綱として初めて優勝した | 協会の星取表・田口 17572 |
| 平成29年 | 6場所のうち5場所を休場した | 協会の星取表・田口 28403 |
| 平成30年三月場所・五月場所 | 通算4回目と5回目の優勝。連続優勝はこれが初めてだった | 協会の星取表・田口 18446/18921 |
| 令和元年七月場所 | 14勝1敗で6回目の優勝。これが最後になった | 協会の星取表・田口 28403 |
| 令和2年三月場所 | 無観客で開かれた場所。皆勤はこれが最後だった | 協会の星取表・田口 28403 |
| 令和2年12月 | 日本国籍を取得した | 田口 28403 |
| 令和3年三月場所 | 十一日目に引退。休場の途中での引退だった。35歳7か月余り | 協会・田口 27927/28128 |
| 2023年6月3日 | 両国国技館で引退断髪披露大相撲。年寄名を襲名しないままの断髪式だった | 田口 39599 |
| 2023年12月27日 | 音羽山の年寄名跡を取得し、音羽山部屋を創設した | 田口 41821 |
| 2026年9月18日時点 | 協会「相撲部屋のご紹介」の音羽山部屋の師匠は「音羽山 力三郎」、しこ名の欄は「横綱 鶴竜」 | 協会 |
入門の経緯を田口はこう書いている。「鶴竜は志願兵だった。大相撲の入門志願をしたため日本語がわかる教授に翻訳してもらい、それを日本相撲振興会に送った。受け取った会長は会員と相談後、井筒(元逆鉾)に託して入門が実現した」。序ノ口から新十両まで23場所。「これはけして遅いわけではない。ただ、日馬富士18場所、白鵬16場所よりはかかった」(鶴竜の相撲人生1・2021年4月5日)。
横綱昇進の形は、この人の経歴のなかでいちばん議論された点である。平成26年一月場所に大関で14勝1敗、三月場所も14勝1敗で初優勝し、その場所の成績で横綱が決まった。連続優勝ではなく初優勝だけでの昇進だった。田口は「優勝なしで双羽黒を横綱にした反省からかそれ以降の横綱は旭富士から日馬富士まで連続優勝で横綱に昇進していた。しかし、それが鶴竜でくずれた」と書き、「初優勝だけで横綱にしていいのか。という問題点は提起されてしかるべきである」と続けている(鶴竜の相撲人生4・2021年4月15日)。

もっとも、昇進を決めた場所の中身が薄かったわけではない。三月場所の田口の記述は、12日目に全勝の横綱日馬富士を送り出し、14日目に1敗同士の白鵬を寄り切ったという順序で進む。白鵬戦は「突き、のど輪で白鵬を攻めたてた。白鵬後退しながら右へまわり込む。鶴竜追撃して左上手いいところを取り、食い下がる体勢をつくった」(28282)。田口の集計では、昇進を決めた5場所は10勝・8勝・9勝・14勝・14勝優勝の55勝である(鶴竜の相撲人生5)。
新横綱の初日についても田口の記事が残っている。土俵入りの所作をめぐる報道があったあとの場所だった。「新横綱鶴竜は観客の拍手のなか、堂々と梅ヶ谷型の土俵入りをおこなった」。取組は碧山を引き落としで下し、「鶴竜は終始落ち着いていた。これが一番の勝因である」(夏初日 落ち着いた取り口の新横綱鶴竜・2014年5月12日)。なお協会の歴代横綱プロフィールに土俵入りの型の欄は無く、ここで「梅ヶ谷型」と呼んでいるのは田口の書き方である(型の分類は不知火型の横綱一覧に)。
横綱41場所の星取表|266勝117敗227休(協会の過去の星取表より)
| 場所 | 勝 | 敗 | 休 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 平成26年五月場所 | 9 | 6 | 0 | 新横綱 |
| 平成26年七月場所 | 11 | 4 | 0 | |
| 平成26年九月場所 | 11 | 4 | 0 | |
| 平成26年十一月場所 | 12 | 3 | 0 | |
| 平成27年一月場所 | 10 | 5 | 0 | |
| 平成27年三月場所 | 0 | 1 | 14 | 途中休場 |
| 平成27年五月場所 | 0 | 0 | 15 | 全休 |
| 平成27年七月場所 | 12 | 3 | 0 | |
| 平成27年九月場所 | 12 | 3 | 0 | 決定戦を制して横綱初優勝 |
| 平成27年十一月場所 | 9 | 6 | 0 | |
| 平成28年一月場所 | 10 | 5 | 0 | |
| 平成28年三月場所 | 10 | 5 | 0 | |
| 平成28年五月場所 | 11 | 4 | 0 | |
| 平成28年七月場所 | 2 | 2 | 11 | 途中休場 |
| 平成28年九月場所 | 10 | 5 | 0 | |
| 平成28年十一月場所 | 14 | 1 | 0 | 優勝 |
| 平成29年一月場所 | 5 | 6 | 4 | 途中休場 |
| 平成29年三月場所 | 10 | 5 | 0 | |
| 平成29年五月場所 | 1 | 4 | 10 | 途中休場 |
| 平成29年七月場所 | 2 | 2 | 11 | 途中休場 |
| 平成29年九月場所 | 0 | 0 | 15 | 全休 |
| 平成29年十一月場所 | 0 | 0 | 15 | 全休 |
| 平成30年一月場所 | 11 | 4 | 0 | |
| 平成30年三月場所 | 13 | 2 | 0 | 優勝 |
| 平成30年五月場所 | 14 | 1 | 0 | 優勝(連続優勝) |
| 平成30年七月場所 | 3 | 3 | 9 | 途中休場 |
| 平成30年九月場所 | 10 | 5 | 0 | |
| 平成30年十一月場所 | 0 | 0 | 15 | 全休 |
| 平成31年一月場所 | 2 | 4 | 9 | 途中休場 |
| 平成31年三月場所 | 10 | 5 | 0 | |
| 令和元年五月場所 | 11 | 4 | 0 | |
| 令和元年七月場所 | 14 | 1 | 0 | 優勝。最後の優勝になった |
| 令和元年九月場所 | 4 | 4 | 7 | 途中休場 |
| 令和元年十一月場所 | 0 | 1 | 14 | 途中休場 |
| 令和2年一月場所 | 1 | 4 | 10 | 途中休場 |
| 令和2年三月場所 | 12 | 3 | 0 | 無観客開催。最後の皆勤 |
| 令和2年七月場所 | 0 | 2 | 13 | 途中休場 |
| 令和2年九月場所 | 0 | 0 | 15 | 全休 |
| 令和2年十一月場所 | 0 | 0 | 15 | 全休 |
| 令和3年一月場所 | 0 | 0 | 15 | 全休 |
| 令和3年三月場所 | 0 | 0 | 10 | 十一日目に引退。協会の星取表は10休で止まっている |
| 合計 | 266 | 117 | 227 | 横綱在位41場所 |
この合計には、突き合わせると分かることがある。田口は引退の翌月に鶴竜の横綱成績をまとめており、そこに「266勝117敗227休」と書いている(鶴竜の相撲人生6・2021年4月22日)。当サイトが協会の星取表41場所を足した266勝117敗227休と、勝・敗・休の3つとも一致した。田口が同じ記事に書いた「横綱フル出場率 22場所÷41場所 54%」も、休が0の場所を数えた22場所と合う。
ただし、引退した令和3年三月場所の数え方だけは資料によって違う。協会の星取表はこの場所を10休で止めており、当サイトの合計もそれに従っている。田口は引退前の3月13日に書いた記事では「266勝117敗(不戦敗11)232休」としていて(鶴竜その横綱記録)、こちらは15日ぶんで数えた形になる。差の5日が引退した場所の残りにあたる、というのは当サイトの読みで、田口がそう書いているわけではない。
もうひとつ、協会プロフィールの生涯戦歴は231休である。横綱41場所の227休との差は4だが、休場数と不戦敗を分けて数えるか合わせて数えるかは資料によって違うので、この4を大関以下の休場と決めつけることはしない。ただし協会の幕内戦歴も645勝394敗231休で生涯戦歴と同じ231休なので、幕下以下の休場が表示されていないところまでは協会の数字から読める。
表を上から下へ追うと、休が右端に増えていく形がそのまま見える。皆勤は22場所、勝敗が1つも付かなかった場所は8場所(引退した令和3年三月場所を含む。いずれも当サイトが星取表を数えた)。田口は休場が続いた時期に「鶴竜がまたまた休場を決め込んだ」「厚顔無恥、傍若無人、ごね得といったところか」と厳しく書いている(27775・2021年3月13日)。横綱休場をめぐる田口の集計は鶴竜をめぐる横綱休場記録にまとまっているが、こちらは令和3年一月場所までの途中の数字である。
幕内優勝6回の一覧|大関での初優勝から、最後の令和元年七月場所まで
| 回 | 場所 | 番付 | 成績 | この場所のこと | 出どころ |
|---|---|---|---|---|---|
| 1回目 | 平成26年三月場所 | 大関 | 14勝1敗 | 初優勝。この場所の成績で横綱昇進が決まった | 協会の星取表・田口 28282/18446 |
| 2回目 | 平成27年九月場所 | 横綱 | 12勝3敗 | 横綱9場所目。千秋楽の本割で大関照ノ富士に敗れ、優勝決定戦で勝った | 協会の星取表・田口 17572/18446 |
| 3回目 | 平成28年十一月場所 | 横綱 | 14勝1敗 | 白鵬・日馬富士がフル出場した場所。唯一の黒星は大関稀勢の里 | 協会の星取表・田口 28333/18446 |
| 4回目 | 平成30年三月場所 | 横綱 | 13勝2敗 | 千秋楽を待たずに優勝が決まった。白鵬・稀勢の里は全休 | 協会の星取表・田口 18446/18921 |
| 5回目 | 平成30年五月場所 | 横綱 | 14勝1敗 | 初めての連続優勝。大関を目指す栃ノ心との直接対決を制した | 協会の星取表・田口 18921 |
| 6回目 | 令和元年七月場所 | 横綱 | 14勝1敗 | 最後の優勝。34歳の誕生日の前月だった | 協会の星取表・田口 28403 |

横綱になってからの初優勝は9場所目だった。田口はその直後に、横綱の初優勝までの場所数を並べて比べている。優勝の無かった9人を除いた40人の平均は4場所で、「鶴竜より初優勝が遅い横綱は照国、千代の山、鏡里、朝潮、柏戸の5人しかいない」(鶴竜横綱9場所目の初優勝をほかの横綱と比較する・2015年9月30日)。この順位はこの記事の時点の集計で、いまの数字ではない。
優勝の間隔も空いた。2回目から3回目は7場所後、3回目から4回目は8場所後である。田口は6回目の優勝のあとに「鶴竜は30歳以上の優勝が5回になる。大器晩成型である」と書いた(鶴竜をめぐる優勝記録・2019年8月30日)。その記事では今後の見通しも数字で立てているが、結果として6回目が最後になった。
白鵬に8勝44敗|50回以上あたった3人との対戦成績
| 相手 | 鶴竜から見た成績 | 田口の記述 |
|---|---|---|
| 琴奨菊 | 30勝22敗 | 1不戦敗を含む。2013年までは12勝16敗で、逆転したのは2015年 |
| 稀勢の里 | 18勝32敗 | 「鶴竜が横綱になっても7勝8敗であった」 |
| 白鵬 | 8勝44敗 | 優勝決定戦2敗を含む。初対戦から20連敗。初勝利は2012年一月場所 |
白鵬との52番は、鶴竜の相撲人生の輪郭をいちばんはっきりさせる。初対戦は2007年九月場所で、相手はすでに横綱だった。そこから20連敗である。初勝利は平成24年一月場所の10日目である。田口はこの日をこう振り返っている。「筆者は突然相撲仲間に誘われ、2階で観戦していた。またパートナーのI氏が正面マス席から撮影していた」(鶴竜の相撲人生3)。この場所の10勝5敗で初めての殊勲賞を取り、翌三月場所に13勝2敗の優勝同点で大関へ上がった。
横綱同士の対戦だけを取り出すと、田口の集計では白鵬に4勝12敗、日馬富士に6勝5敗、稀勢の里に1勝1敗である(鶴竜その横綱記録)。同じ時期に横綱を務めた3人のうち、勝ち越したのは日馬富士だけだった。第69代横綱 白鵬と第70代横綱 日馬富士の面も、同じ型でまとめてある。
引退から音羽山部屋の創設まで|井筒・陸奥を経て、自分の部屋を持つ

入門先の井筒部屋について、田口は系譜をたどった記事を残している。「井筒部屋というと名門のイメージがあるが、今の井筒部屋は、実は本家井筒部屋の分家なのである」。本家の後継者争いに敗れた君ヶ浜(元関脇 鶴ヶ嶺)が独立して君ヶ浜部屋を興し、のちに井筒の株を取得して井筒部屋に改称した、という流れである(井筒部屋の現在|本家と分家、鶴竜と逆鉾の系譜・2018年8月20日)。その師匠が亡くなり、鶴竜は陸奥(元大関 霧島)部屋へ移った。協会プロフィールの所属部屋が「井筒 → 陸奥」と2つ並ぶのはこのためである。
引退は令和3年三月場所の途中だった。田口はその日の記事で「横綱鶴竜が突如引退した。鶴竜は場所前まだ気持ちが切れていないので次取りたい、と語っていた。それが一転しての引退だった。5場所連続休場。35歳という年齢とともに誰の目にも限界だった」と書いている(三月11日目 鶴竜引退の日・2021年3月24日)。同じ記事に「今後は年寄鶴竜として後進の指導にあたる」「年寄名跡の話はついていないようだ」とある。田口は別の記事で「横綱は5年間現役名で年寄になれるという規定」と説明し、鶴竜親方でいられるのは2026年3月までだと書いている(鶴竜親方の今後・2021年12月5日)。
断髪式の日も、年寄名は決まっていなかった。2023年6月3日の引退断髪披露大相撲を田口は国技館で見ており、記事の最後をこう結んでいる。「それにしても鶴竜は年寄名を襲名することはなかった。横綱年寄名は5年限定である。鶴竜の行く末が気になった断髪式であった」(鶴竜、襲名なき引退断髪披露大相撲)。断髪式そのものの進み方は断髪式とは|引退相撲で髷を切る一日の流れにまとめてある。
決まったのはその半年後である。「鶴竜親方として約2年9カ月、音羽山の株を入手した。それだけではない。元兄弟子の鋼などで部屋を創設した。飛竜高校の新弟子も予定している。2023年12月27日のことである」(鶴竜始動!音羽山部屋誕生・2024年1月5日)。
2026年9月18日時点で協会「相撲部屋のご紹介」の音羽山部屋を開くと、師匠の欄は「音羽山 力三郎(おとわやま)」、しこ名は「横綱 鶴竜」、本名はマンガラジャラブ・アナンダ、生涯戦歴は785勝497敗231休と出る。歴代横綱プロフィールの数字と一致する。年寄の欄には「陸奥 一博(みちのく)/大関 霧島」があり、力士は幕内の大関 霧島から序ノ口まで11人(当サイトが同ページの一覧を数えた。協会は人数を書いていない)。所在地は東京都墨田区向島。協会の年寄一覧にも「音羽山 力三郎/音羽山/鶴竜/第71代横綱」の行がある。同じ日に取得した45部屋の一覧に、井筒部屋・陸奥部屋の名は無い。
鶴竜についてよくある質問
Q. 鶴竜は何代目の横綱ですか?
第71代です。平成26年五月場所に昇進し、令和3年三月場所で引退しました(協会プロフィール)。前が第70代日馬富士、次が第72代稀勢の里です。
Q. 優勝は何回ですか?
幕内優勝6回です。うち1回は大関だった平成26年三月場所で、横綱としては5回です。ほかに三段目優勝が1回あります。
Q. 横綱としての成績は?
在位41場所で266勝117敗227休です(協会の星取表41場所を当サイトが合計)。皆勤は22場所でした。
Q. どんな相撲を取る力士でしたか?
協会プロフィールの得意技は右四つ・下手投げです。三賞は技能賞7回に対して殊勲賞2回・敢闘賞0回で、田口は「うまさで取る相撲」と書いています(18446)。
Q. 白鵬との対戦成績は?
田口の集計では鶴竜の8勝44敗(優勝決定戦2敗を含む)です。初対戦から20連敗し、初勝利は平成24年一月場所でした(鶴竜の対戦成績)。
Q. 初優勝だけで横綱になったというのは本当ですか?
平成26年一月場所が14勝1敗の優勝同点、三月場所が14勝1敗の初優勝で、その成績で昇進しました。連続優勝ではありません。田口は旭富士から日馬富士まで続いた連続優勝での昇進が鶴竜で途切れたと書いています(28282)。
Q. 引退はいつですか?
協会プロフィールの引退は「令和三年三月場所」です。田口は十一日目の記事で引退を伝えており、休場の途中での引退でした(三月11日目 鶴竜引退の日)。
Q. 今は何をしていますか?
2026年9月18日時点で、協会「相撲部屋のご紹介」の音羽山部屋の師匠が「音羽山 力三郎」=横綱 鶴竜です。2023年12月に音羽山の株を取得して部屋を興しました(41821)。
▶ 歴代横綱シリーズ:歴代横綱一覧|初代明石から第75代大の里まで/第35代 双葉山/第48代 大鵬/第55代 北の湖/第58代 千代の富士/第64代 曙/第65代 貴乃花/第68代 朝青龍/第69代 白鵬/第70代 日馬富士/第72代 稀勢の里/第73代 照ノ富士
▶ 田口の鶴竜論:新横綱鶴竜の初日/横綱9場所目の初優勝/鶴竜優勝の足跡/井筒部屋の現在/鶴竜をめぐる優勝記録/鶴竜の対戦成績/鶴竜をめぐる横綱休場記録/鶴竜その横綱記録/三月11日目 鶴竜引退の日/鶴竜の相撲人生1〜6/鶴竜親方の今後/襲名なき引退断髪披露大相撲/音羽山部屋誕生