大相撲

鶴竜その横綱記録

2021年3月13日

鶴竜がまたまた休場を決め込んだ。そもそも
一月場所を全休することは即引退を意味して
いた。それに輪をかけて三月場所も休場だと
いう。北の富士さんは一月場所全休した鶴竜
に対して、鶴竜は案外したたかかもしれない
と書いた。三月場所休場はそれをはるかに
超えた。厚顔無恥、傍若無人、ごね得といっ
たところか。そんな鶴竜の横綱としての実績
を改めてふりかえってみた。

<初優勝>

鶴竜は2014年三月場所大関で初優勝して横綱
に昇進した。横綱審議委員会誕生後の千代の
山以降、大関の初優勝だけで横綱に昇進した
力士は、ほかに鏡里・吉葉山・大乃国・稀勢
の里がいる。 彼らは3場所直前での初優勝だ
った。ほかに横綱5場所前初優勝の柏戸、7
場所前初優勝の2代目若乃花がいる。23場所
前、大関でなく、関脇で初優勝した力士が
三重ノ海である。優勝なしで横綱に昇進した
力士が双羽黒である。横綱としては強いとは
とうていいえない名前が目立つ。

<奉納土俵入り>

鶴竜は横綱在位41場所。横綱勝率は266勝
117敗(不戦敗11)232休で6割9分4厘5毛
である。1場所に換算すると10.4勝である。
年間最多勝はない。6場所連続で最もよかった
成績は大関2場所から横綱4場所にかけての
ときで71勝19敗である。横綱在位中は2015年
七月場所から翌年の五月場所までで64勝26敗
である。

横綱優勝は5回。横綱優勝率は12%である。
2年12場所で1.4回の優勝ペースである。
最高は朝青龍の55%である。出場停止2場所
を含んでの数字である。横綱同士の対戦は
白鵬に4勝12敗、日馬富士に6勝5敗、稀勢
の里に1勝1敗である。白鵬にはかなわな
かった。白鵬に肉薄したのは朝青龍で5勝
8敗であった。優勝決定戦を含んでいる。

<日馬富士戦>

横綱皆勤率をみていこう。横綱皆勤場所数は
22場所である。横綱皆勤率は54%である。
1年では3場所ちょっとしか皆勤できていな
いことになる。休場数は不戦敗を含み243。
横綱休場率は40%である。1年間に直すと
36日休場していることになる。全休は1不戦
敗14休を含み8回となった。実質横綱が地位
化した常陸山以降では曙と並んで2位タイで
ある。連続休場日数は不戦敗を含み、74日と
なった。これは貴乃花の105日に続く記録で
ある。

<師弟 井筒(元逆鉾)と>

こうしてみると鶴竜は実績では5段階のD級
横綱くらいである。一月場所だけでなく三月
場所も休場する根性はもはや番外としかいい
ようがない。

雨の日です。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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