大相撲

鶴竜の相撲人生1

2021年4月5日

三月場所11日目休場中の横綱鶴竜が引退した。
休場の途中で引退という珍しいカタチになっ
た。横綱が実質地位化した常陸山以降の東京
横綱では初めてである。これまでの常陸山
以降の東京横綱50人の引退のカタチは以下で
ある。

全休後引退 12人
好成績後引退 3人
場所出場中引退 19人
フル出場不成績後引退 3人
場所途中休場後引退 7人
現役死亡 2人
不祥事引退 3人
初日から休場の途中で引退 1人

鶴竜は志願兵だった。大相撲の入門志願を
したため日本語がわかる教授に翻訳してもら
い、それを日本相撲振興会に送った。受け
取った会長は会員と相談後、井筒(元逆鉾)
に託して入門が実現した。

入門したものの序ノ口から23場所を要して
新十両入りした。これはけして遅いわけでは
ない。ただ、日馬富士18場所、白鵬16場所
よりはかかった。成績は94勝67敗○27である。
三段目で優勝をしている。新十両では負け
越して1度幕下に戻っている。新十両から
6場所かかって入幕した。2006年十一月場所、
21歳のときである。

<新入幕>

鶴竜が入幕したとき、横綱は朝青龍、大関は
千代大海・琴欧洲・栃東・白鵬・魁皇であっ
た。鶴竜が横綱・大関と対戦したのは入幕
6場所目であった。このとき横綱は朝青龍・
白鵬であった。大関は琴光喜・千代大海・
琴欧洲・魁皇であった。2007年の九月場所・
十一月場所に対戦したが、横綱戦0勝2敗、
大関戦0勝6敗と歯がたたなかった

<2007年9月 琴光喜戦で敗北>

2008年一月場所、前頭8枚目で鶴竜は11勝
4敗で技能賞を受賞した。これが技能派と
して初めての技能賞であった。三月場所は
上位で琴光喜・琴欧洲・魁皇の3大関を倒し
た。成績は7勝8敗で惜しくも負け越した。
翌五月場所も琴光喜・千代大海に勝っている。
しかし、5勝10敗で大敗している。まだ上位
で勝ち越す力はなかった。2008年は43勝44敗
4休であった。横綱戦0勝4敗、大関戦6勝
4敗であった。

<2008年3月 琴光喜 から勝利>

転機は2009年であった。三月場所、前頭筆頭
10勝5敗で2回目の技能賞を受賞した。横綱
には勝てなかったが、大関魁皇・日馬富士・
千代大海に勝って、大関戦3勝2敗であった。
この成績で翌五月場所小結に昇進した。初め
ての三役であった。新入幕から15場所要して
の小結であった。鶴竜23歳のときであった。

<2009年3月 魁皇を寄り切る>

(この項目続く)

立浪(元旭豊)部屋が台東区へ移転します。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

当サイトはブログランキングに参加しています、どうか応援をお願いいたします!

【ブログランキング】で、土俵の目撃者を応援して頂けるかたは↓をクリック


【日本ブログ村】で、土俵の目撃者を応援して頂けるかたは↓をクリック
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
にほんブログ村
  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

-大相撲

Copyright© 土俵の目撃者(毎日更新) , 2024 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.