三月場所11日目休場中の横綱鶴竜が引退した。
休場の途中で引退という珍しいカタチになっ
た。横綱が実質地位化した常陸山以降の東京
横綱では初めてである。これまでの常陸山
以降の東京横綱50人の引退のカタチは以下で
ある。
全休後引退 12人
好成績後引退 3人
場所出場中引退 19人
フル出場不成績後引退 3人
場所途中休場後引退 7人
現役死亡 2人
不祥事引退 3人
初日から休場の途中で引退 1人
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2021/04/181226赤ちゃん抱っこ-626-e1617601751252.jpg)
鶴竜は志願兵だった。大相撲の入門志願を
したため日本語がわかる教授に翻訳してもら
い、それを日本相撲振興会に送った。受け
取った会長は会員と相談後、井筒(元逆鉾)
に託して入門が実現した。
入門したものの序ノ口から23場所を要して
新十両入りした。これはけして遅いわけでは
ない。ただ、日馬富士18場所、白鵬16場所
よりはかかった。成績は94勝67敗○27である。
三段目で優勝をしている。新十両では負け
越して1度幕下に戻っている。新十両から
6場所かかって入幕した。2006年十一月場所、
21歳のときである。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2021/04/06八幕内-036新入幕-e1617601770299.jpg)
鶴竜が入幕したとき、横綱は朝青龍、大関は
千代大海・琴欧洲・栃東・白鵬・魁皇であっ
た。鶴竜が横綱・大関と対戦したのは入幕
6場所目であった。このとき横綱は朝青龍・
白鵬であった。大関は琴光喜・千代大海・
琴欧洲・魁皇であった。2007年の九月場所・
十一月場所に対戦したが、横綱戦0勝2敗、
大関戦0勝6敗と歯がたたなかった
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2021/04/0709八幕内-572琴光-e1617601787746.jpg)
2008年一月場所、前頭8枚目で鶴竜は11勝
4敗で技能賞を受賞した。これが技能派と
して初めての技能賞であった。三月場所は
上位で琴光喜・琴欧洲・魁皇の3大関を倒し
た。成績は7勝8敗で惜しくも負け越した。
翌五月場所も琴光喜・千代大海に勝っている。
しかし、5勝10敗で大敗している。まだ上位
で勝ち越す力はなかった。2008年は43勝44敗
4休であった。横綱戦0勝4敗、大関戦6勝
4敗であった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2021/04/080309初日幕内-821琴光.jpg)
転機は2009年であった。三月場所、前頭筆頭
10勝5敗で2回目の技能賞を受賞した。横綱
には勝てなかったが、大関魁皇・日馬富士・
千代大海に勝って、大関戦3勝2敗であった。
この成績で翌五月場所小結に昇進した。初め
ての三役であった。新入幕から15場所要して
の小結であった。鶴竜23歳のときであった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2021/04/090315春初日幕内-1017魁皇.jpg)
(この項目続く)
立浪(元旭豊)部屋が台東区へ移転します。
興味深いテーマをこれからもお届けします。