大相撲

鶴竜の相撲人生5

鶴竜は10勝-8勝-9勝-14勝-14勝優勝と
5場所55勝で横綱に昇進した。28歳のときで
あった。鶴竜は新横綱の場所を9勝6敗と
躓いた。2014年の横綱4場所の成績は43勝
17敗と低空飛行となった。横綱戦0勝7敗、
大関戦7勝3敗、関脇以下36勝7敗であった。
金星は4つ配給している。この年の七月場所
後、豪栄道が大関に昇進している。鶴竜の
横綱初優勝が遠くなることをこのときはまだ
気づいていなかった。

<明治神宮奉納土俵入り>

2015年、一月場所は10勝、翌三月場所は1不
戦敗14休で事実上の全休であった。五月場所
は全休した。横綱としての責任は果たせない
場所が続いた。五月場所後照ノ富士が大関に
昇進した。七月場所は12勝3敗と横綱で2度
目の12勝であった。この場所栃煌山に負けて
いるが、横綱になって3敗目であった。この
後十一月場所でも負けている。

<2015年1月 栃煌山に苦杯>

九月場所は横綱白鵬が3日目から休場した。
横綱初休場であった。横綱日馬富士が全休で
出場横綱は鶴竜だけになった。優勝ラインは
12勝と低レベルになった。大関照ノ富士と
優勝決定戦の末横綱初優勝を飾った。初優勝
から9場所目であった。

鶴竜の2015年の成績は43勝18敗19休と低空
飛行はさらに低くなった。横綱戦2勝3敗、
大関戦は優勝決定戦を含め11勝5敗、関脇
以下に31勝10敗であった。金星配給は2個で
あった。

<3回目の優勝後家族・師匠夫妻と 写真提供HS氏>

2016年も鶴竜の低迷は続いた。七月場所は
途中休場している。そうしたなか、十一月
場所、14勝1敗で3回目の優勝を成し遂げた。
今度は横綱白鵬・日馬富士がフル出場して
いた場所である。30歳のときである。この年
は57勝22敗11休となった。横綱戦5勝4敗、
大関戦11勝8敗、関脇以下41勝10敗であった。
金星配給は3個であった。この年も栃煌山
には2回負けている。

鶴竜の休場が顕著になったのは2017年から
であった。

(この項目続く)

オリンピックの具多的開催方法が明示されて
いません。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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